1951年5月、電気事業再編成令に基づき、中部配電と日本発送電の設備を引き継いで中部電力株式会社が設立された。愛知・岐阜・三重・静岡・長野の5県を供給エリアとし、トヨタ自動車をはじめとする中京工業地帯の産業用電力需要を長年担ってきた。同年8月には東京・名古屋・大阪の各証券取引所に同時上場し、民間電力会社としての経営基盤を整えた。九電力体制のなかで東京電力と関西電力に次ぐ規模の中堅電力会社にあたり、地域独占と総括原価方式に支えられた安定的な事業環境のもと、高度経済成長期を通じて発電所と送配電網の拡充を続け、地域経済の成長を電力供給の面から支える役割を担った。 [1][2][3]
首都圏を擁する東京電力や関西圏を擁する関西電力と比べると、中部電力の供給エリアの人口は小さい一方で、自動車や機械、セラミックといった製造業が集積する中京圏の産業用電力需要は、工場の稼働に連動した電力消費構造が特徴だった。経営は景気変動の影響を受けやすく、好況期には高い需要成長が続き、不況期には需要の減少が生じる収益の揺れやすさを抱えていた。FY05(2006年3月期)の連結売上高は2兆1505億円、経常利益は2196億円で、電気事業セグメントの売上高は2兆413億円と全体の95%を占め、典型的な電力専業会社の事業構成だった。この時代の中部電力は、電気事業単体で総収益の9割超を賄う地域独占型の民間電力会社の代表例だった。
1976年3月、浜岡原子力発電所1号機が営業運転を開始した。最終的に5基が建設されたが、浜岡は他の原発と決定的に異なる条件を抱えていた。東海地震の想定震源域の真上に立地している点である。30年以内にマグニチュード8級の地震が発生する確率は高いと見積もられ、地震学者からはそもそも建設すべきではなかったとの指摘が長年繰り返されてきた原発だった。東海道新幹線や東名高速道路という日本の大動脈に近接する立地も、原発事故が広域の社会インフラに与える影響を考えるうえでリスク認識を高める要因であり、中央の専門家だけでなく地元住民からも独特の視線で見られてきた。 [4][5]
中部電力は耐震補強に継続的に投資し、2005年1月には老朽化した1号機と2号機の運転終了を決定し、廃炉を選択する経営判断を下した。ただし3号機から5号機までは運転を継続し、原子力は中部電力の電源構成で約15%を占めていた。FY08(2009年3月期)には純損失189億円を計上したが、これは浜岡の定期検査長期化に伴う燃料費の増加や国際的な金融危機の影響によるもので、原発が停止した場合の経営への打撃がすでに部分的ながら顕在化しつつあった時期である。浜岡という固有条件の原発を所有していること自体が、中部電力の経営に他社が抱えない特殊なリスクを内在させており、投資家や経済界からも警戒の視線で見られてきた。 [6]
2000年代の中部電力は、連結売上高2兆1000億円から2兆5000億円、経常利益1200億円から2200億円の水準で推移し、安定した経営を維持していた。FY05からFY09までの間、配当は1株あたり60円で据え置かれ、個人投資家にとって代表的なディフェンシブ銘柄の一つと見られていた。2001年4月にはシーエナジーを設立して分散型エネルギー事業に参入するなど電力自由化への対応も始まっていたが、連結全体に占める非電力事業の規模は限定的で、電気事業が売上高の9割超を占める構造は変わらなかった。経営の収益基盤は依然として地域独占に支えられた電力専業の事業モデルに置かれ、需要家との接点を持つ小売と送配電、そして発電を垂直統合で一社が担う従来型の電力会社の姿だった。 [7]
電力専業の経営構造は、浜岡原発の稼働状況に収益が左右される本質的なリスクを構造的に抱えていた。原発が停止すれば火力の焚き増しで燃料費が膨張し、利益は圧縮される。2006年以降、エネルギー事業や建設業など非電力セグメントの売上計上が始まったが、電力事業の90%超という比率は変わらず、収益源の分散はほとんど進まなかった。浜岡の安全性に対する地震学者の長年の指摘と、2000年代半ばの電力自由化の本格化という外部環境の変化は、中部電力の事業モデルに静かな圧力を加えていた。地域独占と総括原価方式に支えられた安定経営の時代は、電力システム改革の進展と浜岡原発を取り巻くリスクの顕在化という二つの潮流によって、この年代の後半に終わりを迎えようとしていた。
2011年3月の福島第一原発事故の2か月後、菅直人首相は東海地震のリスクを理由として、浜岡原発の全号機停止を中部電力に要請した。法的強制力はなかったが、中部電力は5月9日に要請を受け入れ、運転中の4号機・5号機を停止する決定を下した。定期検査中の3号機を含め、浜岡は全号機停止となった。原発停止による代替火力の焚き増しは年間約2500億円の燃料費増をもたらすと試算され、4月に公表していた1300億円の営業黒字見通しはただちに撤回された。電力専業の収益構造では原発の長期停止に耐えられる経営余力はすでに残されておらず、経営陣は従来型の地域独占事業モデルの見直しを迫られた。 [8]
FY11(2012年3月期)に経常損失678億円、純損失921億円を計上した。FY12は経常損失435億円、FY13は経常損失926億円と、3期連続の赤字が続いた。自己資本比率はFY10の31.1%からFY13には24.9%まで低下した。浜岡は2026年時点でも再稼働しておらず、中部電力は15年以上にわたって原発なしの経営を行っている。政府の要請という法的強制力のない形式で全号機停止に踏み切った判断は、その後の長期停止と財務悪化を招く入り口でもあった。東京電力と異なり実質国有化は回避したが、電力専業の収益構造では原発停止の長期化に耐えられないことが明白となり、経営陣は火力発電の運営体制そのものを見直す構造改革に踏み出さざるを得なくなった。
2015年4月、中部電力と東京電力は合弁会社JERAを設立した。燃料の上流・調達から発電、電力・ガスの販売に至るバリューチェーン全体を統合し、グローバルなエネルギー企業を目指すという構想のもとで発足した事業である。中部電力にとっては、浜岡停止後の膨大な燃料費負担を軽減し、東京電力の規模と組み合わせて燃料調達の国際的な交渉力を高める狙いがあった。国内電力2社の火力発電事業の統合は前例のない試みであり、海外メジャーに伍する規模のエネルギー企業を国内から生み出すという意味でも、業界全体にとって象徴的な経営判断となった。地域独占の枠を超える新たな事業モデルへの一歩でもあった。 [9]
事業統合は数段階で進んだ。2015年10月に燃料輸送・トレーディング事業、2016年7月に既存燃料事業と海外発電事業、そして2019年4月には国内の既存火力発電事業がJERAに承継された。最終段階では中部電力の火力発電所がすべてJERAに移管され、中部電力は自社の発電所を持たない電力会社という新たな姿となった。JERAは国内約6700万キロワットの発電設備を有する世界有数の発電会社へと成長した。中部電力の収益は、JERAの持分法投資利益と送配電・小売事業に依存する構造に転換し、電力会社としての姿は様変わりし、持株会社体制への移行を視野に入れたグループ再編の流れが加速する転換期となった。 [10][11][12]
2019年4月、火力のJERA移管と並行して、中部電力パワーグリッド(送配電)と中部電力ミライズ(小売)の分割準備会社がそれぞれ設立された。2020年4月の電力システム改革による発送電分離に向けた体制整備の一環である。中部電力は送配電事業と小売電気事業をそれぞれ新しい事業会社に承継し、自らは持株会社として経営管理に特化する体制への移行を準備した。火力発電をJERAに、送配電と小売をそれぞれ別会社に分けることで、事業ごとのリスク特性に応じた経営判断を可能にする狙いがあり、規制事業と競争事業の区分けをする意図も込められていた。事業運営の自由度と透明性を高める組織改革だった。 [13][14]
FY18(2019年3月期)の連結売上高は3兆350億円、経常利益は1129億円となった。浜岡停止後の3期連続赤字から回復し、FY14(2015年3月期)以降は黒字経営が定着していた時期である。火力発電事業をJERAに移管しても、ミライズの小売売上がグループ連結売上の大半を占める構造は維持された。ただし利益の構造は変化し、JERAからの持分法利益、パワーグリッドの規制事業利益、ミライズの小売利益の三系統に利益源が分散するかたちになった。自社で発電しない電力会社の利益は、JERAとの電力購入契約の条件に左右される新たな構造へと移行し、従来の地域独占型で垂直統合の事業モデルとは質の異なる姿を呈した。持株会社体制への移行は、その新しい利益構造を株主と市場に見せるための手段でもあった。
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|---|---|---|---|---|
| 1951〜2010年九電力体制の中堅電力と浜岡原発という特殊な立地 | 井上五郎 | 中部電力設立 | ★ | |
| 井上五郎 | 東京・名古屋・大阪の各証券取引所に上場 | ★ | ||
| 井上五郎 | 中電興業を設立 | ★ | ||
| 井上五郎 | 日本耐火防腐の株式取得し子会社化 | ★ | ||
| 井上五郎 | 永楽不動産を設立 | ★ | ||
| 井上五郎 | 中電ビルを設立 | ★ | ||
| 横山通夫 | 中部火力工事を設立 | ★ | ||
| 横山通夫 | 中電工事を設立 | ★ | ||
| 加藤乙三郎 | 浜岡原子力発電所1号機営業運転開始 | ★★ | ||
| 田中精一 | 中部環境エンジニアリング・中電コンピューターサービスを設立 | ★ | ||
| 松永亀三郎 | コンピュータ・テクノロジー・インテグレイタを設立 | ★ | ||
| 太田宏次 | 中電ビルが電気文化会館・電気ビルを吸収合併 | ★ | ||
| 太田宏次 | シーエナジーを設立 | ★ | ||
| 川口文夫 | 情報・施工子会社を再編 | ★ | ||
| 川口文夫 | 浜岡1・2号機の運転終了を決定 | ★★ | ||
| 三田敏雄 | 浜岡原子力発電所1・2号機の運転終了と廃炉、隣接地への6号機新設方針 2008年12月22日、中部電力は浜岡原子力発電所のリプレース計画を決定し、営業運転開始から30年を超えた1号機・2号機の運転を2009年1月30日に終えて廃炉とする方針を公表した。あわせて隣接地に6号機を新設する構想を示した、三田敏雄社長のもとでの設備更新の判断である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 三田敏雄 | 水野明久が代表取締役社長に就任 | ★ | ||
| 2011〜2020年浜岡停止とJERA設立という二重の構造転換 | 水野明久 | FY11に経常損失678億円、純損失921億円を計上 | ★ | |
| 水野明久 | 浜岡原発の全号機停止(菅首相の要請) | ★★ | ||
| 水野明久 | ダイヤモンドパワーを子会社化 | ★ | ||
| 水野明久 | 東京電力とJERAを設立 | ★★ | ||
| 勝野哲 | 東京電力との合弁JERAの設立と国内火力発電事業の全面移管 2015年4月、中部電力は東京電力フュエル&パワーと折半出資の合弁会社JERAを設立し、燃料の上流・調達から発電、電力・ガスの卸販売までを段階的に移した。2019年4月1日には燃料受入・貯蔵・送ガス事業と既存火力発電事業をJERAへ承継し、統合を完了した。中部電力は自社で火力発電所を持たない電力会社となった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 林欣吾 | 送配電・小売の分社化と持株会社体制への移行 2020年4月1日、中部電力は一般送配電事業を中部電力パワーグリッドへ、小売電気事業を中部電力ミライズへ吸収分割で承継させ、自らは持株会社となった。前年4月に火力発電をJERAへ全面移管しており、報告セグメントはミライズ・パワーグリッド・JERAの3つに整理された。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 林欣吾 | 林欣吾が代表取締役社長に就任 | ★ | ||
| 2021〜2026年持株会社体制と電力会社の枠を超えた事業ポートフォリオ | 林欣吾 | 日本エスコンを子会社化 | ★ | |
| 林欣吾 | ジェネックスを子会社化 | ★ |
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事実根拠:出所(中部電力)