原田泳幸氏がCEOに就任
藤田体制の終焉と日本マクドナルドの構造的課題
2004年時点の日本マクドナルドは、事業面と資本面の双方で構造的な課題を抱えていた。事業面では、2000年代前半の低価格路線が行き詰まり、BSE問題による牛肉消費の減少も重なって業績が低迷した。特に、1990年代の大量出店によって老朽化した店舗や効率の悪い立地の店舗が多数存在しており、全体の収益性を押し下げる要因となっていた。
資本面では、2003年に実質創業者である藤田田氏が逝去し、藤田商店の経営への影響力が消失した。藤田家が保有していた日本マクドナルドの株式は米マクドナルド本社に移り、日本法人の経営権は実質的に米国本社の手に渡った。創業以来30年にわたって続いた藤田体制が終わり、誰が日本マクドナルドの経営を担うのかという問題が浮上した。
異業種からのプロ経営者を登用
米マクドナルド本社は日本法人の経営刷新を図り、アップルコンピュータ日本法人の社長を歴任した原田泳幸氏をCEOに任命した。原田氏はIT業界出身であり、日本NCR、横河HP、シュルンベルジェを経てアップルに入社した経歴を持つ。外食産業とは無縁の人物であったが、「CEOは職種である」という原田氏自身の信念のもと、業界の垣根を越えた経営者登用が実現した。
この人事は、日本マクドナルドの生え抜き役員ではなく全くの外部人材を社長に据えることで、藤田商店時代の慣行からの決別を意図したものであった。原田氏は2004年に代表取締役副会長兼CEOとして就任し、翌2005年には代表取締役会長兼社長兼CEOに就任した。以後、2014年の退任まで11年にわたって日本マクドナルドの経営に携わることとなった。
経営方針の転換と「戦略のナビゲーション」
原田CEOは就任後、日本マクドナルドの経営方針を大きく転換した。藤田時代に進めた低価格路線からの脱却を掲げ、高単価商品の開発、不採算店舗の閉鎖、直営店のフランチャイズ転換といった施策を打ち出した。原田氏は自らの経営手法を「戦略のナビゲーション」と表現し、全社員に明確なゴールを示した上で、そこに至るステップを具体的に伝えてリードする手法を採った。
原田体制の前半期には高単価商品のヒットや店舗改革によって業績が回復したが、後半期には高単価商品の不発やクーポン依存の常態化により再び業績が悪化した。2013年度に大幅減益に陥り、2014年に原田氏はCEOを退任した。異業種出身のプロ経営者が外食チェーンを率いた11年間は、前半の改革成果と後半の失速という二つの局面に分かれる形となった。
藤田田の逝去により藤田商店の株式が米マクドナルドに移った時点で、日本法人の経営権は米本社に帰属した。米本社が生え抜き幹部ではなく異業種の外部人材を選んだのは、経営能力の評価以上に、藤田体制30年の慣行と決別する象徴的な人事が必要だったためと推定される。「CEOは職種である」という原田氏の自己認識は、逆に言えば業界知識を持たない経営者がどこまで外食産業の構造的課題に踏み込めるかという問いを最初から内包していた。