神岡鉱山で段階的に規模縮小
ニクソンショック後の円高で国内鉱山の競争力が低下
1971年のニクソンショックにより円高ドル安が進行し、日本国内における鉱山経営の国際競争力が低下した。三井金属鉱業も国内における非鉄金属鉱山の採掘・製錬について採算が悪化する経営課題に直面した。ただし、三井金属は世界有数の亜鉛産出量を記録する神岡鉱山を保有しており、国内の競合他社の非鉄金属鉱山と比べて相対的に優位な立場にあった。このため、神岡鉱山の縮小に関する意思決定は競合他社よりも数年遅れることとなった。
1975年3月末時点において神岡鉱業所に従事する社員数は2284名であり、これら人員の移動ないし削減が経営上の重要課題となっていた。加えて、閉山の意思決定が遅れた背景には、当時の経営陣が雇用維持を優先したことや、労働組合からの解雇反対、神岡周辺の自治体への配慮があった。神岡鉱山の周辺には雇用を吸収できる産業が存在せず、閉山は地域経済に直結する問題であった。
段階的な縮小方針の決定と子会社分離
1978年に三井金属鉱業は神岡鉱山の縮小を決定した。この時点では完全閉鎖ではなく、採掘量の減産および人員削減による段階的な規模縮小の方針が採られた。数年おきに数百人規模の人員削減を実施し、鉱山の運営体制を徐々に縮小していった。しかし、削減は十分ではなく、1985年のプラザ合意によって円高ドル安がさらに進行したことで経営状況が一段と悪化した。
1986年に三井金属鉱業は神岡鉱山を完全子会社「神岡鉱業」として分離した。以降も1994年に鉱石からの鉛精錬中止、1995年に人員20%の削減など、段階的に生産と人員の規模縮小を継続した。2001年6月に三井金属は神岡鉱業における鉱石の採掘を中止する閉山を決定し、1874年の三井組による神岡鉱山取得から約130年にわたる鉱山経営に区切りをつけた。
閉山後の神岡鉱業はリサイクル製錬に事業転換
閉山後の神岡鉱業は「リサイクル製錬・水力発電・地下施設利用」に事業を転換した。鉱石の採掘は中止したものの、製錬所としての設備と技術を活用し、鉛のリサイクルや非鉄金属の製造販売に従事する体制に移行した。鉱山としての役割を終えた神岡鉱業は、製錬を軸とした事業体として存続することとなった。
2024年3月期において神岡鉱業は三井金属の完全子会社として社員数525名で稼働し、売上高435億円・営業利益61億円を確保している。非鉄金属の国際市況が高騰する環境下で業績は好調を維持しており、鉱山閉鎖後もリサイクル製錬と金属市況の追い風を受けて利益を創出する事業体として機能し続けている。