国際電信電話法の廃止(1998年・KDDの決断)更新:2026/07/29KDD:業績の推移売上高(億円)経常利益率(%)データ出所根拠法の消滅に伴う特殊会社の立場からの離脱と一民間企業への移行1998年、国際電信電話が特殊会社としての立場を離れた判断。1952年に制定された国際電信電話株式会社法は、同年5月8日公布の規制合理化法によって廃止され、12月1日に効力を生じた。1953年の設立から45年で、事業の範囲も料金も法に縛られる会社ではなくなった。何をなぜ決めたか:根拠法の消滅に伴う特殊会社の立場からの離脱と一民間企業への移行概要1998年、国際電信電話が特殊会社としての立場を離れた判断。1952年に制定された国際電信電話株式会社法は、同年5月8日公布の規制合理化法によって廃止され、12月1日に効力を生じた。1953年の設立から45年で、事業の範囲も料金も法に縛られる会社ではなくなった。背景1985年4月の電気通信事業法改定で制度上の独占が消え、1989年にはITJ・IDCの参入で実態の独占も崩れていた。それでも国際電信電話株式会社法だけは残り、料金の認可をはじめとする第一種電気通信事業者への規制が同社にかかり続けた。内容NTTの長距離会社が完全民営化されるなかで、国際電信電話だけが特殊法人のまま料金認可などの規制を受け続ける状態は、法の廃止によって解かれた。含意法を離れることは、国内への参入や他社との合併が自由になることと、国が事業を保証しなくなることの両方を意味した。廃止の前後も国際電話の値下げ競争は続き、テレウェイと合併した後の1999年3月期の連結経常利益は、売上高4057億円に対して38億円にとどまった。いつ何が起きたか7件筆者考察考察考察:消えたのは独占ではなく、独占の後に残った保護特殊会社をやめれば、国内へ出ることも他社と一つになることも自由になる。同時に、国が事業を保証しない立場へ自分を置く選択でもあった。制度上の独占は1985年に、実態の独占は1989年に失われ、法だけが残っていた。西本正社長が放棄したのは独占ではなく、独占が消えたあとの保護であった。もっとも、自由を得たあとも収益は戻らなかった。テレウェイと合併した1999年3月期の連結経常利益は、売上高4057億円に対して38億円にとどまる。値下げ競争は法の廃止と関わりなく進んでいたし、5593人という人員も、法を捨てたからといって軽くはならなかった。1979年の時評が突いた『株式会社でありながら、独占が許されている』という二つの条件のうち、片方だけが先に消えた。制度が負担していた重さは、制度が消えたあとに残った者が引き受けるほかない。その順序を、1998年12月1日のKDDは示している。Yutaka Sugiura, 2026年7月参考文献参考文献参考会社銀行八十年史(1955年)「日本会社史 国際電信電話」日経ビジネス 1979年11月5日号日経ビジネス 1987年6月8日号日本産業史 第4巻(情報・通信・サービス)「通信-情報通信産業の誕生」日本法令索引(国立国会図書館)「国際電信電話株式会社法 昭和27年8月7日法律第301号」次に読む決断KDDの意思決定1997年KDDKDDルートKDDの国内延伸企業向け国内電話への参入と、列島周回海底ケーブルの敷設1997年1998年KDDKDDテレウェイの吸収合併同業他社の吸収と商号のKDD株式会社への変更1998年同じ問い:収益モデルの転換1999年トリドールHDトリドールHD「とりどーる」へ転換洋風居酒屋から和風焼き鳥ファミリーダイニングへの業態転換1999年1999年松井証券松井証券「ボックスレート」導入定額制手数料への転換と、当初案7割引から9割引への引き下げ1999年1997年シップヘルスケアHDシップヘルスケアHDSPD主体へ転換医療コンサルと写真フィルム販売から、院内物流代行を主軸とする体制への転換1997年1996年キッコーマンキッコーマンプロダクトマネジャー制導入商品ごとに責任者を配置する体制づくりを通じた、事業運営の方針転換1996年1996年オリエンタルランドオリエンタルランド東京ディズニーシーの建設決定第2パークとホテル・モノレールの同時建設による滞在型への移行1996年×出所