1985年 電電公社の独占が崩れた1985年に生まれた三社と日本初の民間通信衛星
スカパーJSATの業績推移:単体
出所:有価証券報告書・会社四季報等
需給調整に阻まれた三社同時参入と日本通信衛星の船出
通信市場の自由化にあわせ、1985年に民間の衛星通信会社が三つ同時に生まれた。伊藤忠商事・三井物産・米ヒューズの3社が出資した日本通信衛星、三菱商事系の宇宙通信、そして住友商事・日商岩井が主導したサテライトジャパンである。ところがサテライトジャパンは、電気通信事業法10条の需給条項によって認可を留保された。同じ市場に三社が同時に参入すれば共倒れになるという行政側の判断が働いたためで、衛星通信は生まれた時点から、需要より先に設備が立つ産業として扱われていた。一基の衛星は打ち上げてしまえば長く使い続ける設備であり、中継器の空きをどう埋めるかが三社に共通する課題として残る。 [1][2][3]
- 週刊東洋経済 1997年9月6日号「衛星放送 放送「ビッグバン」の虚実 NHKひとり勝ち、CSアナログ苦戦の後」
- [1]日本通信衛星・宇宙通信・サテライトジャパンの3社はいずれも1985年設立
- [3]サテライトジャパンは住友商事・日商岩井主導で、電気通信事業法10条1・2項「需給条項」により認可が留保された
- 日経ビジネス 1990年5月7日号「新社長登場 中山嘉英氏(日本通信衛星) 帆船に憑かれた男」
- [2]日本通信衛星は伊藤忠商事・三井物産・米ヒューズ社の3社が出資した衛星通信会社
1989年3月、日本通信衛星はJCSAT-1号を打ち上げた。日本で最初に民間が上げた通信衛星であり、続く6月には宇宙通信もスーパーバードA号の打ち上げに成功する。放送局や企業向けに映像と高速データを中継する事業が、ここから始まった。日本通信衛星の社長には1989年7月、伊藤忠商事副社長だった中山嘉英氏が就いた。中山氏は「企業経営も同じで、成功の後には衰退が待っている。頂点に達する前に、次代を支える新事業を立ち上げることがトップマネジメントの課題」と語り、事業を始めたばかりの会社にすでに次を求めていた。 [4][5]
- 週刊東洋経済 1997年9月6日号「衛星放送 放送「ビッグバン」の虚実 NHKひとり勝ち、CSアナログ苦戦の後」
- [4]1989年3月に日本通信衛星がJCSAT1号を、6月に宇宙通信がスーパーバードA号の打ち上げに成功。わが国で最初の通信衛星打ち上げ
- 日経ビジネス 1990年5月7日号「新社長登場 中山嘉英氏(日本通信衛星) 帆船に憑かれた男」
- [5]中山嘉英氏は1925年生まれ、1948年大建産業(現伊藤忠商事)入社、1986年6月伊藤忠副社長、1989年7月日本通信衛星社長に就任
- 週刊東洋経済 1997年9月6日号「衛星放送 放送「ビッグバン」の虚実 NHKひとり勝ち、CSアナログ苦戦の後」
- [1]日本通信衛星・宇宙通信・サテライトジャパンの3社はいずれも1985年設立
- [3]サテライトジャパンは住友商事・日商岩井主導で、電気通信事業法10条1・2項「需給条項」により認可が留保された
- [4]1989年3月に日本通信衛星がJCSAT1号を、6月に宇宙通信がスーパーバードA号の打ち上げに成功。わが国で最初の通信衛星打ち上げ
- 日経ビジネス 1990年5月7日号「新社長登場 中山嘉英氏(日本通信衛星) 帆船に憑かれた男」
- [2]日本通信衛星は伊藤忠商事・三井物産・米ヒューズ社の3社が出資した衛星通信会社
- [5]中山嘉英氏は1925年生まれ、1948年大建産業(現伊藤忠商事)入社、1986年6月伊藤忠副社長、1989年7月日本通信衛星社長に就任
スーパーバード二機喪失で決した衛星事業者の明暗
先行した宇宙通信は、衛星を二機続けて失った。1990年2月にスーパーバードB号がアリアン・スペースのロケット打ち上げ失敗で消え、同年12月18日には軌道上のA号で姿勢軌道制御電子回路が故障する。宇宙線によるコンピュータの誤作動から燃料の元栓が閉じ、姿勢制御に必要な酸化剤が噴き出した。皆川広宗社長は12月23日の役員会で、顧客を全員ライバルの日本通信衛星へ移すよう指示する。復旧は1991年1月23日に断念され、A号は機能を停止した。三菱グループの宇宙事業を担った会社は、営業手段をすべて失った。 [6][7]
- 日経ビジネス 1991年3月11日号「敗軍の将、兵を語る 皆川広宗氏(宇宙通信社長) 偶然に偶然が重なり衛星難破」
- [6]1990年2月にスーパーバードBをアリアン・スペース社のロケット打ち上げ失敗で喪失、1990年12月18日にスーパーバードAの姿勢軌道制御電子回路(AOCE)に故障発生、1991年1月23日に復旧を断念し機能停止
- [7]皆川広宗氏は1919年生まれ、三菱商事出身で、1985年3月の宇宙通信設立に伴い同社社長に就任
顧客移管は3日で終えるような作業ではなかった。登録アンテナは3000カ所、発信局だけで100カ所以上あり、全国300カ所にデポを設けて三菱電機ほかのアンテナメーカーと郵政省の協力を仰ぎ、一晩でやり遂げている。宇宙通信の実質的な業務停止は、1992年にB号・A号を打ち上げてサービスを再開するまで1年4カ月に及んだ。1991年7月には債務超過を避けるため三菱グループ30社が400億円を増資し、社長も谷口芳男氏に交代する。1995年度にようやく黒字化したものの累積損失は490億円近く残り、その一掃は2010年以降との見通しが立つほど傷は深かった。 [8][9]
- 日経ビジネス 1991年3月11日号「敗軍の将、兵を語る 皆川広宗氏(宇宙通信社長) 偶然に偶然が重なり衛星難破」
- [8]登録アンテナ3000カ所、発信局100カ所以上、全国300カ所にデポを設け、三菱電機をはじめとするアンテナメーカーと郵政省の協力で一晩で再調整
- 週刊東洋経済 1997年9月6日号「衛星放送 放送「ビッグバン」の虚実 NHKひとり勝ち、CSアナログ苦戦の後」
- [9]宇宙通信は1年4カ月の実質業務停止、1991年7月に三菱グループ30社による400億円の増資と社長交代(谷口芳男氏)、1995年度黒字化も累損490億円近くで一掃は2010年以降の見通し
- 日経ビジネス 1991年3月11日号「敗軍の将、兵を語る 皆川広宗氏(宇宙通信社長) 偶然に偶然が重なり衛星難破」
- [6]1990年2月にスーパーバードBをアリアン・スペース社のロケット打ち上げ失敗で喪失、1990年12月18日にスーパーバードAの姿勢軌道制御電子回路(AOCE)に故障発生、1991年1月23日に復旧を断念し機能停止
- [7]皆川広宗氏は1919年生まれ、三菱商事出身で、1985年3月の宇宙通信設立に伴い同社社長に就任
- [8]登録アンテナ3000カ所、発信局100カ所以上、全国300カ所にデポを設け、三菱電機をはじめとするアンテナメーカーと郵政省の協力で一晩で再調整
- 週刊東洋経済 1997年9月6日号「衛星放送 放送「ビッグバン」の虚実 NHKひとり勝ち、CSアナログ苦戦の後」
- [9]宇宙通信は1年4カ月の実質業務停止、1991年7月に三菱グループ30社による400億円の増資と社長交代(谷口芳男氏)、1995年度黒字化も累損490億円近くで一掃は2010年以降の見通し
大連合による日本サテライトシステムズとパーフェクTV開局
1993年8月、伊藤忠・三井物産主導の日本通信衛星と、住友商事・日商岩井主導のサテライトジャパンが合併し、資本金275億円の日本サテライトシステムズとなった。認可を留保されたまま設備投資だけが積み上がる第三勢力を抱え込み、共倒れを防ぐための大連合である。JCSATは1997年2月の4号機まで打ち上げをすべて成功させたが、1号機が本来の寿命より2年早く電波を止めて101億円の特別損失を計上するなど、事業は安定しなかった。1996年度時点の累積損失は165億円に膨らんでいる。JCSAT-3号機の中継器28本のうち21本をパーフェクTVが使ったことで、1997年度にようやく売上200億円と黒字化の見通しが立った。 [10][11][12]
- 週刊東洋経済 1997年9月6日号「衛星放送 放送「ビッグバン」の虚実 NHKひとり勝ち、CSアナログ苦戦の後」
- [10]1993年8月に日本通信衛星(伊藤忠・三井物産主導)とサテライトジャパン(住友商事・日商岩井主導)が合併し日本サテライトシステムズ(資本金275億円)となる。共倒れを防ぐための大連合
- [11]JCSAT1号機が本来の寿命10年より2年早く停止し特別損失101億円を計上、累積損失は165億円に拡大
- [12]JCSAT3号のトラポンKuバンド28本のうち21本をパーフェクTVが利用するため「97年度は売り上げ200億円に乗り、なんとか黒字にできる」(日本サテライトシステムズ・奥山氏)見通し
衛星の空き中継器を埋める答えが、多チャンネル有料放送だった。1994年11月に設立されたディーエムシー企画は、のちに日本デジタル放送サービスとなり、1996年10月にデジタルCS放送「パーフェクTV」を開始する。1997年1月には有料化に移った。企画会社を立ち上げたのは、1989年に三井造船から日本通信衛星へ移った仁藤雅夫氏である。放送開始までの1年間は会社近くに泊まる日々が続き、実際に放送が始まったときは「息が止まるかと思った」と後年語っている。歓喜ではなく、止まったらどうしようという恐れのほうであった。 [13][14][15]
- スカイパーフェクト・コミュニケーションズ 有価証券報告書 第13期(2007年3月期)【沿革】
- [13]1996年10月にJCSAT-3による衛星デジタル多チャンネル放送サービスを開始し、1997年1月にJCSAT-3を利用した有料放送を開始(サービス名称:パーフェクTV!)
- [15]1994年11月に㈱ディーエムシー企画を設立(本店 東京都港区虎ノ門一丁目26番5号、資本金100百万円)、1995年7月に㈱ディーエムシーへ商号変更、同年9月に日本デジタル放送サービス㈱へ商号変更し本店を渋谷区へ移転
- 週刊東洋経済 2006年7月15日号「[トップの履歴書]スカイパーフェクト・コミュニケーションズ社長 仁藤雅夫 造船マンから大転身。民間衛星放送の普及に奔走」
- [14]仁藤雅夫氏は1981年三井造船入社、1989年日本通信衛星(現JSAT)入社、1994年ディーエムシー企画(スカイパーフェクト・コミュニケーションズ)へ。パーフェクTV開始に向けて市場調査から企画書作りをこなし企画会社を立ち上げた
- 週刊東洋経済 1997年9月6日号「衛星放送 放送「ビッグバン」の虚実 NHKひとり勝ち、CSアナログ苦戦の後」
- [10]1993年8月に日本通信衛星(伊藤忠・三井物産主導)とサテライトジャパン(住友商事・日商岩井主導)が合併し日本サテライトシステムズ(資本金275億円)となる。共倒れを防ぐための大連合
- [11]JCSAT1号機が本来の寿命10年より2年早く停止し特別損失101億円を計上、累積損失は165億円に拡大
- [12]JCSAT3号のトラポンKuバンド28本のうち21本をパーフェクTVが利用するため「97年度は売り上げ200億円に乗り、なんとか黒字にできる」(日本サテライトシステムズ・奥山氏)見通し
- スカイパーフェクト・コミュニケーションズ 有価証券報告書 第13期(2007年3月期)【沿革】
- [13]1996年10月にJCSAT-3による衛星デジタル多チャンネル放送サービスを開始し、1997年1月にJCSAT-3を利用した有料放送を開始(サービス名称:パーフェクTV!)
- [15]1994年11月に㈱ディーエムシー企画を設立(本店 東京都港区虎ノ門一丁目26番5号、資本金100百万円)、1995年7月に㈱ディーエムシーへ商号変更、同年9月に日本デジタル放送サービス㈱へ商号変更し本店を渋谷区へ移転
- 週刊東洋経済 2006年7月15日号「[トップの履歴書]スカイパーフェクト・コミュニケーションズ社長 仁藤雅夫 造船マンから大転身。民間衛星放送の普及に奔走」
- [14]仁藤雅夫氏は1981年三井造船入社、1989年日本通信衛星(現JSAT)入社、1994年ディーエムシー企画(スカイパーフェクト・コミュニケーションズ)へ。パーフェクTV開始に向けて市場調査から企画書作りをこなし企画会社を立ち上げた