三井金属 の歴史

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創業 1892年
母体 三井財閥
創業地 東京都
創業
1874年9月、三井組が飛騨の神岡鉱山蛇腹平坑を明治政府から払い下げられ、鉱山経営に参入した。1892年6月に三井鉱山合資会社を設立して鉱山と炭鉱を一体で運営し、1913年8月には大牟田に亜鉛製錬工場を新設して、神岡で採った精鉱を電気亜鉛地金まで自社で仕上げる体制を整えた。戦後の財閥解体で三井鉱山の金属部門が切り離され、1950年5月、財閥商号を使えないまま神岡鉱業として資本金6億円で発足する。同年10月に東京証券取引所へ上場し、1952年12月に三井金属鉱業へ商号を変えた。
決断
掘る場所は手放したが、金属を精製する工程だけは手放さなかった。1950年に三井鉱山から金属部門を分離して上場した後も原料は神岡に依存したが、1972年8月にイタイイタイ病の控訴審で敗訴し、上告せず賠償と土壌復元を受け入れた。補償と円高で神岡の競争力は失われ、1981年からの再建計画で採掘を23年かけて縮小し、2001年に止めた。同じ期間に1976年の米Oak-Mitsui設立で銅箔へ、1989年には半導体向けTABテープへ進んでいる。銅を電解して薄い箔に延ばす工程は製錬の延長にあり、鉱山を閉じても製錬所と技術者は社内に残った。
現況
利益の出どころは、製錬で回収する貴金属と、AIサーバー向けの極薄銅箔にある。2026年3月期は売上高7,585億円・営業利益1,309億円。機能材料が売上3,196億円・セグメント利益665億円、金属が売上2,902億円・利益751億円で、この2部門が全社の利益をほぼ占める。金属の利幅は亜鉛・鉛の製錬で回収する金・銀・ビスマスが支え、機能材料は電解銅箔がAIサーバー向けに伸びた。一方、自動車部品は2025年度に三井金属アクトを譲渡し、売上512億円・8億円の損失に縮んでいる。2001年の神岡鉱山の縮小と電子材料への転換で始めた事業が、四半世紀を経て製錬と並ぶ規模に育った。
競合
非鉄各社が海外鉱山を買い増した時期に、三井金属は自山鉱を持たない側へ回った。住友金属鉱山は2011年にチリのシエラゴルダ銅鉱山を取得し10年で譲渡し、DOWAは1971年に臨海の秋田製錬を建てて輸入鉱へ切り替えた。三井金属も1964年にペルーのワンサラ、2014年にチリのカセロネスを操業したが、2021年2月にカセロネスの権益を譲渡している。原料は輸入精鉱とリサイクル原料で賄い、地金価格の変動そのものより、製錬の手数料と副産物の回収量で採算が決まる構成へ寄せた。足尾を閉じて機械へ移った古河機械金属と違い、製錬という工程だけは国内7カ所に残したことが、銅箔と触媒の原料と技術をつないでいる。
三井金属:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

設立ストーリー 三井財閥の鉱山事業と神岡鉱山を核とし非鉄一貫体制の形成 (1874年〜)

神岡払い下げから一貫製錬へ至る構造化

神岡鉱山は西暦708年の和銅年間に開坑して銅を産出[1]したと伝えられ、奈良・平安から戦国・江戸の各時代を通じて金・銀・銅・鉛が掘り継がれてきた古い鉱山で、三井金属鉱業はみずからの源流をこの長い採掘の歴史にさかのぼって位置づけてきた。1874年に三井組は神岡鉱山の蛇腹平坑を明治政府[2]から払い下げを受け、非鉄金属の鉱山経営に参入した。神岡鉱山は国内最大の亜鉛産出量を誇り、カナダのサリバン、オーストラリアのブロークンヒル[3]と並ぶ世界的な鉛・亜鉛鉱山として三井財閥の鉱業部門を支える収益の柱となった。1892年には三井鉱山合資会社を設立して鉱山と炭鉱を一体運営する体制を整え[4]、1913年には大牟田に亜鉛製錬工場を新設し、神岡で採掘した亜鉛精鉱を社内製錬所で電気亜鉛地金まで仕上げる垂直統合型の生産体制を築いた。[5]この川上から川中の一貫モデルは、後年に継承される事業モデルの原型となった。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)「三井金属鉱業」の項
    • [1]神岡鉱山は西暦708年和銅年間に開坑・銅を産出したと伝えられ、三井金属鉱業はその源流をここにさかのぼると位置づけている
  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
    • [2]1874年(明治7年)三井組が神岡鉱山蛇腹平坑を明治政府から払い下げ・鉱山経営に参入
    • [4]1892年6月 三井鉱山合資会社を設立(鉱山・炭鉱の一体運営)
    • [5]1913年8月 大牟田に亜鉛製錬工場を新設・製錬に参入
  • 新日本経済(1956年6月)
    • [3]神岡鉱山は国内最大級の亜鉛産出鉱山で、カナダのサリバン・オーストラリアのブロークンヒルと並ぶ世界的な鉛・亜鉛鉱山とされた

戦後の財閥解体の過程を経て、三井鉱山の金属部門は1950年5月1日に企業再建整備法によって神岡鉱業として独立し、戦後再編史の節目を迎えた。[6]発足当初は財閥商号の使用が許されず『神岡鉱業』の商号を用いて資本金6億円で出発し[7]、同年には東京証券取引所への上場を実現して独立企業としての歩みを開始した。[8]翌1951年10月には資本金を12億円へ増資し、同年12月には東京研究所を設置するなどして体制を整備強化し[9]、1952年12月に商号を三井金属鉱業へと変更した。[10]三井財閥の一員として蓄積されてきた鉱山経営と製錬技術の高度なノウハウは、独立後の事業拡大の基礎として継承され、戦後復興期の旺盛な非鉄金属需要に応える生産体制が整えられた。資源素材産業の再編が進む戦後の日本経済の中で、三井金属鉱業は神岡鉱山という強みを武器に独立後も業界内で存在感を高めていく道筋を辿った。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)「三井金属鉱業」の項
    • [6]1950年5月1日 企業再建整備法により三井鉱山の金属部門が神岡鉱業として独立発足(資本金6億円)
    • [7]発足当初は財閥商号が使えず「神岡鉱業」の商号を用い、資本金6億円で出発
    • [9]1951年10月 資本金を12億円に増資、同年12月 東京研究所を設置
  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1950年10月 東京証券取引所に株式上場(発足と同年)
    • [10]1952年12月 商号を三井金属鉱業株式会社に変更
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)「三井金属鉱業」の項
    • [1]神岡鉱山は西暦708年和銅年間に開坑・銅を産出したと伝えられ、三井金属鉱業はその源流をここにさかのぼると位置づけている
    • [6]1950年5月1日 企業再建整備法により三井鉱山の金属部門が神岡鉱業として独立発足(資本金6億円)
    • [7]発足当初は財閥商号が使えず「神岡鉱業」の商号を用い、資本金6億円で出発
    • [9]1951年10月 資本金を12億円に増資、同年12月 東京研究所を設置
  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
    • [2]1874年(明治7年)三井組が神岡鉱山蛇腹平坑を明治政府から払い下げ・鉱山経営に参入
    • [4]1892年6月 三井鉱山合資会社を設立(鉱山・炭鉱の一体運営)
    • [5]1913年8月 大牟田に亜鉛製錬工場を新設・製錬に参入
    • [8]1950年10月 東京証券取引所に株式上場(発足と同年)
    • [10]1952年12月 商号を三井金属鉱業株式会社に変更
  • 新日本経済(1956年6月)
    • [3]神岡鉱山は国内最大級の亜鉛産出鉱山で、カナダのサリバン・オーストラリアのブロークンヒルと並ぶ世界的な鉛・亜鉛鉱山とされた

海外資源と公害問題が並存する成長の矛盾

独立後の三井金属鉱業はまず直轄事業所の拡充に注力し、1953年6月の神岡鉱業所金木戸発電所完成を皮切りに、1954年1月の三池製煉所竪型蒸留亜鉛工場第一期工事、1956年6月の日比製煉所転炉脆瓦斯回収工事、1957年6月の神岡工業所フローソリッド炉と、製錬設備を相次いで近代化した。[11]1960年代には多角化を加速し、1962年には伸銅事業部とダイカスト事業部を新設して川下加工に踏み出し[12]、同年4月に王子金属・昭和ダイカストの両社を吸収合併した。[13]1964年にはペルーのワンサラ鉱山の権益を取得して海外資源開発に参入し[14]、1965年6月に三鷹工場を新設、[15]1967年には八戸製錬を設立して亜鉛製錬を神岡・彦島・八戸の三拠点体制へ拡張した。[16]資本金も1954年11月の24億円から1958年6月に48億円、1962年5月に72億円、1965年2月には108億円へと増え[17]、神岡を核に製錬から加工への垂直統合を深めた。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)「三井金属鉱業」の項
    • [11]1953年6月 金木戸発電所完成、1954年1月 三池製煉所竪型蒸留亜鉛工場第一期、1956年6月 日比製煉所転炉脆瓦斯回収、1957年6月 神岡工業所フローソリッド炉と製錬設備を近代化
    • [13]1962年4月 王子金属・昭和ダイカストの両社を吸収合併
    • [15]1965年6月 三鷹工場を新設
    • [17]資本金は1954年11月24億円→1958年6月48億円→1962年5月72億円→1965年2月108億円と増加
  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1962年4月 伸銅事業部・ダイカスト事業部を新設
    • [14]1964年8月 ペルー・ワンサラ鉱山の権益を取得
    • [16]1967年2月 八戸製錬株式会社を設立(亜鉛製錬の拠点拡張)

神岡鉱山からの排水に含まれていたカドミウムが富山県の神通川流域で長年発生していた健康被害の原因とされ、三井金属は被害者への補償に応じ[18]、公害対策と経営再建を同時に進める難題に直面した。公害問題は同社の社会的信用に深い傷を残し、以降の経営判断でも環境対策が重要な制約条件として常に意識されるようになり、基幹事業である神岡鉱山の将来計画を左右する深刻な構造要素として長く経営陣の念頭に残り続けた。戦後高度成長の負の側面として記憶された公害問題は、資源企業としての三井金属の経営哲学にも深い影響を及ぼした。

  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
    • [18]神岡鉱山排水のカドミウムが神通川流域のイタイイタイ病の原因とされ補償に応じた

三井財閥の鉱業事業として1874年以来積み上げられてきた神岡の長年の隆盛は[19]、環境規制の強化と為替変動という外部環境の変化で不可逆的な縮小局面へ入り、非鉄一貫体制という事業モデルの抜本的な見直しが経営陣に突きつけられる時代の到来を強く予感させる象徴的な出来事となった。経営陣は戦後の三井金属を支えてきた事業構造の持続可能性について初めて根本的な疑問を突きつけられ、以後の事業転換の必要性の議論が始まる契機となった。

  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
    • [19]三井財閥の鉱業事業として1874年以来の神岡の歴史
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)「三井金属鉱業」の項
    • [11]1953年6月 金木戸発電所完成、1954年1月 三池製煉所竪型蒸留亜鉛工場第一期、1956年6月 日比製煉所転炉脆瓦斯回収、1957年6月 神岡工業所フローソリッド炉と製錬設備を近代化
    • [13]1962年4月 王子金属・昭和ダイカストの両社を吸収合併
    • [15]1965年6月 三鷹工場を新設
    • [17]資本金は1954年11月24億円→1958年6月48億円→1962年5月72億円→1965年2月108億円と増加
  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1962年4月 伸銅事業部・ダイカスト事業部を新設
    • [14]1964年8月 ペルー・ワンサラ鉱山の権益を取得
    • [16]1967年2月 八戸製錬株式会社を設立(亜鉛製錬の拠点拡張)
    • [18]神岡鉱山排水のカドミウムが神通川流域のイタイイタイ病の原因とされ補償に応じた
    • [19]三井財閥の鉱業事業として1874年以来の神岡の歴史

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三井金属の沿革1874〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1874〜1971年三井財閥の鉱山事業と神岡鉱山を核とし非鉄一貫体制の形成三井組が神岡鉱山蛇腹平坑を取得・鉱山経営を開始★★
三井鉱山を設立★★
大牟田亜鉛製錬工場を新設・製錬に参入
鈴木商店経営の彦島亜鉛製煉工場を買収★★
昭和鉱業から日比製煉工場・竹原電煉工場を買収★★
佐藤久喜三井鉱山からの金属部門の分離独立と神岡鉱業の創立、東京証券取引所への上場

1950年5月1日、財閥解体にともなう企業再建整備法の決定整備計画にもとづき、三井鉱山の金属部門を分離して神岡鉱業株式会社(資本金6億円)が創立された。同年10月に東京証券取引所第一部へ上場し、1952年12月に商号を三井金属鉱業へ改めた。現在の三井金属鉱業の直接の出発点にあたる。

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★★★
佐藤久喜東京証券取引所に株式上場
佐藤久喜商号を三井金属鉱業に変更
高口正俊伸銅事業部・ダイガスト事業部を新設
高林敏巳ペルー・ワンサラ鉱山の権益取得
高林敏巳八戸製錬を設立
高林敏巳日比共同製錬を設立
1972〜2001年神岡鉱山の段階的縮小と電子材料への事業転換尾本信平イタイイタイ病控訴審敗訴後の賠償受諾と公害防止協定・土壌復元の締結

1972年8月9日、名古屋高裁金沢支部はイタイイタイ病訴訟の控訴審で被害者を全面勝訴とし、三井金属鉱業は上告せず賠償に応じた。翌日には賠償の誓約書・公害防止協定・土壌復元の誓約書を結び、賠償と公害対策の負担が円高と重なって同社は無配へ転落した。神岡鉱業所のカドミウムがもたらした公害の責任を、経営再建と並行して引き受けた判断。

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★★★
尾本信平Oak-Mitsui, Inc.を設立・銅箔の現地生産を開始
高島節男神岡鉱山で段階的に規模縮小★★
高島節男三井金属箔・三金レアアースを吸収合併・上尾銅箔工場を新設
高島節男再建計画を策定・大規模な人員削減へ
真島公三郎希望退職者を追加募集
真島公三郎GECOM Cori.を設立・自動車部品の海外生産を開始
川北徹半導体向けTABテープの製造子会社を設立
川北徹TKR事業部・パーライト事業部を設置
宮村眞平排ガス浄化触媒の海外生産を本格化
宮村眞平本社を移転
宮村眞平日鉱金属と共同でパンパシフィック・カッパーを設立★★
宮村眞平神岡鉱山の段階的縮小と、銅箔・TABなど電子材料への事業転換

三井金属鉱業は、円高とイタイイタイ病補償で競争力を失った神岡鉱山を1978年から段階的に縮小し、2001年に約130年続いた自山からの採掘を止めた。並行して1976年の米Oak-Mitsui設立を皮切りに銅箔・TABなど電子材料へ軸を移し、2001年の中期経営計画『MAP500』で電子材料をコア事業と定めた。

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★★★
2002〜2023年電子材料メーカーへの変貌とリーマンショック後の地力回復宮村眞平大井製作所を完全子会社化
槇原紘ペルー・パルカ鉱山を操業開始
竹林義彦最終赤字に転落
仙田貞雄チリのカセロネス鉱山の権益を共同取得・PPCを共同設立
仙田貞雄伸銅事業を住友金属鉱山と統合
仙田貞雄三井金属アクトを設立(自動車機器事業統合)
仙田貞雄ダイカスト事業を分離・三井金属ダイカストを設立
仙田貞雄チリ・カセロネス銅鉱山が本格操業開始★★
西田計治チリ・カセロネス銅鉱山の権益を譲渡★★
納武士三井金属エンジニアリングをTOBにより完全子会社化
納武士過去最高益を達成
納武士日本イットリウムを完全子会社化
納武士商号を三井金属に変更
出典・参考
  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)「三井金属鉱業」の項
  • 新日本経済(1956年6月)

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