DOWA持株会社制への移行と5事業会社への会社分割、原料の鉱石からリサイクルへの切り替え

掘る場所を失った鉱山会社は、事業の単位を何で切り直したか

時期 2006年10月
意思決定者(推定) 吉川廣和 氏 同和鉱業・DOWAホールディングス 社長兼CEO
論点 事業ポートフォリオの再編と原料の転換
概要
2006年6月28日の第103回定時株主総会の決議により、同年10月1日をもって商号を同和鉱業からDOWAホールディングスへ変更し、5つのコア事業部門を会社分割で各事業会社へ承継する持株会社制へ移行した。同年3月には本社を秋葉原へ移している。事業の単位を鉱山や工場ではなく、環境・リサイクル、製錬、電子材料、金属加工、熱処理という機能で切り直した再編である。
背景
国内鉱山は1980年代から順次閉鎖され、1994年の湯川鉱山の閉鎖で採掘がすべて終わった。内陸の小坂に残った製錬所は、輸送コストがかさむぶん金や銀を多く含む複雑硫化鉱を扱って付加価値を高める道しかなかった。一方で1977年の岡山砿油、1987年の同和クリーンテックス、1999年のエコリサイクルと、廃棄物処理とリサイクルの布石は20年以上前から打たれていた。
内容
持株会社の下に環境・リサイクル、製錬、電子材料、金属加工、熱処理の5事業会社を置き、部門ごとに損益の責任を負わせる体制へ改めた。2007年8月には小坂製錬でリサイクル対応炉が操業を始め、2008年3月には秋田ジンクリサイクリングを設立して亜鉛リサイクルへ本格参入している。
含意
廃基板や銅条材を原料とする「都市鉱山」は、120億円をかけたリサイクル専用炉が2008年4月に本格稼働したことで形になり、2010年には金の7割、銅の8〜9割をリサイクル原料から生み出すまでになった。掘らない非鉄金属会社という現在の自己定義は、この時期に固まっている。
筆者の見解

内陸に取り残された不便から

小坂が内陸にあったという不便が、結果としてこの会社の原料を決めた。他社の製錬所が臨海へ移るなかで、輸送費のかさむ小坂は金銀を多く含む複雑硫化鉱を扱うほかなく、その扱いにくい鉱石から複数の金属を分けて取る技術が残った。廃基板や排水スラッジという成分の定まらない原料を炉へ入れられたのは、この不便から生まれた技術があったからだとみられる。1994年まで国内鉱山を持ち続けたことが技術の散逸を防いだ、という現場の説明もそこに重なる。

ただ、持株会社への移行そのものが利益を生んだわけではない。5つの箱に事業を分けた後も、都市鉱山の炉は2009年度に計画71.8%に対して60%程度でしか回らず、小型家電は廃棄物処理法の壁で集まらなかった。原料を鉱石から廃棄物へ替えるという方向が定まったことと、その方向で採算が取れることとは別であった。組織の形を先に決め、中身が追いつくまでに数年を要した再編であったといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

掘る場所がなくなった後に残ったもの

小坂は別子・足尾とともに国内三大銅山として栄えた町で、大正末期には人口が3万人を超え秋田県内2位を誇っていた。その鉱山は1980年代から順次閉鎖され、1994年の湯川鉱山の閉鎖ですべての採掘が終わっている。大館と小坂を結んだ同和鉱業小坂線も同じ年に旅客営業を終え、町の人口は6,900人まで減った。掘る場所を失った町に、製錬所だけが残った[1]

残った製錬所には、立地の不利がついて回った。海外から鉱石を買うようになると他社の製錬所はいずれも臨海立地へ移ったが、小坂は内陸にあって輸送コストがかさむ。手間をかけて金や銀を取り出す複雑硫化鉱を扱い、付加価値を高める選択肢しかなかった。品位は低いが金銀を豊富に含む黒鉱を製錬して貴金属を取り出す技術が、この地で鍛えられていった。1994年まで国内鉱山を維持したことが技術と設備の散逸を防いだ、と後年の担当者は語っている[2][3]

20年以上前から打たれていた布石

廃棄物を扱う事業は、鉱山が閉じるより前から始まっていた。1977年10月に岡山砿油を設立して環境・リサイクル事業へ入り、1987年2月に同和クリーンテックス、1999年7月にエコリサイクルを設立して家電リサイクルへ広げている。2003年7月には花岡鉱業が国内第1号の汚染土壌浄化施設の認定を取得し、2004年12月には小坂製錬に管理型最終処分場を竣工させた[4][5]

積み上がった事業は、持株会社化の直前にはすでに数字の柱になっていた。2004年度の環境・リサイクル部門は売上高464億円、経常利益49億円を計上し、うち土壌汚染除去だけで約110億円を占めた。1,400社が乱立する土壌浄化の業界にあって、スーパーゼネコン4社と並ぶ最大手であった。土壌にある有害物質を探して除去する技術は、土壌から非鉄金属を発見して取り出す技術と共通である、というのが現場の説明であった[6][7]

決断

鉱山名ではなく機能で切り直す

2006年6月28日に開かれた第103回定時株主総会の決議により、同年10月1日をもって商号が同和鉱業からDOWAホールディングスへ変わった。同時に持株会社制を導入し、5つのコア事業部門を会社分割によって各事業会社へ承継させている。半年前の2006年3月には、本社を東京都千代田区外神田の秋葉原へ移していた。創業以来の社名から鉱業の二文字が消えたのは、この移行のときであった[8][9]

5つのコア事業とは、環境・リサイクル、製錬、電子材料、金属加工、熱処理を指す。鉱山や工場という場所ではなく、何ができるかという機能で事業の単位を引き直した形になる。この5領域への集中は、2000年から続いた収益構造改革・資産構造改革・有利子負債削減の延長線上に置かれていた。多角化で広がった事業群を、持株会社の下で損益の責任ごとに分けたことになる[10][11]

結果

「脱・鉱石」

移行の翌年から、原料そのものが入れ替わっていく。2007年8月に小坂製錬でリサイクル対応炉の操業が始まり、2008年3月には秋田ジンクリサイクリングを設立して亜鉛リサイクルへ本格参入した。海外での複雑硫化鉱の産出が細るなかで、DOWAは都市鉱山に賭けることを決め、120億円をかけたTSL炉と呼ぶリサイクル専用炉を2008年4月に本格稼働させている。廃基板、銅条材、リードフレーム、排水スラッジを独自の配合で炉へ入れる操業であった[12][13]

2010年の時点で、同社の金の7割、銅の8〜9割はリサイクル原料から生まれるようになっていた。回収する元素は小坂だけで14種類、秋田全体で20種近くに達し、液晶に使うインジウムや半導体用途のガリウムでは国内首位級の生産量を持つ。旧同和鉱業時代も心臓部であった小坂製錬は、原料をリサイクル由来のものへ完全に切り替えた。銅製錬と亜鉛製錬という異なる炉を連携させるコンビナート化が、その前提に置かれていた[14][15]

炉が回りきらない

新しい炉は、当初から計画どおりに回ったわけではない。相手は鉱石ではなくゴミの山で、手間が増えれば採算が割れる。2009年度の操業度は71.8%の計画に対して60%程度で推移し、試行錯誤の末に7割水準まで戻したのが2010年春の状況であった。原料の集荷にも壁があり、デジタルカメラなどの小型家電は一般廃棄物として自治体の処理義務下にあって外へ出てこない。米国や東南アジアで集めた原料も炉へ入れていた[16][17]

集める側の体制づくりは国境を越えて進んだ。2009年2月に Modern Asia Environmental Holdings を子会社化して東南アジアの環境・リサイクル事業に入り、2010年4月には中国版家電リサイクル法の施行を見据えて住友商事および現地資本の緑天使と天津で家電リサイクルの合弁会社を設立している。初期投資は10億円で、将来の製錬所用地も確保していた。回収した廃家電を国外へ出せない規制のため、当面は中国国内で簡易製錬を行う想定であった[18][19]

出典・参考
  • 週刊東洋経済 2010年4月17日号「家電廃棄物を宝に変える「都市鉱山」で攻めるDOWA」
  • 週刊東洋経済 2010年11月17日号「特集 異形の百年企業 3 本拠を移さず地域密着」
  • 週刊東洋経済 2005年7月30日号「ニッポンの技術再発見 第66回 同和鉱業:高純度の鉄粉で土壌汚染を現場除去」
  • DOWAホールディングス 有価証券報告書【沿革】
  • DOWAホールディングス 有価証券報告書(2006年度)【表紙】
  • DOWAホールディングス 沿革(公式サイト)
  • DOWAホールディングス 有価証券報告書(2006年3月期・連結)

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