決断
掘る場所は手放したが、金属を精製する工程だけは手放さなかった。1950年に三井鉱山から金属部門を分離して上場した後も原料は神岡に依存したが、1972年8月にイタイイタイ病の控訴審で敗訴し、上告せず賠償と土壌復元を受け入れた。補償と円高で神岡の競争力は失われ、1978年から採掘を段階的に縮小し、1981年の再建計画を経て、23年かけて2001年に止めた。同じ期間に1976年の米Oak-Mitsui設立で銅箔へ、1989年には半導体向けTABテープへ進んでいる。銅を電解して薄い箔に延ばす工程は製錬の延長にあり、鉱山を閉じても製錬所と技術者は社内に残った。
2001年4月 神岡鉱山を止め電子材料へ
業績の推移2000 2001 2006 売上高(億円) 3,947 4,237 5,033 純利益率(%) 3.6 4.0 4.6 1972年8月 イタイイタイ病賠償受諾
イタイイタイ病賠償受諾神岡鉱業所のカドミウム汚染をめぐる公害訴訟で控訴審にも敗れ、上告せず賠償・立入調査・汚染田復元を受諾。負担が円高と重なって無配へ転落するなか、公害対策と経営再建を並行させた判断。業績の推移1971 1972 1977 売上高(億円) 1,169 1,145 2,044 純利益率(%) 1.5 0.4 0.8 1950年5月 神岡鉱業として独立