焼き鳥居酒屋から洋風居酒屋、そして和風焼き鳥のファミリーダイニングへという一連の掛け替えは、業態を定めきれない迷走とだけ読むと芯を外す。深夜に二軒目・三軒目の客を相手にする酒場では単価が伸びず、事業の基盤が細いという壁を、粟田氏は早くから抱えていた。とりどーるへの転換は、その壁を、家族連れが昼から使える業態へ客層を広げることで越えようとした試みだったと推察される。
もっとも、とりどーる自体が同社を支えたわけではない。家族向けへ転換した翌年に丸亀製麺を掘り当て、会社の顔はうどんへ移り、焼き鳥のファミリーダイニングは主役の座には届かなかった。ただ、客の前で調理を見せ、郊外に構えて家族連れを昼から迎えるという型は、丸亀製麺の店づくりへ引き継がれた。業態そのものより、客が何に価値を感じるかを掴み直す作業に、次の主力を用意する鍵があったと思われる。