第二電電の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

全国を一社で持たず、地域別に会社を設立して出資者を広げた新電電である。1986年にトヨタ自動車と日本高速通信を軸とする陣営との一本化交渉が決裂し、郵政省は全国を二分して首都圏・中部圏を日本移動通信へ、それ以外を第二電電系へ割り当てた。稲盛和夫会長は抵抗したものの、続ければ郵政省が両社の合併を持ち出すと読んで矛を収め、1987年6月から1991年6月にかけて全国8地域へセルラー電話会社を分散して設立している。1993年4月には日本イリジウムを設立して米イリジウム社へ218億円を出資し、狭域・広域・全世界の三層を揃える構想を描く。1994年11月には携帯電話の3分の1から4分の1という料金で利用者層を広げるため、地域別9社のポケット電話会社を立ててPHSへ参入した。地域と用途で会社を分けたことが、地元企業の出資と営業網を集める一方で、投資の総額を膨らませた。

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