「とりどーる」へ転換(1999年・トリドールHDの決断)

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論点居酒屋から家族向け業態へ転換するか
トリドールHD:業績の推移
売上高(億円)親会社株主に帰属する当期純利益率(%)
洋風居酒屋から和風焼き鳥ファミリーダイニングへの業態転換

何をなぜ決めたか:洋風居酒屋から和風焼き鳥ファミリーダイニングへの業態転換

概要

1999年3月、粟田貴也氏が率いるトリドールは、洋風居酒屋"トリドール"を和風焼き鳥のファミリーダイニング"とりどーる"へ転換し、前年に開いた"日の出食堂"もとりどーるへ名称を統一した。深夜客に依存する居酒屋から、家族連れが昼も使える業態へ主力を組み替える判断であった。

背景

1985年に加古川市の八坪の焼き鳥居酒屋として出発した同社は、深夜営業で食いつなぐ夜の酒場の限界を抱えていた。二軒目・三軒目に立ち寄る深夜客は単価が低く、1990年代を通じて洋風居酒屋トリドールへ姿を変えつつ、次の業態を模索していた。

内容

1998年4月に和風焼き鳥ファミリーダイニング"日の出食堂"を出店して家族層向け業態を試し、1999年3月に洋風居酒屋トリドールをとりどーるへ全面転換した。炭火の焼き鳥を家族連れに供する昼夜兼用の業態へ、店の看板を掛け替えた。

含意

とりどーる自体は主力に育たなかったが、翌2000年に丸亀製麺を掘り当てる助走になった。客の前で調理を見せ郊外で家族連れを迎える型は、店内で粉から麺を打つ丸亀製麺の店づくりへ引き継がれた。

いつ何が起きたか6件
考察:業態を替えるということ
考察

考察:業態を替えるということ

焼き鳥居酒屋から洋風居酒屋、そして和風焼き鳥のファミリーダイニングへという一連の掛け替えは、業態を定めきれない迷走とだけ読むと芯を外す。深夜に二軒目・三軒目の客を相手にする酒場では単価が伸びず、事業の基盤が細いという壁を、粟田氏は早くから抱えていた。とりどーるへの転換は、その壁を、家族連れが昼から使える業態へ客層を広げることで越えようとした試みだったと推察される。

もっとも、とりどーる自体が同社を支えたわけではない。家族向けへ転換した翌年に丸亀製麺を掘り当て、会社の顔はうどんへ移り、焼き鳥のファミリーダイニングは主役の座には届かなかった。ただ、客の前で調理を見せ、郊外に構えて家族連れを昼から迎えるという型は、丸亀製麺の店づくりへ引き継がれた。業態そのものより、客が何に価値を感じるかを掴み直す作業に、次の主力を用意する鍵があったと思われる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月
参考文献

参考文献

参考
  • トリドールホールディングス 有価証券報告書【沿革】

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