1995

広告宣伝に注力しない体制へ

歴史的意義
テレビ放映の失敗が生んだ広告宣伝費0.3%の経営方針

100店舗到達時のテレビ露出がサービス崩壊と客離れを招いた経験は、サイゼリヤの広告宣伝に対する姿勢を決定的に変えた。売上高比率0.3%という広告費水準は外食産業では極端に低いが、その分を食材原価に振り向ける原価配分の設計は創業以来の「素材に投資する」方針と整合している。広告による一時的な集客よりも、品質改善による口コミの回復を選んだ判断は、オペレーション能力の限界を自覚した上での構造的な選択であった。

背景

テレビ放映が引き起こした集客の急増とサービス崩壊

1994年、100店舗体制に到達したサイゼリヤがテレビ番組で紹介された。翌日から各店舗に長蛇の列ができたが、急激な客数増加にオペレーションが追いつかず、サービス品質が低下した。苦情が殺到し、テレビの反響が収まると客足はぱったりと途絶えた。一時的な集客が店舗の処理能力を超え、既存顧客の信頼を毀損するという構造的な問題が露呈した出来事であった。

この経験から、正垣泰彦は広告宣伝による集客を根本的に否定する方針に転じた。価格を据え置いたまま食材の品質を高め、口コミで顧客が戻るのを待つという選択であった。実際に食材の見直しを一切宣伝しなかったにもかかわらず、客足は上昇基調に回復したという。

決断

広告宣伝費0.3%という異例の経営方針の確立

1997年8月期、サイゼリヤの売上高194億円に対して広告宣伝費はわずか0.6億円、売上高比率0.3%であった。外食産業において広告宣伝費比率が1〜3%程度とされる中で、サイゼリヤの0.3%は極端に低い水準であった。広告に投じない資金を食材原価に振り向けるという原価配分の設計は、創業期から一貫する「素材に投資する」方針の延長であった。

広告宣伝に頼らない集客モデルは、1990年代後半を通じて機能した。顧客数は徐々に増加し、売上高は拡大を続けた。1998年4月にサイゼリヤは株式を店頭登録し、1999年7月に東証2部、2000年8月に東証1部へと上場を果たした。テレビ放映の失敗が、結果として広告費を食材原価に振り向ける独自の経営モデルを確立する契機となった。