ボーダフォン(現ソフトバンク)ソフトバンクによるボーダフォン日本法人の買収 ── 約1兆7,500億円の国内最大LBO
ゼロからの自前参入か、1兆7,500億円で時間を買うか──孫正義氏が選んだ丸のみの道
- 概要
- 2006年3月17日、ソフトバンクが英ボーダフォン・グループから国内3位の携帯電話事業者ボーダフォン株式会社を約1兆7,500億円で買収すると発表し、4月27日に完了した経営判断。日本企業による買収額として当時過去最高で、国内最大のLBO(レバレッジド・バイアウト)であった。
- 背景
- ソフトバンクは2005年11月に1.7GHz帯の免許を取得し2007年の自前参入を予定していたが、ゼロからの通信網構築には時間がかかり、主力のADSLも光シフトで失速しつつあった。一方のボーダフォン日本法人は3Gの出遅れと英本社主導の経営でシェアを落とし続けていた。
- 内容
- 全額出資子会社BBモバイルが発行済株式の約97.7%(最終的に99.5%)を取得。資金はソフトバンク出資2,000億円・ヤフー出資1,200億円・LBOローン1.1兆〜1.2兆円・英ボーダフォン側の優先株式等4,000億円で構成し、少ない手元資金で巨額の買収を実現した。
- 含意
- 免許を持ちながら自前展開を捨て、既存3位を丸ごと取り込んで参入の数年を短縮した「時間を買う」判断であった。買収後は基地局倍増と価格攻勢で契約純増首位へ反転させ、外資傘下で沈んだ携帯事業をソフトバンクグループの中核へ据え直した。
時間を買うという判断の型
この決断の中心にあるのは、免許という参入の切符を手にしながら、ゼロから築く時間そのものを費用とみなした点にある。基地局、周波数、1,500万の契約者、販売網──自前で揃えれば数年かかる資産を、ソフトバンクは一度の取引で手に入れた。手元からの出資2,000億円で1.75兆円の企業を動かしたLBOの構図は、日本のM&A史でも画期となったが、それが成立したのは、シェアを落としてなお安定したキャッシュフローを生む携帯事業の性質があったからこそとみることができる。「元がとれない」とされた価格は、事業を立て直す実行力を前提に初めて正当化される水準であった。
いまの9434のページから振り返ると、この買収は会社の所有者が英資本から国内資本へ移った転機でもあった。世界戦略の一角として日本に上陸した外資が撤退し、その資産を国内の挑戦者が引き受けて再生させる──2001年の外資による子会社化と対をなす構図である。買収の1年後に純増首位へ反転した事実は、同じ資産でも経営の意思によって価値が変わることを示している。装置産業である通信で「時間を買う」判断がどこまで許されるのか。巨額の対価と借入を正当化する条件を考えるうえで、この事例はいまも参照点であり続けているといえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
英ボーダフォン傘下での「独り負け」
ボーダフォン日本法人の前身であるJ-フォングループは、2001年の英ボーダフォンによる日本テレコム買収を機にその傘下へ入った。当時は「写メール」のヒットでシェアを伸ばしていたが、KDDIのauがいち早く3Gへ移行して若年層を取り込み、FOMAの立ち上げに苦しんだNTTドコモも息を吹き返した。英国主導の経営で料金設定やコンテンツなどのサービスは後手に回り、業績は2003年3月期を頂点に下降線をたどっていた[1]。
傘下入り後は設備投資が毎年絞り込まれ、とりわけ3G向けの投資の遅れが響いた。ドコモと同じ2GHz帯の周波数を持ちながら、3G契約者は2006年2月末で273万にとどまり、ドコモの2,201万、auの2,115万との差は開く一方であった。2005年9月中間期の営業利益は前年同期比でほぼ半減し、英本社は株主から日本事業の方針を明確にするよう迫られていた。2006年2月末には買収した携帯会社ののれん5兆円規模の減損計上を発表しており、日本事業の扱いは懸案そのものであった[2][3]。
行き詰まる自前参入のシナリオ
買い手のソフトバンクは、もともと自前での携帯参入を目指していた。2005年11月に総務省から1.7GHz帯の周波数割り当てを受け、2007年からのサービス開始を予定していた。しかし同時に参入を認められたイー・アクセスが自社網の構築へ動き出したのに対し、ソフトバンクの準備は進まず、業界では事業計画の遅れや実現性を疑問視する声が上がっていた。割り当て幅はドコモが3Gに使う帯域の4分の1にとどまり、ゼロから網を築いても先頭ははるか先を走っていた[4][5]。
土台となる固定通信でも想定が崩れつつあった。2001年に立ち上げたADSL「Yahoo! BB」は5年で会員500万人に達したものの、光ファイバーとの価格差縮小で2005年には光の伸びがADSLを上回り、NTT東西の「Bフレッツ」は月10万件規模で契約を積み上げていた。ソフトバンクBBの宮川潤一常務は「もともと固定系のみで生き残れる方法論はない」と語っており、800MHz帯の割り当てを2012年まで待って小さく戦う選択肢は、事実上封じられていた[6][7]。
決断
「いっそのこと買収したほうが早いかな」
転機は2005年秋にあった。ソフトバンクはボーダフォンに通信インフラの一部借り入れを打診したが、設備の使用料金で折り合わず、交渉は年末に決裂した。年明けの2006年1月、孫正義社長は買収へ舵を切る。3月3日に交渉の事実が表面化し、3月17日に英ボーダフォン・グループとの合意が発表された。会見で孫社長は1兆7,500億円の決断を「いっそのこと買収したほうが早いかなと」と語り、自前参入から一転、既存3位を丸ごと取り込む道を選んだ[8]。
発表によれば、ソフトバンクは全額出資子会社を通じてボーダフォンの発行済普通株式の約97.7%を取得し、株式価値は約1.75兆円と算定された。あわせてヤフーとの携帯電話事業に関する業務提携も打ち出された。買収総額は日本企業による買収額として当時過去最高であり、ゼロから基地局を建てて顧客を集める数年分の時間を、対価で置き換える判断であった[9][10]。
国内最大のLBOという賭け
資金の組み立てが、この買収のもう一つの核心であった。ソフトバンク本体の出資は2,000億円、ヤフーが1,200億円を出し、残る1.1兆〜1.2兆円はボーダフォンの将来キャッシュフローを担保とするLBOローンで調達する。英ボーダフォン側も優先株式3,000億円相当の新株予約権と劣後債1,000億円を投じ、リスクの一部を残した。それまで国内最大のLBOは2003年のリップルウッドによる日本テレコム買収の約2,600億円であり、桁の違う規模であった。ローンは非遡及型で、携帯事業が悪化しても親会社に返済義務は及ばない設計とされた[11][12]。
価格には高値との見方も強かった。M&Aの実務に詳しい一橋大学大学院の服部暢達助教授は、買収金額を今期の最終利益で割るとPERで40倍程度に相当し「相当高い」と指摘した。格付けでも、日本格付研究所が見通しを引き下げ方向とする一方、ムーディーズは市場地位の向上を評価して格上げ方向で検討するなど、評価は割れていた。それでも4月27日に公開買付の決済が完了し、BBモバイルは発行済株式の99.5%を取得した。総額6,200億円の増資と約1.16兆円の借入による、国内最大のLBOが成立した[13][14]。
結果
ソフトバンクモバイルの発足と反攻
買収後、孫社長は自らボーダフォンの経営の先頭に立ち、最優先課題に通話品質の改善を掲げた。基地局は2006年6月末の2万2,771局を2007年3月末までに4万6,000局へ倍増させる目標を掲げ、ドコモの整備計画を上回る水準を目指した。工事業者に低価格を繰り返し競わせる「逆オークション」を発注に持ち込み、元NECの富田克一氏や米クアルコム上級副社長の松本徹三氏を執行役副社長に招くなど、外部人材の登用も相次いだ[15][16]。
2006年10月1日には商号をソフトバンクモバイルへ改め、ブランドも「ソフトバンク」へ切り替えた。同月24日に始まった番号ポータビリティ(MNP)は当初、他社に顧客を奪われる「草刈り場」になるとみられていた。しかし直後に自社ユーザー間の通話料・メール代を0円とする「予想外割」を投入して価格で反撃し、2007年1月には月額980円の「ホワイトプラン」を加えた。この単純な料金体系が、その後の契約純増をけん引していく[17][18]。
反転の数字と、その後の来歴
数字は反転した。買収をまたいだ2007年3月期の連結業績は営業収益1兆5,619億円、営業利益1,346億円と、前期の763億円から利益をほぼ倍増させた。2007年には月額980円のホワイトプランが効き、月間契約純増でauから首位を奪う月も現れた。「独り負け」と呼ばれた3位キャリアは、買収から1年あまりで攻める側へ回っていた[19][20]。
翌2008年3月期も営業収益1兆6,312億円、営業利益1,624億円と増勢を保ち、携帯事業はソフトバンクグループの収益柱として定着していった。LBOで積み上がった負債は事業のキャッシュフローで返済が進み、この会社は2018年12月、ソフトバンク株式会社として東京証券取引所市場第一部へ再び上場する。国鉄系の日本テレコムに始まり、英ボーダフォンを経てソフトバンクの中核となる現在の9434の来歴は、この買収で方向が定まったものであった[21][22]。
- 週刊東洋経済 2006年3月18日号「ボーダフォン買収でケータイ自前展開は放棄も ソフトバンク、土壇場の方針転換」
- 週刊東洋経済 2006年4月1日号「国内携帯電話3位のボーダフォンを買収 時間買うソフトバンクの関門」
- 週刊東洋経済 2006年4月15日号「ソフトバンクは大丈夫か ボーダフォン買収の行方」
- 週刊東洋経済 2006年9月16日号「開戦準備へ“型破り”連発! ボーダフォン変身の全貌」
- ソフトバンク プレスリリース(2006年3月17日)「ボーダフォン株式会社の買収およびヤフー株式会社との携帯電話事業に関する業務提携について」
- ソフトバンク プレスリリース(2006年4月27日)「ボーダフォン買収完了に関するお知らせ」
- ソフトバンクモバイル プレスリリース(2006年10月23日)「通話料0円、メール代0円の『予想外割』スタート!」
- ITmedia(2006年3月17日)「ソフトバンク、ボーダフォンを1兆7500億円で買収」
- ITmedia(2007年9月3日)「5分で分かる、2007年上半期のモバイル事情(前編)」
- ソフトバンクモバイル 有価証券報告書(2006年3月期〜2008年3月期・連結)
- ソフトバンク「沿革」(公式サイト)