1986年12月、国鉄の分割民営化を控え、電話サービスと専用サービスの提供を目的として鉄道通信株式会社が資本金32億円で設立された[1]。1987年4月、旧国鉄が全国に敷設した基幹通信網を承継し[2]、第一種電気通信事業者として営業を開始した。鉄道の線路沿いに張り巡らされた光ファイバー網という物理資産を引き継いだ点が、新規参入組のなかで他社にない立地優位を与えた。第一種電気通信事業の免許を取得していた(旧)日本テレコムとは元々別法人であり[3]、両社はそれぞれ別の出自を持って通信自由化後の市場に参入した。電電公社の独占が崩れた直後の市場には、長距離通信を中心に複数の新規参入組が名乗りを上げ、業界は再編の渦中にあった。
1989年5月、鉄道通信が存続会社として(旧)日本テレコムを吸収合併し[4]、日本テレコムへ商号変更した。NTT、KDD(現KDDI)に次ぐ第3の固定通信事業者という業界ポジション[5]が、この統合で固まる。1996年9月に東証一部・大証一部へ指定替え[6]、1997年10月に日本国際通信を吸収するなど[7]、固定通信事業の規模拡大に着手した。電電公社民営化後の新規参入組として、鉄道通信は出自の面でも資産の面でも特異な存在だった。NTTの全国網に対抗するに当たり、新規敷設ではなく既存の鉄道沿線網を使える立地は設備投資負担の抑制につながった。長距離通信市場では新電電3社(日本テレコム、第二電電、日本高速通信)の競争が始まり、市内通話を含む全面開放にはまだ時間を要する状況だった。
ただし固定通信単体では成長余地が限られていた。NTTの寡占シェアと専用線需要の頭打ちが、長距離通信事業者を構造的に縛る。新たな成長軸として浮かび上がったのが、1980年代末に始まった携帯電話事業の自由化である。日本テレコムは1991年7月、東京デジタルホン[8]株式会社を関連会社として設立し、移動体通信への参入を決断した。固定通信会社が携帯事業者を持つこの構造が、のちにボーダフォンが日本市場の参入拠点として日本テレコムに目をつける理由となる。携帯電話市場はまだ法人需要が中心で個人普及前夜にあり、参入企業には先行投資が重いが将来性のある成長市場として位置付けられた。固定と移動の両方を抱える事業構造は、のちの市場拡大期に重い意味を持つ。
1991年7月、日本テレコムは東京デジタルホンを設立し[9]、PDC(Personal Digital Cellular)方式で携帯電話事業へ参入した。1991年から1994年にかけてデジタルホン3社(東京・関西・東海)とデジタルツーカー6社の地域別9社体制で全国を覆った。NTTドコモ、IDO/セルラー(現au)に次ぐ第3勢力として、ビジネス需要を中心にシェアを伸ばした。固定通信の網と携帯電話子会社群を持つ構造が、日本テレコムの企業価値を構成する二本柱になった。当時の携帯電話市場は携帯端末の小型化と料金引き下げが進み、1990年代を通じて加入者数が短期間に増えていた成長分野だった。各キャリアは加入金や端末価格の引き下げによる顧客獲得競争を繰り広げていた。
1990年代後半、携帯電話市場は契約者数の爆発的な拡大期に入った。固定通信の成長率を移動体通信が上回り、収益構造の主役が逆転する。日本テレコムグループの収益も、固定通信の縮小と移動体通信の拡大が同時進行する形へ変化した。9社に分かれた携帯子会社の分散ガバナンスは、ブランド統一と全国一体運営の必要性を迫る。NTTドコモのiモード、auの着メロといった付加サービス競争に対抗するためにも、3社連合では商品戦略を統一しきれない構造的な弱さがあった。各地域子会社で料金プランや端末ラインナップが異なる状況は、全国展開する法人顧客にも個人顧客にも分かりにくく、ブランド認知の低下を招く。販売現場では統一感のない宣伝物が並び、ドコモのiモードという全国共通サービスとの差は無視できないほど開いた。
1999年10月、デジタルホン・デジタルツーカー[10]9社をJ-フォンへブランド統一した。商号も『J-フォン東日本』『J-フォン東海』『J-フォン西日本』の3社へ集約し、各社のサービス・端末・料金体系を共通化した。固定通信を担う日本テレコムと、携帯電話を担うJ-フォングループという二層構造ができあがる。固定通信が成熟事業として安定キャッシュフローを生み、その資金が携帯電話事業の設備投資を支える内部補助構造になった。J-フォンが上げ潮に乗ったとき、海外の携帯電話グループがこの資産価値に注目した。固定通信網のバックボーンを携帯電話のトラフィック処理に活用できる垂直統合の構造は、日本市場での競争力の源泉でもあり、海外資本から見れば日本進出の近道として魅力的に映る資産でもあった。
2000年11月、J-フォンは世界で初めてカメラ付き携帯電話『J-SH04』(シャープ製)を発売した。撮影した写真をメールで送る『写メール』というサービス名が広告とともに浸透し、若年層を中心に普及した。NTTドコモのiモード、auのEZwebが立ち上がっており、日本のフィーチャーフォン文化は世界に先行して独自進化の道を歩み始めていた。J-フォンはこの流れの一翼を担う存在として、日本の携帯電話市場で独自のポジションを築いた。30万画素のCCDカメラを搭載した端末を月額数千円で気軽に購入できる仕組みは、当時の世界どこにもなかった日本ならではの市場形成だった。写メールの普及は10代から20代の若年層を中心にJ-フォンの契約者層を厚くし、後の3G時代の契約基盤を支える原動力となった。
写メールの成功は単なる新商品のヒットではなく、携帯電話を通信端末から映像コミュニケーション端末へ転換した起点だった。それまで欧州でショートメッセージサービス(SMS)が中心だった携帯文化に対し、日本市場は画像・絵文字を含む豊富な表現を伴うメールへ進んだ。日本独自の進化を支えたのは、キャリア主導の端末仕様統制と、メーカー各社が国内市場向けに最適化した小型端末の競争である。海外のオープンな端末市場では真似のできない差別化要素となった。J-フォンの写メールはその象徴だった。
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|---|---|---|---|---|
| (旧)日本テレコムを設立 | ★ | |||
| 1986〜2000年鉄道インフラからJ-フォンへ ── ボーダフォン傘下入り前夜 | 鉄道通信を設立 | ★ | ||
| (旧)日本テレコムを吸収合併、日本テレコムに商号変更 | ★ | |||
| 東京デジタルホンを設立し携帯電話事業に参入 | ★★ | |||
| 東京証券取引所二部・大阪証券取引所二部に上場 | ★ | |||
| 東京証券取引所一部・大阪証券取引所一部に指定替え | ★ | |||
| 日本国際通信を吸収合併 | ★ | |||
| デジタルホン・デジタルツーカー9社がJ-フォンに商号変更 | ★ | |||
| 2001〜2006年ボーダフォン時代 ── グローバル端末戦略の挫折 | 英ボーダフォンによる日本テレコムの子会社化 ── 固定通信と携帯J-フォンの外資支配 2001年、契約者数1億人超の世界最大の携帯電話会社である英ボーダフォンが、公開買付を軸とする段階取得で日本テレコムの議決権66.7%を握り、傘下の携帯電話J-フォンと国鉄由来の固定通信網を一挙に支配下に置いた経営判断。固定と携帯の双方が、世界25カ国に広がる外資の携帯戦略の内側へ組み込まれた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 持株会社体制に移行、日本テレコムHDに商号変更 | ★ | |||
| 東京証券取引所一部・大阪証券取引所一部上場廃止 | ★★ | |||
| 孫正義 | ソフトバンクによるボーダフォン日本法人の買収 ── 約1兆7,500億円の国内最大LBO 2006年3月17日、ソフトバンクが英ボーダフォン・グループから国内3位の携帯電話事業者ボーダフォン株式会社を約1兆7,500億円で買収すると発表し、4月27日に完了した経営判断。日本企業による買収額として当時過去最高で、国内最大のLBO(レバレッジド・バイアウト)であった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 孫正義 | ソフトバンクモバイルに商号変更、ブランド名を「ソフトバンク」に | ★ | ||
| 2007〜2024年価格破壊からプラットフォームへ ── ボーダフォンを継いだソフトバンク | 孫正義 | 米スプリント買収とイー・アクセスの取り込み——「世界作戦」の展開 2012年10月、ソフトバンクは米携帯電話3位のスプリント・ネクステルの株式約70%を201億ドル(約1兆5,700億円)で取得して子会社化することで合意し、あわせて国内4位のイー・アクセスを約1,802億円で完全子会社化すると発表した。孫正義社長が『世界作戦』と呼んだ海外進出への大勝負であった。 詳細を読む | ★★★ | |
| 宮内謙 | ソフトバンクBB・ソフトバンクテレコム・ワイモバイルを吸収合併 | ★ | ||
| 宮内謙 | ソフトバンクに商号変更 | ★ | ||
| 宮内謙 | 通信子会社ソフトバンクの東証一部上場と親会社による約2.6兆円の資金調達 2018年12月19日、ソフトバンクグループ(SBG)が完全子会社である国内通信事業のソフトバンク(証券コード9434)を東京証券取引所第一部に上場させ、保有株の約4割を売り出して約2兆6,000億円を調達した経営判断。1987年のNTTを上回る国内史上最大の新規株式公開であった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 宮内謙 | ヤフーを子会社化 | ★★ | ||
| 宮内謙 | ZOZOを子会社化 | ★★ | ||
| 宮内謙 | LINEを子会社化 | ★★ | ||
| 宮川潤一 | 宮川潤一が代表取締役社長に就任 | ★ | ||
| 宮川潤一 | PayPayを子会社化 | ★★ | ||
| 宮川潤一 | Cubic Telecom Ltd.を子会社化 | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(ボーダフォン(現ソフトバンク))