日本マクドナルドの決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

値段の置きどころと米本社との資本関係が、そのつど会社の形を決めてきた。1984年に外食産業で国内初の売上高1000億円を超えたのち、都市部の出店余地が狭まると、1994年に藤田氏は主力ハンバーガーの価格破壊を断行する。定価は210円から2002年の59円まで約4分の1へ落ち、客数は伸びたが客単価の低下が2002・2003年の2期連続赤字を招いた。これを受けて2003年には藤田商店と米本社が提携を解消し、経営権を失った藤田家に代わって米本社が招いた原田泳幸氏が2004年以降直営店をFCオーナーへ売却して店舗資産を圧縮した。値下げも店の売却も、効くのは一度きりで、使い切れば次の一手がない点は同じだった。

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