この創業が示すのは、既存の官営資産を払下げで引き受けた企業が、その資産に眠る技術の壁を越えられるかどうかで命運を分けた経緯である。藤田組は長州人脈と官需で蓄えた資本を元手に小坂鉱山を取得したものの、黒鉱の製錬という難題の前に一度は閉山の指示を受けている。手にした鉱山を手放さずに残せたのは、久原房之助氏の技術と井上馨氏の後ろ盾という、資本の外にある要素が働いた結果と思われる。
もう一つ見えてくるのは、創業を1869年の藤田組商会ではなく1884年の小坂鉱山払下げに置く同社の自己認識である。軍靴・軍服の納入から出発した官需商人が、採算の定まらない鉱山を引き受け、製錬技術の確立を経て国内一の産銅地へ育てた歩みを、DOWAホールディングスは鉱山会社としての出発点と読み替えている。長州人脈・官営払下げ・黒鉱自溶製錬・戦時統制という時代の節目を通過した末に、藤田組の鉱業部門が独立した公開企業へと姿を変えていったといえる。