壱番屋 の歴史

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創業 1974年
創業者 宗次徳二・宗次直美
創業地 愛知県名古屋市
創業
1974年、宗次徳二・直美夫妻が名古屋市内で喫茶店を開業した。業者の業務用缶詰カレーを退け、自分たちで作った家庭的な味を出したことが、のちの壱番屋の味の原型になる。1978年1月、名古屋市郊外に『カレーハウスCoCo壱番屋』1号店の西枇杷島店を開店。ライスの量と辛さを客が選ぶ注文方式もこの時期に生まれた。1980年4月にフランチャイズ1号店、1982年7月に株式会社壱番屋を設立、1983年7月には一宮市にセントラルキッチンを構える。出発点は喫茶店の一品であり、はじめからカレー専門店として設計された事業ではなかった。
決断
店は社員に持たせ、味と運営の基準は本部が握り続けてきた。1981年1月発足の社員のれん分け制度『ブルームシステム』は、直営店で修業した正社員に夫婦での独立を認める仕組みで、1995年6月には一般からのフランチャイズ加盟を打ち切り、店を任せる相手を社内の人材に絞った。一方で味は手放さず、工場で急速冷凍したカレーソースを毎日配送する体制を敷いた。2000年2月に株式を店頭公開して創業者夫妻が経営から退いたのちも、2015年12月にルウの供給元だったハウス食品グループ本社の子会社となったのちも、この分担は動かしていない。自ら店を増やすのではなく、独立した夫婦にソースと運営基準を供給することで店舗網を伸ばしてきた。
現況
カレー専業から、外食ブランドを買収して傘下に置く会社へ移りつつある。2026年2月期の連結売上高は655億円で、国内が84%を占め、3期連続で過去最高を更新した。ただし米などの仕入高騰を値上げで吸収しきれず、営業利益は47億円と前期比4.3%減り、コロナ前2020年2月期の52億円を下回る。国内既存店は客単価4.2%増、客数3.5%減。2020年末から外部の飲食ブランドを買収して自社の生産・出店網へ載せ、ジンギスカン・ラーメン・もつ鍋・夜パフェの4業態が国内50店まで増えたが、営業利益は3.5億円にとどまり、CoCo壱番屋1,205店と海外218店に次ぐ収益源にはまだ遠い。
競合
争う相手はカレー店ではない。2013年1月に『世界で最も大きいカレーレストランのチェーン店』としてギネス世界記録に認定されて以来、店舗数で並ぶ同業は現れず、奪い合っているのは外食全体の来店頻度である。価格で回転を上げた全品半額へ踏み切ったサイゼリヤや、直営店を加盟店へ移して身軽になった日本マクドナルドに対し、壱番屋は社員の独立で店を増やし、巡回評価で加盟店の接客をそろえてきた。カレー粉を自ら作る側へ回って日本のカレーを広げたハウス食品の傘下に入った現在、取りに行くのは家で作るカレーの外側に残る外食需要であり、そのためにカレー以外の看板まで買収している。
壱番屋:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2003年5月期2026年2月期

創業ストーリー 喫茶店のカレーから郊外チェーンへ──宗次夫妻の創業とブルームシステム (1974年〜)

喫茶バッカスの家庭的カレーとCoCo壱番屋1号店

客からご飯ものを求める声が増えると、調理の手間が少ないカレーに目を付けたが、業者が持ち込む業務用の缶詰カレーは味に納得できず、自分たちで作った家庭的な味のカレーを出すことにした。[1]この味がその後の壱番屋の味のベースになった。

  • 証券アナリストジャーナル 2000年3月号
    • [1]愛知の喫茶文化への問題意識から接客サービスで差別化し、業務用缶詰カレーを退けて自家製の家庭的カレーを採用した

1978年1月、名古屋市郊外に『カレーハウスCoCo壱番屋』1号店の西枇杷島店を開いた[2]。屋号はカレーなら『ここが一番や』に由来する。ライスの量や辛さを客が選べる注文方式をこの頃に採り入れ、のちにご飯は300グラムを標準に100グラム刻み、辛さは10辛まで、トッピング約40種という独自のカスタマイズ方式に育った。1980年4月にフランチャイズ1号店の稲沢国府宮店を開き、1982年7月に株式会社壱番屋を設立[3]、1983年7月には愛知県一宮市に新社屋とセントラルキッチンを構えた。

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [2]1978年1月に名古屋市郊外の西枇杷島店を1号店として開店した
    • [3]1980年4月にFC1号店の稲沢国府宮店を開店、1982年7月に株式会社壱番屋を設立、1983年7月に一宮市へ新社屋とセントラルキッチンを竣工した

店舗網の拡大を支えたのは、1981年1月に発足した社員のれん分け制度[4]『ブルームシステム』である。正社員として入社し直営店やオーナー店で修業を積んだ社員に、夫婦での開業を原則として独立を認める仕組みで、一般からのフランチャイズ加盟は1995年6月に打ち切り、店を任せる相手を社内で育てた人材に絞った[5]。店舗数は1988年12月に国内100店に達した[6]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [4]1981年1月に社員のれん分け制度ブルームシステムが発足した
    • [6]1988年12月に国内100店舗を達成した
  • 証券アナリストジャーナル 2000年3月号
    • [5]CoCo壱番屋の一般FC加盟は1995年(平成7年)6月に打ち切った
  • 証券アナリストジャーナル 2000年3月号
    • [1]愛知の喫茶文化への問題意識から接客サービスで差別化し、業務用缶詰カレーを退けて自家製の家庭的カレーを採用した
    • [5]CoCo壱番屋の一般FC加盟は1995年(平成7年)6月に打ち切った
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [2]1978年1月に名古屋市郊外の西枇杷島店を1号店として開店した
    • [3]1980年4月にFC1号店の稲沢国府宮店を開店、1982年7月に株式会社壱番屋を設立、1983年7月に一宮市へ新社屋とセントラルキッチンを竣工した
    • [4]1981年1月に社員のれん分け制度ブルームシステムが発足した
    • [6]1988年12月に国内100店舗を達成した

「ニコ・キビ・ハキ」と超現場主義の店舗運営

社是は『ニコニコ、キビキビ、ハキハキ』[引用元]。誰にでもできる接客の基本を徹底することが、値引きをしない経営の裏付けになった。宗次徳二氏は毎朝5時ごろに出社し、店頭に置いたアンケートはがき──多い時期で1日1,000通以上、月間3万通前後[7]が社長室に届いた──へ2〜3時間かけて目を通し、苦情にはコメントを付けて加盟店オーナーへファクスで送った。1日5〜6店の店舗巡回も日課で、同業者との会食は最小限にとどめた。全国54名のスーパーバイザーによる月1回以上の店舗評価や[8]、本部社員が客として店を点検する社員モニター制度など、フランチャイズでも質を保つ仕組みを幾重にも重ねた。

  • 証券アナリストジャーナル 2000年3月号
    • [7]アンケートはがきは1日1,000通以上・月間3万通前後が届き、宗次徳二氏が毎朝分類・確認していた
    • [8]スーパーバイザーは全国54名で月1回以上店舗を巡回評価し、社員モニター制度を併用していた

1994年6月にはハワイ・オアフ島に海外1号店[9]を開いた。ただ、この業態で開発した『とび辛スパイス』はCoCo壱番屋の店頭に残っている。供給面では1983年稼働の愛知に加えて、1997年10月に佐賀工場、1999年8月に栃木工場[10]を建て、工場で作って急速冷凍したカレーソースを全国の営業拠点から毎日配送する体制を整え、1,000店規模の出店に備えた。

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [9]1994年6月にハワイ・オアフ島へ海外1号店を開店した
    • [10]1997年10月に佐賀工場、1999年8月に栃木工場を竣工した
  • 証券アナリストジャーナル 2000年3月号
    • [7]アンケートはがきは1日1,000通以上・月間3万通前後が届き、宗次徳二氏が毎朝分類・確認していた
    • [8]スーパーバイザーは全国54名で月1回以上店舗を巡回評価し、社員モニター制度を併用していた
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [9]1994年6月にハワイ・オアフ島へ海外1号店を開店した
    • [10]1997年10月に佐賀工場、1999年8月に栃木工場を竣工した

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壱番屋の沿革1978〜2026年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1974〜1997年喫茶店のカレーから郊外チェーンへ──宗次夫妻の創業とブルームシステム「カレーハウスCoCo壱番屋 西枇杷島店」を1号店としてオープン★★
チェーン本部が完成
フランチャイズ1号店「カレーハウスCoCo壱番屋 稲沢国府宮店」を開店★★
社員のれん分け制度「ブルームシステム(BS)」が発足★★
壱番屋を設立
新社屋・セントラルキッチンを竣工
国内100店舗を達成
本社を竣工移転
ハワイ・オアフ島に「カレーハウスCoCo壱番屋」海外1号店をオープン★★
佐賀工場を竣工
1998〜2014年2000年店頭公開と創業家からの承継──国内1000店とアジア進出栃木工場を竣工
株式の店頭公開と創業者夫妻の引退、生え抜き社長への経営承継

上場を勧める証券会社を断り続けてきた宗次徳二氏は、1998年に社長を妻の直美氏へ譲って会長に退き、2000年2月に株式を店頭公開した。2001年秋には副社長の浜島俊哉氏からの申し出を受けて後継者に指名し、2002年6月に夫妻そろって経営から退いた。創業者が53歳で会社を離れた承継であった。

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★★★
浜島俊哉あんかけスパゲッティ専門店「パスタ・デ・ココ」1号店をオープン
浜島俊哉「カレーハウスCoCo壱番屋」中国1号店をオープン
浜島俊哉国内・海外あわせ1,000店舗を達成
浜島俊哉子会社「イチバンヤUSA INC.」を設立
浜島俊哉「カレーハウスCoCo壱番屋」米国本土1号店をオープン
浜島俊哉海外100店舗を達成
浜島俊哉栃木工場にてレトルト製造ラインが本稼働を開始
2015〜2019年ハウス食品グループ入り──創業家の株式譲渡と中国・台湾の直営化浜島俊哉創業家保有株23.17%のハウス食品グループ本社への譲渡と、同社の連結子会社化

2015年10月30日、ハウス食品グループ本社が壱番屋株式の公開買付けを発表し、同年12月に所有割合を51.00%へ引き上げて壱番屋を連結子会社とした。創業者の宗次徳二氏と直美氏、資産管理会社の有限会社ベストライフは保有する23.17%すべてを応募し、創業家は資本からも退いた。

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★★★
浜島俊哉ハウスレストラン管理(上海)と台湾カレーハウスレストランを子会社化★★
2020〜2026年コロナ禍からの回復とM&A多角化──カレー専業からの業容拡大葛原守エージーピーより植物工場を事業譲受
葛原守大黒商事を取得し子会社化
葛原守東京・京橋に「CURRY HOUSE CoCoICHIBANYA WORLD」1号店を開店
葛原守ラーメン・もつ鍋店の連続買収とカレーパン専門店の開業による業容の拡大

壱番屋は2022年10月に海外店の仕様を逆輸入した『CURRY HOUSE CoCoICHIBANYA WORLD』、同年12月にカレーパン専門店『SPICE UP! COCOICHI BAKERY』を開いたのに続き、2023年3月にラーメン・つけ麺の竹井、同年12月にもつ鍋のLFD JAPANを買収した。カレー専業の会社が他社の飲食ブランドを取り込み始めた。

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★★★
葛原守親会社による非公開化の検討と、上場子会社としての11年

2026年8月31日、親会社であるハウス食品グループ本社が「当社に関する一部報道について」を開示した。同日の日本経済新聞電子版が同社による壱番屋株式の売却を含む壱番屋の非公開化を報じたことを受けたもので、報道は当社が公表したものではないとしたうえで、企業価値及び株式価値の向上に向けて壱番屋の非公開化を含むあらゆる選択肢の検討を行っており、現時点において具体的に決定した事実はない、と表明した。

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★★
出典・参考
  • 有価証券報告書【沿革】
  • 証券アナリストジャーナル 2000年3月号

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