1951年の設立は、経営者が事業機会を見つけて会社を設立したたぐいの創業ではない。占領下の政令が全国9地域の区割りを決め、既存の設備をその区割りに沿って割り付けた結果として、九州電力という法人が生まれた。それでも、これを制度に従っただけの手続きとみるのは狭い。発電・送電・配電をどこで切り、どこで垂直統合するかという設計は、投資の意思決定を誰が担うかを決める設計でもあった。九州電力は、九州7県の需要をひとまとまりの計画対象として引き受ける会社として出発している。
その設計は、その後の経営の可動域をおおむね決めた。上椎葉のアーチダムも、石炭火力の連なりも、離島の24時間化も、区域全体の需要と料金を一つの計画表に載せられたからこそ手がついた事業であった。同じ設計は、原子力への集中や、原発が止まったときの収支の振れ幅も同時に用意している。設立時に定めた供給区域の輪郭は、2020年4月1日に送配電が切り離されたあとも、発電と小売の事業範囲としてほぼそのまま残った。