田中精一

中部電力・元取締役社長

Tanaka Seiichi(敬称略)

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社長就任 1977年6月
生年月日 1911年1月1日
出自 —
社長就任までの出自
出自

1911年東京の生まれ。1934年に慶應義塾大学法学部を出て東邦電力へ入社した。1960年6月に中部電力の支配人となって総務部長を兼ね、1962年5月に取締役、1966年5月に常務取締役、1972年5月に取締役副社長へ進んだ。取締役では総務、常務では営業を担当しており、発電所や送電線の現場ではなく本社の管理部門を歩いた経歴である。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1977年6月、加藤乙三郎氏の後任として社長に就任した。加藤氏は同時に会長へ回っている。同じ1977年6月に吉田弘一氏と藤本得氏を含む3名がそろって副社長へ上がっており、副社長に前から就任していたのは1972年5月からの田中氏だけだった。新任の副社長3名のうち2名は工学部の出身で、法学部から総務畑を歩いた人物が社長に選ばれた。

在任中の主な施策
施策

1978年8月に中部環境エンジニアリングと中電コンピューターサービスを設立した。同年11月には浜岡原子力発電所2号機が営業運転に入り、原子力が2基になった。第二次石油危機で1980年3月期は経常損失263億円・当期純損失240億円を計上したが、翌1981年3月期には売上高1兆4,950億円・経常利益1,684億円へ転じている。退任年度にあたる1985年3月期の売上高は1兆7,805億円だった。 川越火力発電所の新設四日市火力4号系列の新設

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1911〜1985年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 2件

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