創業者・正垣泰彦氏と本八幡の1号店
1967年7月、創業者の正垣泰彦氏が個人店舗[1]『レストラン・サイゼリヤ』を開いた[2]。東京理科大学物理学科の4年に在学中で、店を構えたのは市川市の本八幡、開店日は7月7日[3]の仏滅だったと正垣氏はふり返った。初めは大学の研究室に残るつもりでいたが、卒業論文のため国の研究所へ通ううち、これを一生やる仕事ではないと考えを変えた[4]。自分で何かを興すなら、ゼロから出発して大きくなれる食べ物屋がよいと判断し[5]、在学中の開業に踏み切った。ところが1年目の1968年4月8日の夜、店内でヤクザ同士がけんか[6]を始め、投げ合われた石油ストーブから火が出て店は全焼した[7]。
世界中の料理で食べ方が昔から変わらないのはイタリア料理だけで、その理由は調理に手間をかけなくてよいこと[8]にあり、素材をそのまま食べれば飽きが来ない[9]からだと正垣氏は語った。料理のうまい、まずいは素材で決まり、内訳は素材が80〜90%、温度と湿度の管理[10]が5〜10%、コック作業が5〜10%だというのが正垣氏の見立てだった。1998年の講演では、素材90%、保管管理5%、調理5%[11]と数字を置き直した。イタリア料理へ向かうもう一つの手がかりは市場の観察で、戦後最も伸びた食材はにんにく[12]だったが、唐辛子で辛くする道は札幌ラーメンが先行していた。次に130%の伸びを示していたトマト・スパゲティ[13]と溶けるチーズから、正垣氏はイタリア料理に行き着いた。イタリア料理のチェーンは世界のどこにもなく、米国のオリーブ・ガーデンも素材別ポーション[14]ではなく一皿完結だというのが正垣氏の見方だった。
サイゼリヤのメニューは全部5割引きだと、正垣氏は1993年時点で説明していた[15]。1993年の説明によれば、人が考えずに払う食べ物の額はタバコや雑誌の倍で、最も売れていた週刊少年ジャンプが190円、セブンスターが220円であり、1品単価を380円から440円の間に置けば[16]客は自然に来る。安い水準の目安は1000円のものなら500円以下だと正垣氏は説明した[17]。
1973年5月、将来の多店舗化を視野に入れ[18]、より一層の発展を図るために個人経営を法人化し、株式会社マリアーヌ商会を千葉県市川市に設立[19]し、資本金は100万円、券面額は500円[20]だった。1998年の講演で正垣泰彦社長は、イタリア料理を通して日本社会に生活の豊かさを提案することが会社の設立目的だ[21]と語った。
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| 1967〜1976年物理学出身者の実験と6〜7割引という賭け | 正垣泰彦氏が飲食店を個人開業 | ★ | ||
| 正垣泰彦 | イタリアンレストラン「サイゼリヤ」の経営を開始 | ★★ | ||
| 正垣泰彦 | 全品半額への値下げと低価格イタリア料理チェーンへの業態転換 1967年に千葉県市川市本八幡で開いた洋食店が数年の不振に沈んだのち、創業者の正垣泰彦が1975年ごろに全メニューを前の相場より6〜7割安い水準まで下げ、低価格のイタリア料理店へ業態を変えた判断。驚くほどの安さに客が集まり、看板のミラノ風ドリアを304円で売る後年の原型が固まった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 1977〜2002年首都圏ドミナントから東証上場・中国進出へ | 正垣泰彦 | 多店舗展開と同時に仕入を強化 | ★ | |
| 正垣泰彦 | ショッピングセンター業態に参入 | ★★ | ||
| 正垣泰彦 | 駅ビル業態に参入 | ★ | ||
| 正垣泰彦 | 商号をマリアーノに変更 | ★ | ||
| 正垣泰彦 | ハンディ端末によるオーダーエントリーシステム導入 | ★ | ||
| 正垣泰彦 | ロードサイド業態に参入 | ★ | ||
| 正垣泰彦 | 全国で多店舗展開を本格化 | ★ | ||
| 正垣泰彦 | サイゼリヤに商号変更 | ★ | ||
| 正垣泰彦 | 広告宣伝に注力しない体制へ | ★★ | ||
| 正垣泰彦 | 吉川工場を新設、本社を併設 | ★ | ||
| 正垣泰彦 | 日本証券業協会に株式を店頭登録 | ★ | ||
| 正垣泰彦 | 製造子会社SAIZERIYA AUSTRALIA PTY.LTD.を設立 | ★ | ||
| 正垣泰彦 | 神奈川工場を新設 | ★ | ||
| 2003〜2026年アジア海外展開と食材調達コスト構造の転換 | 正垣泰彦 | 兵庫工場を新設 | ★ | |
| 正垣泰彦 | 中国・上海への進出による低価格モデルの海外移植とアジア利益柱への反転 2003年、サイゼリヤが中国・上海に独資の子会社を設け、国内で磨いた低価格と製造直販の型を華人圏へ移した経営判断。当初は赤字が続いたが、赤字を織り込んで出店の密度を積み上げ、20年を経てアジア(中国中核)がグループの利益柱へ育った。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 堀埜一成 | 国内1000店舗を達成 | ★ | ||
| 堀埜一成 | 千葉工場を新設 | ★ | ||
| 堀埜一成 | 新業態で店舗開発(のちに撤退決定) | ★★ | ||
| 堀埜一成 | 監査等委員会設置会社へ移行 | ★ | ||
| 堀埜一成 | 国内外店舗数1500店舗を達成 | ★ | ||
| 堀埜一成 | 最終赤字に転落 | ★ | ||
| 松谷秀治 | 売上高は過去最高・利益は下方修正へ | ★ | ||
| 松谷秀治 | 朝食業態「朝サイゼ」を開始 | ★ |
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事実根拠:出所(サイゼリヤ)