ルートKDDの国内延伸(1997年・KDDの決断)更新:2026/10/15KDD:業績の推移売上高(億円)経常利益率(%)データ出所企業向け国内電話への参入と、列島周回海底ケーブルの敷設1997年6月に国際電信電話株式会社法が改正され、KDDが同年7月に国内の電気通信サービスを始めた経営判断。まず法人向けの国内専用線サービスから入り、個人向けの国内電話は1998年7月に"通話料6秒1円"の料金で始めた。国際通信の顧客と海底ケーブルの技術を、そのまま国内へ持ち込む参入であった。何をなぜ決めたか:企業向け国内電話への参入と、列島周回海底ケーブルの敷設概要1997年6月に国際電信電話株式会社法が改正され、KDDが同年7月に国内の電気通信サービスを始めた経営判断。まず法人向けの国内専用線サービスから入り、個人向けの国内電話は1998年7月に"通話料6秒1円"の料金で始めた。国際通信の顧客と海底ケーブルの技術を、そのまま国内へ持ち込む参入であった。背景KDDの営業利益率はここ20年で20%から5%へ下がり、1997年3月期には初めて5%を下回った。同期の営業利益は前期から50.1%減少した。国際電話を米国発にして割安にするコールバックの業者は30社を超え、国際専用線の両端に公衆網をつなぐ国際公専公の解禁も年内に控えていた。同じ法改正で、NTTも子会社を通じて国際通信に出られるようになった。内容足場は二つあった。一つは国際回線と顧客企業を専用線で直接結ぶルートKDDで、3000社7600回線がつながっていた。対象地域は秋までに19から35へ広げた。もう一つは列島を環状に囲む海底光ケーブルのJIHで、総延長1万300km・総建設費1300億円の計画であった。陸揚げした回線は、東京通信ネットワークをはじめ地域系の新電電9社の網で利用者へつなぐ業務提携を締結した。国内の足回りはNTTの回線に依存して接続料を年に約300億円払っており、JIHでこのうち100億円を減らせるとみていた。含意西本正社長は参入の前に『国際通信のシェアが奪われるのは避けられないが、新規参入する国内通信と海外事業の増収分で補える』と見通しを語り、ルートKDDの顧客を国内の最初の客に数えていた。JIHは1999年4月に運用を始めた。ただ、個人向けの秒単位の料金は、短時間のデータ通信でNTTへの接続料が収入を上回る"逆ザヤ"を抱えた。自前の足回りを持たない参入である限り、値下げの余地は接続料に縛られた。いつ何が起きたか6件筆者考察考察考察:手持ちの資産を、そのまま国内へ延ばす3000社7600回線のルートKDDと、海底に線を敷く技術。KDDが国内へ出るときに手にしていたのは、この二つであった。営業網も市内回線もない会社が国内へ参入するには、すでにある資産を延ばすほかなかったのだろう。法人向けを先にして個人向けを1年後に回した順番も、国内の幹線を海に敷いた選び方も、そこから素直に導かれる。西本正社長が国際通信を主力に据えたまま国内を足したのは、国際で付き合いのある企業をそのまま国内の客として数えられるとみていたからと思われる。もっとも、海に敷いた幹線は家庭や事務所の手前で終わる。足回りはNTTに依存し、接続料は年に約300億円かかっていた。JIHで減らせるとみたのはそのうち100億円にとどまる。秒単位の安い料金で客を集めるほど、短い通話では接続料が収入を上回った。国内の幹線だけでは参入の採算は決まらず、陸上の網と足回りを持つ相手を必要とする構図が、この時点で既に見えていたといえる。Yutaka Sugiura, 2026年7月参考文献参考文献参考日経ビジネス 1997年6月30日号日経ビジネス 1998年8月3日号日経ビジネス 1997年6月16日号ヤノ・レポート 1997年9月25日号証券調査 1997年5月1日号「産業動向 電気通信業界」日経ビジネス 1997年6月16日号(日経BP社)日経ビジネス 1997年3月24日号KDDI アニュアルレポート「アニュアルレポート2001(2001年3月期)」次に読む決断KDDの意思決定1998年KDDKDD国際電信電話法の廃止根拠法の消滅に伴う特殊会社の立場からの離脱と一民間企業への移行1998年1998年KDDKDDテレウェイの吸収合併同業他社の吸収と商号のKDD株式会社への変更1998年同じ問い:隣接領域への設備投資1994年第二電電第二電電PHS事業への参入地域別9社によるポケット電話会社の設立1994年2002年ユキグニファクトリーユキグニファクトリー五泉バイオセンター新設競合主力のぶなしめじ・エリンギへの参入と生産拠点の増設2002年1996年ニップンニップン冷凍食品のニップン冷食への分社化専業子会社での製造と、工場用地・新工場・販売の本体での保持1996年2001年ホクトホクト雪国まいたけの主力品目へ参入ぶなしめじとエリンギに次ぐ第三の品目の量産と、その後の価格競争2001年1993年飯野海運飯野海運カタールLNGに参画インドネシアを含む複数プロジェクトへの参画による、液化天然ガス輸送への進出1993年×出所