重要な意思決定
19715月

日本マクドナルドを設立

背景

外食産業の資本自由化とファストフード参入ブーム

1969年、日本政府は第二次資本自由化を実施し、外食産業における海外企業の合弁による日本進出が解禁された。米国ではハンバーガーやフライドチキンといったファストフードが巨大な外食チェーンに成長しており、日本市場への参入機会を窺っていた。1970年にはダイエー系のドムドムバーガーが町田に1号店を開き、同年に三菱商事が米ケンタッキーと提携して名古屋で出店するなど、大手企業が次々と外食分野に参入し始めた。

当時の日本では食の洋風化が進行途上にあり、外食産業そのものが急成長するという見通しが広く共有されていた。中小企業が群雄割拠してきた外食産業に大企業が参入する時代が到来し、外資との合弁、独自資本による展開、個人商店からのチェーン化など、参入形態は多様であった。ハンバーガー市場は未開拓であるがゆえに潜在需要が大きいとみなされ、複数の企業が同時期に参入を決めた。

決断

藤田田氏が米マクドナルドとの合弁を実現

輸入雑貨商・藤田商店を経営する藤田田氏は、米マクドナルドの業務システムに着目した。必要なスキルをマニュアル化し、経験の浅い人材でも短期間で店舗運営を習得できる仕組みは、徒弟制度が中心だった日本の外食産業において真新しいものであった。藤田氏は米マクドナルドに日本展開の提携を申し入れたが、米国側は当初ダイエーなどの大手企業との合弁を模索していた。

しかし、ダイエーが出資比率51%にこだわったために交渉が破談し、ハンバーガーという未知の商品に関心を示す企業も少なかった。結果として藤田氏に有利な条件で交渉が進み、通常5%のロイヤリティを1%に、契約期間を30年に設定することに成功した。1971年3月、藤田商店25%・第一製パン25%・米マクドナルド50%の出資比率で日本マクドナルドが設立され、資本金は5400万円であった。

結果

藤田田体制の確立と資本構造の再編

設立後まもなく資本政策の変更が行われた。藤田氏は材料メーカーの出資によって取引先が偏ることを懸念し、第一製パンの持株を買い取った。これにより日本マクドナルドは藤田商店と米マクドナルドの折半出資という形に再編された。藤田氏が社長に就任し、米国側は助言こそするものの日常経営の意思決定は日本側に一任される体制が築かれた。

この折半出資と経営一任の構造は、藤田氏が2003年頃に逝去するまでおよそ30年にわたって維持された。設立時に掲げた目標は東京都心部で1年以内に8〜10店舗の展開と年間売上高1億円であり、6000万円の設備投資が計画された。日本マクドナルドの実質的な創業者は藤田田氏であり、同社の経営スタイルを規定したのはこの設立時の合弁条件と資本構造であった。