客からご飯ものを求める声が増えると、調理の手間が少ないカレーに目を付けたが、業者が持ち込む業務用の缶詰カレーは味に納得できず、自分たちで作った家庭的な味のカレーを出すことにした。[1]この味がその後の壱番屋の味のベースになった。
1978年1月、名古屋市郊外に『カレーハウスCoCo壱番屋』1号店の西枇杷島店を開いた[2]。屋号はカレーなら『ここが一番や』に由来する。ライスの量や辛さを客が選べる注文方式をこの頃に採り入れ、のちにご飯は300グラムを標準に100グラム刻み、辛さは10辛まで、トッピング約40種という独自のカスタマイズ方式に育った。1980年4月にフランチャイズ1号店の稲沢国府宮店を開き、1982年7月に株式会社壱番屋を設立[3]、1983年7月には愛知県一宮市に新社屋とセントラルキッチンを構えた。
店舗網の拡大を支えたのは、1981年1月に発足した社員のれん分け制度[4]『ブルームシステム』である。正社員として入社し直営店やオーナー店で修業を積んだ社員に、夫婦での開業を原則として独立を認める仕組みで、一般からのフランチャイズ加盟は1995年6月に打ち切り、店を任せる相手を社内で育てた人材に絞った[5]。店舗数は1988年12月に国内100店に達した[6]。
社是は『ニコニコ、キビキビ、ハキハキ』[引用元]。誰にでもできる接客の基本を徹底することが、値引きをしない経営の裏付けになった。宗次徳二氏は毎朝5時ごろに出社し、店頭に置いたアンケートはがき──多い時期で1日1,000通以上、月間3万通前後[7]が社長室に届いた──へ2〜3時間かけて目を通し、苦情にはコメントを付けて加盟店オーナーへファクスで送った。1日5〜6店の店舗巡回も日課で、同業者との会食は最小限にとどめた。全国54名のスーパーバイザーによる月1回以上の店舗評価や[8]、本部社員が客として店を点検する社員モニター制度など、フランチャイズでも質を保つ仕組みを幾重にも重ねた。
1994年6月にはハワイ・オアフ島に海外1号店[9]を開いた。ただ、この業態で開発した『とび辛スパイス』はCoCo壱番屋の店頭に残っている。供給面では1983年稼働の愛知に加えて、1997年10月に佐賀工場、1999年8月に栃木工場[10]を建て、工場で作って急速冷凍したカレーソースを全国の営業拠点から毎日配送する体制を整え、1,000店規模の出店に備えた。
https://the-shashi.com/api/companies.json https://the-shashi.com/api/7630/manifest.json https://the-shashi.com/api/7630/history.json https://the-shashi.com/api/7630/timeline.json https://the-shashi.com/api/7630/executives.json https://the-shashi.com/api/7630/shareholders.json https://the-shashi.com/api/7630/financials.json https://the-shashi.com/api/7630/financials-longterm.json https://the-shashi.com/api/7630/regions.json https://the-shashi.com/api/7630/workforce.json | 時代 | 年月 | 社長・CEO | 出来事 | 重要度 |
|---|---|---|---|---|
| 1974〜1997年喫茶店のカレーから郊外チェーンへ──宗次夫妻の創業とブルームシステム | 「カレーハウスCoCo壱番屋 西枇杷島店」を1号店としてオープン | ★★ | ||
| チェーン本部が完成 | ★ | |||
| フランチャイズ1号店「カレーハウスCoCo壱番屋 稲沢国府宮店」を開店 | ★★ | |||
| 社員のれん分け制度「ブルームシステム(BS)」が発足 | ★★ | |||
| 壱番屋を設立 | ★ | |||
| 新社屋・セントラルキッチンを竣工 | ★ | |||
| 国内100店舗を達成 | ★ | |||
| 本社を竣工移転 | ★ | |||
| ハワイ・オアフ島に「カレーハウスCoCo壱番屋」海外1号店をオープン | ★★ | |||
| 佐賀工場を竣工 | ★ | |||
| 1998〜2014年2000年店頭公開と創業家からの承継──国内1000店とアジア進出 | 栃木工場を竣工 | ★ | ||
| 株式の店頭公開と創業者夫妻の引退、生え抜き社長への経営承継 上場を勧める証券会社を断り続けてきた宗次徳二氏は、1998年に社長を妻の直美氏へ譲って会長に退き、2000年2月に株式を店頭公開した。2001年秋には副社長の浜島俊哉氏からの申し出を受けて後継者に指名し、2002年6月に夫妻そろって経営から退いた。創業者が53歳で会社を離れた承継であった。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 浜島俊哉 | あんかけスパゲッティ専門店「パスタ・デ・ココ」1号店をオープン | ★ | ||
| 浜島俊哉 | 「カレーハウスCoCo壱番屋」中国1号店をオープン | ★ | ||
| 浜島俊哉 | 国内・海外あわせ1,000店舗を達成 | ★ | ||
| 浜島俊哉 | 子会社「イチバンヤUSA INC.」を設立 | ★ | ||
| 浜島俊哉 | 「カレーハウスCoCo壱番屋」米国本土1号店をオープン | ★ | ||
| 浜島俊哉 | 海外100店舗を達成 | ★ | ||
| 浜島俊哉 | 栃木工場にてレトルト製造ラインが本稼働を開始 | ★ | ||
| 2015〜2019年ハウス食品グループ入り──創業家の株式譲渡と中国・台湾の直営化 | 浜島俊哉 | 創業家保有株23.17%のハウス食品グループ本社への譲渡と、同社の連結子会社化 2015年10月30日、ハウス食品グループ本社が壱番屋株式の公開買付けを発表し、同年12月に所有割合を51.00%へ引き上げて壱番屋を連結子会社とした。創業者の宗次徳二氏と直美氏、資産管理会社の有限会社ベストライフは保有する23.17%すべてを応募し、創業家は資本からも退いた。 詳細を読む | ★★★ | |
| 浜島俊哉 | ハウスレストラン管理(上海)と台湾カレーハウスレストランを子会社化 | ★★ | ||
| 2020〜2026年コロナ禍からの回復とM&A多角化──カレー専業からの業容拡大 | 葛原守 | エージーピーより植物工場を事業譲受 | ★ | |
| 葛原守 | 大黒商事を取得し子会社化 | ★ | ||
| 葛原守 | 東京・京橋に「CURRY HOUSE CoCoICHIBANYA WORLD」1号店を開店 | ★ | ||
| 葛原守 | ラーメン・もつ鍋店の連続買収とカレーパン専門店の開業による業容の拡大 壱番屋は2022年10月に海外店の仕様を逆輸入した『CURRY HOUSE CoCoICHIBANYA WORLD』、同年12月にカレーパン専門店『SPICE UP! COCOICHI BAKERY』を開いたのに続き、2023年3月にラーメン・つけ麺の竹井、同年12月にもつ鍋のLFD JAPANを買収した。カレー専業の会社が他社の飲食ブランドを取り込み始めた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 葛原守 | 親会社による非公開化の検討と、上場子会社としての11年 2026年8月31日、親会社であるハウス食品グループ本社が「当社に関する一部報道について」を開示した。同日の日本経済新聞電子版が同社による壱番屋株式の売却を含む壱番屋の非公開化を報じたことを受けたもので、報道は当社が公表したものではないとしたうえで、企業価値及び株式価値の向上に向けて壱番屋の非公開化を含むあらゆる選択肢の検討を行っており、現時点において具体的に決定した事実はない、と表明した。 詳細を読む | ★★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(壱番屋)