決断
本州とつながっていないという条件が、電源の選択を決めてきた。応援送電を当てにできない系統では、需要の変動も発電所の停止も域内で吸収するしかない。1973年10月の第一次石油危機で原油価格が約4倍になると、苫東に構想していた600万kW級の石油火力を石炭火力へ組み替えた。1980年10月の苫東厚真1号機から石炭中心の電源構成が固まり、2号機以降は海外炭へ切り替えている。原子力は1968年から泊村で立地交渉が続き、1984年6月の設置許可を経て1989年6月に1号機が営業運転へ入った。チェルノブイリ事故のあと日本で最初に動いた原発で、2009年の3号機まで3基207万kWが揃い、原子力の比重は約4割に達した。ただしこの構成は、発電設備を道央へ集めることと引き換えに成立していた。
1978年 泊村での立地決定
泊村での立地決定石炭に偏った電源構成を補うベースロード電源として原子力を据えるため、漁業者の同意が得られない内陸型の立地点を海側へ変更し、用地・同意・補償の要件を揃えた立地の推進同じ経営論点に直面した企業 | 新規事業・多角化業績の推移1978 1983 売上高(億円) 2,043 4,238 経常利益率(%) 9.0 7.6 1974年 苫東の石油火力構想を撤回
業績の推移1973 1974 1979 売上高(億円) 704 797 2,221 純利益率(%) 5.4 3.6 3.3