重要な意思決定
多店舗展開と同時に仕入を強化
背景
首都圏ドミナントで認知を積み上げた慎重な出店設計
1977年12月、サイゼリヤは千葉県に「市川北口店」を開業し、多店舗展開に踏み出した。ただし全国展開は志向せず、需要の厚い首都圏に限定したドミナント戦略を採った。1979年5月に東京都第1号店(小岩蔵前店)、1981年4月にはショッピングセンター向け1号店(船橋ららぽーと)を出店し、1988年11月までに20店舗体制を築いた。広告宣伝に頼らず、特定地域に集中して口コミで認知を広げるという方針は、創業期の経験に根ざしていた。
1987年10月にはオーダーエントリーシステムを自社開発し、店舗オペレーションの標準化に着手した。1989年にはロードサイド型(柏水戸街道店)と郊外型(ジャスコ北戸田店)への出店を開始し、立地の幅を広げた。首都圏での12年間は、サイゼリヤが全国展開に移行するための店舗運営ノウハウと食材調達体制を整える助走期間であった。
決断
イタリア料理特化による食材調達の集約と産業化
多店舗展開と並行して、創業者の正垣泰彦はイタリア料理の「産業化」を志向した。美味しさの80〜90%は素材で決まるという創業期の仮説に基づき、イタリアなどの海外から食材を直接輸入する体制を段階的に構築した。チーズ、トマト、オリーブオイル、ワインといったイタリア料理の基幹食材は品目が限定されるため、まとまった量での調達が可能であった。
多種多様なメニューを提供する一般的なファミリーレストランでは食材の品目が分散し、個々の調達量が小さくなる。イタリア料理に特化したサイゼリヤは、この構造的な違いを仕入れの競争優位に転換した。1980年代を通じた円高の進行も追い風となり、輸入食材の調達コストは低下していった。この食材調達体制は、のちのオーストラリア自社工場や福島の自社農場へと発展する基盤となった。