吉川廣和氏は、長年にわたり蓄積された矛盾を一気に解消する改革は、業績の良い時期には実行できないと語り、この改革の性格を"しめた"という一語に込めた。裏を返せば、1998年3月期まで4期続いた増収増益の期間中、資産も人員も見直されないまま残っていたことになる。銅地金相場の急落と製錬事業の経常赤字という悪化した数字が表面化して初めて、1割以上の希望退職と総資産763億円の圧縮に着手できたのだろう。
ただし、3年で掲げたROA5%には届かず、着地は4.5%であった。改革の中核と位置づけた製錬部門は最終年度でも部門ROA0.36%にとどまり、原料在庫の評価損101億円を計上してようやくしがらみを断つ段階にあった。数字が改善した部分の多くは、在庫や現預金、遊休資産といった圧縮しやすい項目から出ている。稼ぐ力そのものの立て直しは、この3年で終わらず次の中期計画へ持ち越されたといえる。