直営店のフランチャイズ転換による資産圧縮

店を売って得た利益は「改革」か「資産処分」か——原田泳幸の10年が会計に残した問い

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時期 2007年12月
意思決定者 原田泳幸 会長兼社長
論点 事業構造と会計表現
概要
2004年から2013年にかけて、日本マクドナルドの原田泳幸会長兼社長兼CEOが、直営店を有力なフランチャイズ(FC)オーナーへ売却して店舗に占めるFC比率を高め、本社の投資と人件費を絞った経営判断。1,400店を超える直営店をFCへ移し、店舗資産を圧縮した。
背景
藤田田体制の大量出店で積み上げた直営中心の店舗網は、本社に固定資産と人件費が重くのしかかっていた。2002・2003年の連結赤字を経て外部から招かれた原田は、QSC第一主義の再建と並行して、この重い資産を軽くする課題に向き合った。
内容
直営店をFCオーナーへ売り、FC比率を高めた。本社の投資を抑え、多店舗を担うオーナーにFCの財務基盤を委ねる狙いに加え、店を帳簿価額より高く売った売却益が業績を下支えした。2008年12月期の店舗売却益は43億円で、連結営業利益の2割強を占めた。
含意
売却益は2005〜2011年の連続増益に寄与したが、売れる直営店が尽きた2013年に連結営業利益は115億円へ急落した。本業を磨いた利益と資産を処分した利益が同じ営業利益に混ざり、立て直しの遅れが見えにくくなった。改革と資産処分の境界を、会計表現が曖昧にした。
筆者の見解

「改革」と「資産処分」の境界

原田の10年がもたらした変化は、二つの顔を持っていた。一つは、直営中心の重い体制を軽くし、FCオーナーへ運営を委ねて本社の投資と人件費を絞る事業構造の組み替えである。もう一つは、直営店という資産を売って利益を生む資産処分だった。前者は事業を続けるための改革であり、後者は一度きりで尽きる利益にすぎない。問題は、この二つが同じ営業利益の一行に溶け合い、外からは見分けにくかった点にある。増益が続くあいだ、本業の実力と資産売却の利益は区別されないまま、好調な数字として読まれていた。

資産処分そのものが誤りだったわけではない。重い直営体制を軽くする判断には合理があり、FC化は世界のマクドナルドに共通する方針でもあった。問われるのは、売却益が本業の稼ぐ力を覆い隠し、立て直しの遅れを見えにくくした点にある。売れる店が尽きた2013年に利益が急落し、翌年の鶏肉問題で赤字へ転じたとき、隠れていた本業の弱さがまとめて表に出た。改革と資産処分の境界を会計の表現が曖昧にするとき、投資家も経営者自身も、事業の実力を測りそこねる。原田の10年は、その危うさを一社の決算に刻んでいる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

直営店を積み上げた店舗網と、外部から来た再建経営者

日本マクドナルドは、創業者・藤田田のもとで直営店を軸に店舗網を広げ、2004年には直営とフランチャイズ(FC)を合わせて約3,800店を数えた。1990年代の低価格路線の反動で客単価が落ち込み、2002年12月期と2003年12月期は連結で純損失を計上した。藤田家が経営から退いたあと、2004年にアップル日本法人トップだった原田泳幸が外部から招かれ、翌2005年に会長兼社長兼CEOとして再建の指揮をとった。直営中心の店舗網は、本社に固定資産と人件費が重くのしかかる体質を抱えていた[1]

原田がまず据えたのは、品質・サービス・清潔さを指すQSCの立て直しだった。作り置きをやめて注文ごとに調理する「メイド・フォー・ユー」を広げ、就任1年目から既存店の売上を押し上げた。同時に原田は、店舗の拡大が人材の育成を上回ってきたと総括した。直営店を数多く抱える体制のもとで、本社は出店と改装の投資を負い、労務費を直接かかえ続けた。原田は、この重い資産をどう軽くするかという課題に向き合った[2]

決断

直営店をFCオーナーへ売る資産圧縮

原田が選んだのは、直営店を有力なFCオーナーへ売却し、店舗に占めるFCの比率を高める道だった。本社の投資を抑えつつ、多店舗を任せられるオーナーにFCの財務基盤を委ねる狙いがあった。2004年に直営2,686店・FC1,088店だった構成は、2014年には直営1,009店・FC2,084店へと逆転し、この間に直営からFCへ売却された店舗は1,400店を超えた。直営中心の会社は、10年をかけてFCが主役の会社へ組み替わった[3][4]

資産の圧縮は人員にも及んだ。直営店を手放すにつれて本社が抱える従業員は減り、連結の従業員数は2007年末の4,997人から2014年末には2,679人へと半減に近づいた。直営店の労務費も、同じ期間に1,166億円から517億円へ縮んだ。あわせて採算の合わない店を閉じ、店舗網を組み替えた。貸借対照表に載る店舗資産と、損益計算書に載る人件費の双方を軽くする作業が、原田の10年を貫いていた[5]

売却益という、もう一つの効果

直営店の売却には、資産を軽くする以上の効果があった。店を帳簿価額より高くFCオーナーへ売れば、その差額が売却益として利益に乗る。直営からFCへ転換した店舗が509店と過去最大だった2008年12月期には、店舗売却益が43億円に達し、連結営業利益の2割強を占めた。連結営業利益は2005年12月期の32億円から2011年12月期の282億円まで伸び続けたが、その増益には店を売って得た利益が織り込まれていた。本業で稼いだ利益と、資産を処分して得た利益が、同じ営業利益に混ざっていた[6][7]

結果

売却の一巡と業績の急落

売れる直営店には限りがある。2011年12月期に282億円でピークをつけた連結営業利益は、翌年から下がり、直営店の売却が一巡した2013年12月期には115億円へ急落した。売上高も、FC化が進むほど直営店の店頭売上が連結から外れるため、2008年12月期の4,063億円をピークに2013年12月期の2,604億円まで縮んだ。売却益が細り、店頭売上も連結から抜けるなかで、本業そのものの弱さが数字の表に現れ始めた[8]

そこへ、2014年の期限切れ鶏肉問題が重なった。取引先の中国工場が使用期限の切れた鶏肉を扱っていた事実が発覚し、客離れが一気に進んだ。2014年12月期は創業以来最悪の経常赤字79億円、翌2015年12月期は349億円の純損失に沈んだ。有力FCは2014年秋以降、次々と店舗を手放し、オーナーは本社への不信を募らせた。売上を回復させる力が本社にあるかが問われるなか、資産圧縮で支えてきた業績の土台の弱さが露わになった[9][10]

出典・参考