安くして広げるという考え方は、長距離電話でもPHSでも変わっていない。『日本の長距離電話は大変高く、一般大衆の方々が大変苦しんでいる』と言って1984年に始めた会社が、10年後に携帯電話の3分の1から4分の1という料金でもう一つの移動体通信を立てたのは、同じ手の繰り返しであった。全国1社ではなく地域別9社に分けた形も、セルラー8社と同じ設計を方式を変えて使い直している。
9つに分けても、基地局をビルの屋上に一つずつ借りる手間は割れなかった。セルラーの地域分割には、郵政省の割り当てと地元資本の調達という外側の理由があった。PHSにはそれがない。免許も資金も本体から出ているのに法人だけが9つあり、面を敷く作業は各社が別々に抱えた。千本倖生社長は開業前から、携帯電話の3分の1から4分の1でなければ割安感が出ないと条件を明示している。前提が崩れたのは携帯電話側の値下げが続いたためであり、9社という体制はその崩れ方を和らげなかった。