1951年〜 「水商売」を産業に変えると誓った創業者と、福岡空港から始まった多角化
- 1951年日本航空国内線の営業開始と同時に、福岡空港において機内食搭載と喫茶営業を開始
- 1951年福岡市堅粕で製菓・製パン業を開始し、株式会社ロイヤルベーカリーを設立
- 1953年福岡市東中洲にレストランを開業し、有限会社ロイヤルを設立
- 1955年アイスクリームの製造販売に着手
- 1956年ロイヤル株式会社(資本金1,000千円)を福岡市東中洲に設立
- 1962年セントラルキッチンシステム(集中調理方式)を採用し、業務用冷凍料理の製造に着手
- 1969年福岡市大字那珂に新本社・工場(ロイヤルセンター)が完成し、全部門を移転
ロイヤルホールディングスの業績推移:単体
出所:有価証券報告書等
米軍の御用商人から日本航空の機内食へ
ロイヤルホールディングスの出発点は、終戦直後の福岡にある。創業者の江頭匡一氏は「調理場にもぐり込めば、どう転んでも餓死しないだろう」と考えてコックになり、一年ほどで米軍春日原基地の御用商人に転じた。日用雑貨やパン、写真の現像を扱う商いは、1950年4月にキルロイ特殊貿易株式会社として法人になっている。ところが1955年に国税庁の査察を受け、当時の金額で1億円近い追徴を課された。その痛手のさなかに読んだ米国の外食チェーン創業者ハワード・ジョンソンの伝記が、江頭氏に「飲食業を産業にする」という生涯の目標を与えた。 [1][2][3][4]
- 日経ビジネス 1976年7月5日号「水商売を飲食産業に“調理”して成長」
- [1]創業者は江頭匡一で、終戦後に米軍の調理場でコックとなり、その後に春日原ベースの御用商人へ転じた
- [3]昭和30年(1955年)に国税庁の査察を受け、当時の金額で1億円近い追徴金を課された
- 有価証券報告書
- [2]1950年4月にキルロイ特殊貿易株式会社が設立された
- [4]米国の外食チェーン創業者ハワード・ジョンソンの伝記を読んだことが、飲食業の産業化という目標の契機になった
飲食業への足がかりは空港だった。1951年10月、日本航空が国内線の運航を始めるのと同時に、板付空港(現福岡空港)で機内食の搭載と喫茶営業を開始した。江頭氏によれば、資金難だった日本航空の福岡支店開設を当時の200万円で援助し、その見返りに機内食納入の権利を得たという。同年12月には福岡市堅粕でベーカリー工場を建て、製菓・製パン業も始めている。1953年11月には福岡市東中洲に本格的なフランス料理店ロイヤル中洲本店を開き、有限会社ロイヤルを設立した。開店から3か月後には、新婚旅行と米軍基地の慰問を兼ねて福岡を訪れた女優マリリン・モンローが来店している。 [5][6][7][8][9]
- 有価証券報告書
- [5]1951年10月、日本航空国内線の営業開始と同時に福岡空港で機内食搭載と喫茶営業を開始した
- [7]1951年12月に福岡市堅粕で製菓・製パン業を開始し、株式会社ロイヤルベーカリーを設立した
- [8]1953年11月に福岡市東中洲でレストランを開業し、有限会社ロイヤルを設立した
- 日経ビジネス 1976年7月5日号「水商売を飲食産業に“調理”して成長」
- [6]日本航空福岡支店の開設を当時の200万円で援助し、その見返りに機内食を納入することになった
- [9]ロイヤル中洲本店の開店から3か月後に、マリリン・モンローとジョー・ディマジオが来店した
1956年5月、資本金100万円でロイヤル株式会社を福岡市東中洲に設立した。同じ年にケーキの冷凍技術を開発して冷凍食品事業に着手しており、後の集中調理方式につながる技術の蓄積はここから始まっている。1959年には洋菓子売店を併設したファミリー向けレストラン、ロイヤル新天町店を福岡市の商店街に出した。空港の喫茶店、ベーカリー、フランス料理店、アイスクリーム、ファミリー向けレストランと、創業から十年足らずで扱う業態は五つに増えている。産業化という言葉を掲げる前に、江頭氏はまず食にまつわる仕事を手当たり次第に試していた。 [10][11][12]
- 有価証券報告書
- [10]1956年5月にロイヤル株式会社(資本金1,000千円)を福岡市東中洲に設立した
- [11]1955年2月にアイスクリームの製造販売に着手した
- [12]1956年にケーキの冷凍技術を開発し冷凍食品事業に着手、1959年に洋菓子売店を併設したロイヤル新天町店を出店した
- 日経ビジネス 1976年7月5日号「水商売を飲食産業に“調理”して成長」
- [1]創業者は江頭匡一で、終戦後に米軍の調理場でコックとなり、その後に春日原ベースの御用商人へ転じた
- [3]昭和30年(1955年)に国税庁の査察を受け、当時の金額で1億円近い追徴金を課された
- [6]日本航空福岡支店の開設を当時の200万円で援助し、その見返りに機内食を納入することになった
- 有価証券報告書
- [2]1950年4月にキルロイ特殊貿易株式会社が設立された
- [5]1951年10月、日本航空国内線の営業開始と同時に福岡空港で機内食搭載と喫茶営業を開始した
- [7]1951年12月に福岡市堅粕で製菓・製パン業を開始し、株式会社ロイヤルベーカリーを設立した
- [8]1953年11月に福岡市東中洲でレストランを開業し、有限会社ロイヤルを設立した
- [10]1956年5月にロイヤル株式会社(資本金1,000千円)を福岡市東中洲に設立した
- [11]1955年2月にアイスクリームの製造販売に着手した
- [4]米国の外食チェーン創業者ハワード・ジョンソンの伝記を読んだことが、飲食業の産業化という目標の契機になった
- [9]ロイヤル中洲本店の開店から3か月後に、マリリン・モンローとジョー・ディマジオが来店した
- [12]1956年にケーキの冷凍技術を開発し冷凍食品事業に着手、1959年に洋菓子売店を併設したロイヤル新天町店を出店した
セントラルキッチンと興銀融資が支えた産業化
1962年、ロイヤルはセントラルキッチンと呼ぶ集中調理方式を採用し、業務用冷凍料理の製造に着手した。同年4月に福岡市天神の福岡ビルへ出店するにあたり、賃料の高い繁華街で手ごろな価格を保つには、下ごしらえを店の外でまとめて行うほかなかった。もっとも社内の抵抗は激しかった。荒木茂専務は「中洲店にコック全員を集めて今後進むべき方向を説明したが、思い出してもくやしくなるくらい罵られ、半分ぐらいやめてしまった」と振り返っている(日経ビジネス1976年7月5日号)。料理を科学的に処理することへの反発は、同業者や専門家からも寄せられた。 [13][14][15]
- 有価証券報告書
- [13]1962年9月にセントラルキッチンシステム(集中調理方式)を採用し、業務用冷凍料理の製造に着手した
- [14]1962年4月に福岡市天神の福岡ビル内へ出店したことが集中調理方式導入の直接の契機だった
- 日経ビジネス 1976年7月5日号「水商売を飲食産業に“調理”して成長」
- [15]荒木茂専務が集中調理方式への社内の反発を証言している
産業化を掲げた江頭氏は、人と資金の両面で先手を打った。1965年ごろから大学卒業者の採用を始め、「食べ物の会社が大卒を募集するなどとは噴飯もの」と笑われながら、サンフランシスコ市立大学のレストラン学部へ社員を留学させている(証券アナリストジャーナル1979年8月号)。資金では日本興業銀行に狙いを定め、1967年に同行の調査員3人が3か月間福岡に滞在して飲食業を調べた末、翌1968年に6億円の融資が決まった。当時の年商は20億円ほどで、産業融資を専門とする興銀が飲食業に金を出した事実そのものが、江頭氏には産業として認められた証しだった。 [16][17]
- [16]1967年7〜9月に興銀の調査員3人が福岡に滞在して飲食業を調査し、1968年に6億円の融資が決まった。当時の年商は約20億円だった
- [17]大学卒業者の採用開始は1965年ごろで、サンフランシスコ市立大学のレストラン学部へ社員を留学させていた
1969年9月、福岡市大字那珂に新本社と工場を兼ねたロイヤルセンターが完成した。敷地6000坪、第1期工事だけで6億円を投じた設備は、興銀の融資がなければ建たなかった。翌1970年の大阪万国博覧会では、アメリカ館ゾーンにロイヤル・アメリカン・カフェテリアなど4店を出す。福岡から600キロ離れた会場での営業に江頭氏は迷ったが、稼働したばかりのセントラルキッチンで一週間分をまとめて作り冷凍庫に置く方式が当たった。売上高は11億5000万円、利益は1億5000万円にのぼり、アメリカ館への出店だったことで食材輸入に外貨を自由に使え、海外の食品企業との接点も得ている。 [18][19][20][21]
- 有価証券報告書
- [18]1969年9月に福岡市大字那珂で新本社・工場(ロイヤルセンター)が完成し、全部門を移転した
- [19]ロイヤルセンターは6000坪で、第1期工事だけで6億円を要した
- [20]大阪万博出店の売上高は11億5000万円、利益は1億5000万円で、アメリカ館への出店により食材輸入に外貨を自由に使えた
- [21]1970年の大阪万国博覧会で米国ゾーンにロイヤル・アメリカン・カフェテリアなど4店舗を出店した
- 有価証券報告書
- [13]1962年9月にセントラルキッチンシステム(集中調理方式)を採用し、業務用冷凍料理の製造に着手した
- [18]1969年9月に福岡市大字那珂で新本社・工場(ロイヤルセンター)が完成し、全部門を移転した
- [14]1962年4月に福岡市天神の福岡ビル内へ出店したことが集中調理方式導入の直接の契機だった
- [21]1970年の大阪万国博覧会で米国ゾーンにロイヤル・アメリカン・カフェテリアなど4店舗を出店した
- 日経ビジネス 1976年7月5日号「水商売を飲食産業に“調理”して成長」
- [15]荒木茂専務が集中調理方式への社内の反発を証言している
- [16]1967年7〜9月に興銀の調査員3人が福岡に滞在して飲食業を調査し、1968年に6億円の融資が決まった。当時の年商は約20億円だった
- [17]大学卒業者の採用開始は1965年ごろで、サンフランシスコ市立大学のレストラン学部へ社員を留学させていた
- [19]ロイヤルセンターは6000坪で、第1期工事だけで6億円を要した
- [20]大阪万博出店の売上高は11億5000万円、利益は1億5000万円で、アメリカ館への出店により食材輸入に外貨を自由に使えた
ロイヤルホストと高速道路が開いた全国展開
1971年、郊外型ファミリーレストランのロイヤルホスト1号店を北九州市黒崎に開いた。所得の上昇とモータリゼーションを背景に、駐車場を備えた店でファミリー層をつかむ狙いだった。1973年には関門自動車道めかりパーキングエリアにハイウェイレストランの1号店を出し、空港に続いて高速道路という交通インフラの内側に足場を得た。関西と関東への進出では大阪ガスとオージー・ロイヤル、三井物産と物産ロイヤルという合弁を組んだが、三井物産との合弁は物産側の出資比率が60%から30%へ引き下げられるなど早々にきしんだ。 [22][23][24]
- [22]1971年に郊外型ファミリーレストラン「ロイヤルホスト」1号店を北九州市黒崎に出店した
- [23]1973年に関門自動車道めかりパーキングエリア内にハイウェイレストランの1号店を出店した
- 日経ビジネス 1976年7月5日号「水商売を飲食産業に“調理”して成長」
- [24]三井物産との合弁会社・物産ロイヤルでは、物産側の出資比率が設立当初の60%から30%へ変更された
1976年時点でロイヤルグループの売上高は150億7300万円、直営部門だけで102億4700万円に達し、日本の飲食業では6位に位置していた。ただし規模の裏には重い投資があった。荒木茂専務は「ロイヤルらしさを演出するためには1店当たり1億6000万円の投資が必要」と述べており(日経ビジネス1976年7月5日号)、1店2500万円で店数を競うすかいらーくとは資本の使い方が正反対だった。品質で選ばれる店を作るという方針は、そのまま固定費の重さとして貸借対照表に積み上がり、後の二十年を縛った。 [25][26][27]
- 日経ビジネス 1976年7月5日号「水商売を飲食産業に“調理”して成長」
- [25]1975年12月期の直営売上高は102億4700万円、フランチャイズを含めたグループ全体では150億7300万円だった
- [26]日本の飲食業ランキング(1975年)でロイヤルは6位だった
- [27]1店当たりの投資額はロイヤルが1億6000万円、すかいらーくが2500万円だった
- [22]1971年に郊外型ファミリーレストラン「ロイヤルホスト」1号店を北九州市黒崎に出店した
- [23]1973年に関門自動車道めかりパーキングエリア内にハイウェイレストランの1号店を出店した
- 日経ビジネス 1976年7月5日号「水商売を飲食産業に“調理”して成長」
- [24]三井物産との合弁会社・物産ロイヤルでは、物産側の出資比率が設立当初の60%から30%へ変更された
- [25]1975年12月期の直営売上高は102億4700万円、フランチャイズを含めたグループ全体では150億7300万円だった
- [26]日本の飲食業ランキング(1975年)でロイヤルは6位だった
- [27]1店当たりの投資額はロイヤルが1億6000万円、すかいらーくが2500万円だった