ロイヤルホールディングス経営構造改革本部の設置と4年間での129店閉店、300億円超の特別損失処理

値下げを拒んだ会社は、なぜ店を畳むことから始めたか

時期 2001年12月
意思決定者(推定) 稲田直太(社長)・今井明夫 副社長/経営構造改革本部担当
論点 不採算店舗の整理と負の遺産の処理
概要
ロイヤルは2001年に経営構造改革本部を設け、4年間で連結129店、ロイヤル単体で85店を閉店した。3年にわたり合計300億円を超える特別損失を計上して赤字決算を続け、減損会計の前倒し適用と厚生年金基金の解散で負の遺産を処理している。2004年12月期には4期ぶりの増収と経常利益61億5500万円へ回復した。
背景
低価格路線を採らなかったロイヤルはバブル崩壊後に四期連続の減益に陥り、関西国際空港の機内食子会社は65億円の累積損失を抱えて債務超過にあった。撤退ではなく拡大を選んだ結果、本業のファミリーレストランへのてこ入れも遅れ、1999年12月期まで3期連続の減収減益が続いていた。
内容
直近1年の経常利益が赤字なら理由を問わず会議の俎上に乗せる撤退基準を定めて運用し、4年間で129店を閉店した。2003年度に土地の含み損など約90億円、2004年度に減損会計の早期適用で8億7000万円を処理し、50年来福岡にあった経理部・人事部を東京の本部へ集約している。
含意
負の遺産の処理が一巡したことで、2005年7月の持株会社制への移行と分社化が可能になった。一方で売上高は2001年の水準に戻らず、成長性は単体で前年比90〜95%にとどまった。整理を終えることと伸びる形を作ることは別の仕事として残されたとみることができる。
筆者の見解

負の遺産を畳むということ

この4年を、不採算店舗を切っただけの縮小均衡と読むのは事実の一面しか見ていない。129店の閉店より重いのは、直近1年の経常利益が赤字なら理由を問わず会議の俎上に乗せるという撤退基準を定め、それを運用として固定したことにある。個別の事情で判断を先送りできる余地を、仕組みの側から潰した。今井明夫副社長がスクラップ中心に動いてきたと言い切れたのは、この基準が先にあったからだとみられる。

もっとも、2004年の回復を改革だけの成果と読むことはできない。当期純利益48億9600万円は、厚生年金基金の解散に伴う特別利益33億8700万円に支えられていた。売上高1005億円は2001年の1059億円に届かず、成長性は単体で前年比90〜95%にとどまっている。負の遺産の処理は終えたが、稼ぐ力そのものの回復はここから先の課題として残った。整理を終えることと、伸びる形を作ることは別の仕事であるとみることができる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

値下げを拒んだ路線と四期連続の減益

1990年代後半の外食市場で、ロイヤルは低価格路線を採らなかった。稲田直太社長は「我々は一円も値段を下げなかった」と述べ、原料の大量購入によるコスト削減と、店のたたずまいや雰囲気という付加価値で対抗する道を選んでいた。だが結果は伴わず、バブル崩壊後に四期連続の減益決算へ陥っていた。1968年の入社当時に約3兆4000億円だった外食市場は28兆円へ育ったものの、店を出せば客が来る時代は終わっていた[1][2]

稲田氏の診断は自社の体質へ向かっていた。レストラン業は本来サービス業でありながら、昭和50年代後半から「客をさばく対応業になってしまった」と語り、不況になった途端にファミリーレストラン業界が客から見放されたと総括している。1995年にホスピタリティ企業への転換を宣言したものの、業績の反転にはつながっていない。外食産業は初めて産業として産みの苦しみを味わっている、というのが当時の認識であった[3][4]

機内食が残した負の遺産

連結の足を引っ張っていたのは店舗だけではなかった。1999年の経常利益は連結が単体を下回り、その最大の要因は関西国際空港で機内食を作る子会社ロイヤルインターナショナルエアーケイタリングの約7億円の赤字であった。同社は65億円の累積損失を抱えて債務超過にあり、売却を含めた処理策が検討されていた。創業の事業である機内食が、そのまま重荷になっていた[5][6]

2000年3月、ロイヤルは撤退ではなく拡大を選んだ。全日本空輸の子会社である関西インフライトケイタリングの経営権を取得し、両社の事業を統合する。取得に伴う投資は90億円に上る見込みであった。「つぶすのが一番だと分かっていた」と榎本一彦会長は日経ビジネスに明かしている。この決着までの経営判断の迷いで本業のファミリーレストランへのてこ入れも遅れ、1999年12月期まで3期連続の減収減益が続いていた[7][8]

決断

経営構造改革本部と赤字店舗の一掃

2001年、ロイヤルは経営構造改革本部を設けた。同年の決算で第1回目の大きな特別損失を計上して赤字決算とし、以後3年にわたり合計300億円を超える特別損失を出し続けている。改革は稲田直太社長のもとで始まり、2002年3月に今井教文氏が社長へ就いたあとも途切れなかった。実務を率いたのは、2001年3月に取締役副社長となった今井明夫氏であった[9][10]

中心は赤字店舗の閉店であった。閉店数は2001年28店、2002年48店、2003年34店、2004年19店で、4年累計129店、うちロイヤル単体で85店にのぼる。新設もあったが、今井明夫副社長は「スクラップ&ビルトというよりも、スクラップ中心に動いてきました」と説明している。閉店の対象は主力のロイヤルホストにも及び、4年で不採算店舗の撤退は120店を超えた[11][12][13]

撤退基準の明文化と負の遺産の前倒し処理

閉店を続けるには運用のルールが要った。ロイヤルは「直近の一年間の経常利益が赤字であれば、その理由のいかんを問わず、とりあえず俎上に乗せます」という撤退基準を定めて運用している。俎上に乗せた結果として様子を見る判断もあったが、赤字店をまず会議にかける仕組みそのものを固定したところに、この改革の性格がうかがえる。立地や過去の経緯による例外を、あらかじめ認めない設計であったとみることができる[14]

損失の処理も前倒しで進めた。2003年度には土地の含み損など約90億円を処理し、2004年度は減損会計を早期適用して8億7000万円の特別損失を計上している。2004年12月31日には厚生年金基金を解散して確定拠出年金へ移行し、退職給付会計上の債務と費用の認識を不要にした。50年来福岡にあった経理部と人事部も、2004年6月に東京の本部へ集約している[15][16]

結果

四期ぶりの増収と経常61億円への回復

2004年12月期の連結売上高は1005億4500万円、前期比100.4%と4期ぶりの増収となった。経常利益は61億5500万円で前年比148.5%、1996年度の最高益61億8400万円に次ぐ実績である。経常利益率は6.1%へ2ポイント伸び、連結の6.12%は単体の4.91%を上回った。子会社の経常利益は単体とほぼ拮抗し、利益率では約2倍に達している[17][18]

当期純利益は48億9600万円となったが、その中身には厚生年金基金の解散に伴う特別利益33億8700万円と、減損の早期適用による特別損失8億7200万円が含まれている。売上高は2001年12月期の1059億円に届かず、成長性は単体で前年比90〜95%にとどまっていた。それでも会社側は減収でも利益が出る体質になったと総括し、赤字店舗の整理は概ね終わったとして、次の課題を低利益率店舗の改善へ移している[19][20][21]

出典・参考
  • 週刊東洋経済 1998年3月21日号「[編集長インタビュー]稲田直太 ロイヤル社長満点ではなく78点経営を目指す」
  • 日経ビジネス 2000年4月10日号「撤退よりも拡大を選んだロイヤルの事情」
  • ロイヤル 2004年12月期決算説明会「持株会社制移行について」(2005年2月18日)
  • ロイヤル 2004年12月期決算説明会「昨年度の決算概要と本年度の方針」(2005年2月18日)
  • ロイヤル 2004年12月期決算説明会資料「経営構造改革の項目(2004)」(2005年2月18日)
  • ロイヤル 2004年12月期決算説明会 質疑応答(2005年2月18日)
  • ロイヤルホールディングス 有価証券報告書(2001年12月期・2004年12月期・連結/第57期・役員の状況)

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