米スプリント買収とイー・アクセス取り込み——「世界作戦」への大勝負

国内で返済のめどをつけた孫正義社長は、なぜ約1.8兆円を投じて米3位の不振キャリアを買ったか

更新:

時期 2012年10月
意思決定者 孫正義 ソフトバンク社長
論点 海外進出と成長投資への転換
概要
2012年10月、ソフトバンクは米携帯電話3位のスプリント・ネクステルの株式約70%を201億ドル(約1兆5,700億円)で取得して子会社化することで合意し、あわせて国内4位のイー・アクセスを約1,802億円で完全子会社化すると発表した。孫正義社長が「世界作戦」と呼んだ海外進出への大勝負であった。
背景
2006年のボーダフォン日本法人買収で膨らんだ純有利子負債は、iPhoneを軸にした成長で急減し、2012年6月末には約8,000億円まで下がっていた。返済のめどが立った孫社長は、方針を「負債の削減」から「成長」へ転じ、市場の大きい米国へ照準を合わせていた。
内容
スプリント買収の201億ドルのうち80億ドルは増資でスプリントへ注入し、財務改善と設備投資に充てる。イー・アクセスは1.7ギガヘルツ帯のLTE周波数を狙った取り込みであった。2013年にはディッシュ・ネットワークの対抗提案を受けて買収額を216億ドルへ積み増し、同年7月に約78%の取得で子会社化を完了した。
含意
国内契約数はイー・アクセスと合わせてNTTドコモを抜き、売上高は世界3位規模へ届いた。ボーダフォン再建で磨いた手法を米国で再現するという読みであったが、文化も商習慣も異なる市場での約1.8兆円の投資は、ソフトバンクが国内通信会社から世界規模の投資会社へと変わっていく転機ともなった。
筆者の見解

「世界一への野望」は実を結んだか

この判断の核心は、国内で稼いだキャッシュフローと返済のめどを元手に、成熟しつつある日本市場の外へ成長の場を移そうとした点にある。ボーダフォン日本法人の再建で磨いた営業とマーケティングの手法を、規格がLTEへ収斂する米国でもう一度使えるという読みは、それ自体としては筋が通っていたとみることができる。ただ、舞台は文化も商習慣も異なる米国で、日本での快進撃を支えた販売代理店網も存在しない。追い銭は出さないという歯止めをかけつつも、2強の壁が厚い市場へ約1.8兆円を投じた点に、この決断の重さがうかがえる。

その後のスプリントは、孫社長が描いたV字回復には容易に届かず、最終的には2020年にTモバイルとの合併によって決着へ向かった。世界一への野望を掲げた米国進出が当初の思惑どおりに実を結んだとは言い切りにくい。もっとも、この買収を境にソフトバンクが国内の通信会社から世界規模の投資会社へと変わっていく流れは、後のアーム買収やソフトバンク・ビジョン・ファンドへとつながっていった。2012年の大勝負を勝ち負けのいずれかへ早々に切り分けるのは難しく、その評価は今日なお定まっていないとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

借金返済から成長への転換

ソフトバンクは2006年にボーダフォン日本法人を約1兆7,500億円で買収して携帯電話事業へ参入し、その借入で純有利子負債は同年6月末に約2兆5,000億円へ膨らんでいた。以後は「2014年度末までに純有利子負債ゼロ」を掲げて大型投資を封印し、iPhoneの独占販売などで契約数と1契約当たり収入を伸ばして返済を急いだ。買収資金の借り入れは2011年10月に前倒しで完済し、純有利子負債は2012年6月末には約8,000億円まで下がっていた。孫正義社長は2012年4月の決算説明会で、方針を「負債の削減」から「成長」へ転じると明言していた[1]

収益力もボーダフォン買収時とは様変わりしていた。2012年3月期の営業利益は6,752億円と、参入前後の約10倍に達し、フリーキャッシュフローは年間3,000億〜5,000億円を稼いでいた。返済のめどが立ち、手元に成長投資の余力が生まれたところで、次の一手として海外が視野に入った。孫社長はスプリントに照準を合わせたのは数カ月前と明かしており、返済の前倒し完了とほぼ同時に、面としての海外展開へ舵を切ろうとしていた様子がうかがえる[2]

米市場と、不振の3位スプリント

狙いを定めた先は米国であった。孫社長は、市場が大きく深い米国を最有力とみる一方、首位ベライゾンと2位AT&Tは価格が高すぎて買えないとし、3位のスプリント・ネクステルを選んだ。同社は5期連続の赤字で身売りのうわさが絶えず、旧ネクステルとの通信規格の違いからシナジーを発揮できずにいた。設備投資は上位2社に数年遅れ、ネットワークの質でも見劣りしていた。低収益であるがゆえに打つ手が多く、立て直せば変化率は大きいという読みがそこにあった[3][4]

米国では規模と資金力が物を言い、電波もオークションで高値落札となるため、体力の乏しい事業者ほど追い込まれる構図であった。折しも通信規格が3GからLTEへ移行し、4社の規格が同じ土俵にそろうことで、差は設備投資の体力勝負へ集約されつつあった。孫社長は、日本でボーダフォンを立て直した手法を米国で再現できるとみていた。日米の携帯市場が後払い比率やデータ定額という共通点を持ち、日米間を隔てていた「さく」は思ったより低くなっていたという認識であった[5][6]

決断

イー・アクセスの取り込みと1.7ギガヘルツ帯

米国への布石に先立ち、ソフトバンクは足元の周波数を固めにかかった。2012年10月1日、同社は業界4位のイー・アクセスを株式交換で完全子会社化すると発表した。買収規模は約1,802億円で、イー・アクセス普通株式は1株5万2,000円と評価された。狙いはイー・アクセスが持つ1.7ギガヘルツ帯にあった。この帯域はLTEの世界標準バンドで、同年発売のiPhone5がハードを変えずに対応できたため、ソフトバンクの2.1ギガヘルツ帯と組み合わせれば通信品質とLTE競争で優位に立てるとみていた[7][8]

業界内では、この約1,800億円が春先に予告していた大型投資かとささやかれた。しかし孫社長にとって、これは序の口にすぎなかった。イー・アクセスの契約を加えれば国内契約数はKDDIを抜いて2位に上がり、電波というインフラの土台を厚くしたうえで、より大きな海外の一手へ踏み出す構えであった。国内で守りを固める買収と、海外で攻めに転じる買収が、10月のわずか2週間に相次いで打ち出された[9]

スプリント201億ドルの合意

2012年10月15日、ソフトバンクは米スプリント・ネクステルの株式約70%を201億ドル(約1兆5,700億円)で取得し、2013年中に子会社化することで合意したと発表した。201億ドルのうち80億ドルは新株の増資でスプリントへ注入し、財務改善と設備投資・顧客獲得の原資に充てる形であった。残りは既存株主からの株式買い取りに回した。イー・アクセスと合わせれば契約数は約9,600万件となり、約6,000万件のNTTドコモを抜いて売上高6兆3,000億円の世界3位規模になる計算であった[10][11]

孫社長は会見で「リスクを取らないことが最大のリスク」と述べ、同時に日本からの追い銭は出さないと繰り返した。増資でスプリントの財務を一気に改善し、以後は独立した上場会社として自立させる。買収に投じた資金は国内事業のフリーキャッシュフローで返済できるという計算であった。円高と超低金利という追い風もあり、借入金利はボーダフォン時の4%に対し1%台に下がっていた。一方でスタンダード&プアーズとムーディーズはソフトバンクを格下げ方向で見直すと発表し、市場は巨額債務の増加を警戒した[12][13]

結果

買収合戦と条件引き上げ、そして完了

合意は、そのままの条件では決着しなかった。2013年、衛星放送のディッシュ・ネットワークが総額255億ドルでスプリント株の100%を取得する対抗案を示し、買収は競り合いに持ち込まれた。ソフトバンクは買収額を15億ドル積み増して総額216億ドルとし、1株当たりの対価を7.30ドルから7.65ドルへ引き上げ、取得比率も約70%から約78%へ広げる修正案を提示した。孫社長がふだん説く早い「引き技」とは逆に、ここでは踏みとどまって条件を上乗せする判断であった[14]

2013年7月11日、ソフトバンクはスプリントの買収完了を発表した。取得比率は約78%、買収総額は約216億ドル(約1.8兆円)に達し、当時としては日本企業による海外M&Aで最大級の規模となった。あわせて高速通信用の周波数を持つクリアワイヤも取り込み、米国での事業基盤を固めた。孫社長が「日本の経済史最大の資金調達を実質10日間で行った」と会見で誇った巨額買収は、発表から約9カ月を経て子会社化として結実した[15][16]

出典・参考

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