住友家の鉱業は十六世紀の終りに京都で銅製錬業を始めたことに源を持ち[1]、銀と銅を吹き分ける『南蛮吹き』の技術を早くから習得して日本の鉱業界に特異な地位を占めた[2]。鉱山の開発と経営に経験を重ねた住友家は元禄三年(1690年)に別子銅山を発見し、ただちに幕府の許可を得て別子開坑に着手[3]、1691年に愛媛県で採掘を正式に開始した[4]。以後およそ200年以上にわたって住友家の中核事業となり、別子銅山は幕府や諸大名を相手とする金融業と並んで住友家の事業の中心となった[5]。別子銅山から得られる銅は、鉱山機械を担う住友機械工業、化学肥料の住友化学、銅加工の住友電工、植林を担う住友林業、金融の住友銀行など多岐にわたる住友系事業群の資本供給源として重要な役割を果たし、住友財閥という複合企業体の形成と維持を基礎から支えた。江戸期から続く鉱山経営のノウハウは、住友家の経営哲学の原点として受け継がれた。
別子銅山は維新の際に土佐藩によって一時接収される危機[6]に見舞われたが、これを切り抜けて明治を迎えた。旧式技術による操業のため高品位鉱は次第に少なくなり生産量が伸び悩むなか、広瀬宰平氏以下当時の経営者は積極的に西洋新技術を採用して別子銅山の更新を図った[7]。1873年にはフランス人技師コワニー氏が別子銅山を視察し、続いてルイ・ラロック氏が『別子銅山目論見書』をつくりあげ[8]、1876年には湿式収銅法による沈澱銅を生産するに至った[9]。さらに火薬やさく岩機、鉱山専用鉄道や複式空架索道、大斜坑、水力発電設備や銅電解工場、浮遊選鉱場の建設が相次ぎ、生産量は飛躍的に増加して今日の大をなす基礎が築かれた。明治政府の殖産興業政策と歩調を合わせて鉱山の機械化と規模拡大が進み、住友家の財閥形成の経済的な基盤を強化した。明治末から大正期にかけての別子銅山は、日本最大級の銅産出量を記録する生産拠点として業界内で存在感を示した。
経営の形態も整えられ、当初は『住友総本店』と称する個人企業であったものが1921年に設立された住友合資会社の手に移り[10]、1927年7月には住友本社が236年にわたる長年の直営体制を、住友別子鉱山株式会社を正式に設立することで鉱山事業の法人経営化を実現する[11]。住友家の事業の中で最も長い歴史を持つ原点事業の法人化であった。別子の操業で長く最大の難問であった煙害は、1905年の製錬所の四阪島移転でも解決とならず、支出した賠償金は1939年までに1968年時点の価格に見積もって50億円を上回る巨額に達した[12]が、同年に排煙中の亜硫酸ガスを皆無とする中和工場を完成させて抜本的な解決をみた[13]。1937年には住友炭鉱と合併して住友鉱業へと改組され[14]、戦後の財閥解体の過程では1946年に井華鉱業へ改称したうえで、翌1947年の住友本社解体に際して鴻之舞金山を中心とする一連の金属鉱山と国富製錬所を一括買収し[15]、1950年には金属部門を分離する形で別子鉱業が正式に発足して[16]、非鉄金属の独立企業としての歩みを開始した。さらに1952年には別子鉱業から住友金属鉱山へ改称し[17]、住友グループ系列の非鉄金属企業としての位置づけを社名でも明確にした。
1950年代以降の住友金属鉱山は国内事業の近代化を積極的に推進していく方針を打ち出し、1956年には子会社の日向製錬所を設立してニッケル製錬の生産拠点を整備する[18]動きを加速させた。1965年には中央研究所を正式に設置して技術開発体制を強化し[19]、1967年には青梅工場を新設することによって電子金属事業への本格的な参入を果たす[20]形で事業の幅を広げた。1970年には新居浜ニッケル新工場、1971年には東予製錬所を相次いで新設し[21]、製錬技術の高度化と生産能力の拡大を並行して進める経営戦略が打ち出される局面が展開された。
1973年3月には住友家の原点事業である別子銅山がついに閉山を迎え、元禄期から282年にわたって連続的に続けられてきた別子銅山の長い歴史に正式な区切りがつけられる[22]歴史的な節目を経験した。閉山後の住友金属鉱山は採掘から製錬・加工へと事業の重心を移し、海外からの原料調達と国内製錬所での付加価値創出を主要な柱とする新たな事業構造へと作り替えた。住友家の経営哲学の原点事業の終焉という重い歴史的経験が、以後の海外資源開発と先端材料分野への展開を後押しする内部的な原動力となり、住友金属鉱山の経営文化に刻まれた。
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| 1691〜1972年住友の原点事業と近代化、戦後分離までの道程 | 住友家直営の別子銅山と四阪島製錬所の分離、住友別子鉱山の設立 1927年7月、住友合資会社は直営してきた別子鉱山と四阪島製錬所などを分離し、資本金1,500万円の住友別子鉱山株式会社を設立した。1691年の稼行開始から数えて236年、住友家が直に抱えてきた鉱山事業が、初めて独立した鉱山会社の形を得た。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 住友別子鉱山と住友炭鉱を合併・住友鉱業を設立 | ★ | |||
| 電気ニッケルの生産を開始 | ★ | |||
| 社名を井華鉱業に商号変更 | ★ | |||
| 田中外次 | 金属部門を分離・住友金属鉱山(別子鉱業)を設立 | ★ | ||
| 田中外次 | 東京証券取引所市場第一部に上場 | ★ | ||
| 田中外次 | 住友金属鉱山に商号変更 | ★ | ||
| 田中外次 | 子会社日向製錬所を設立 | ★ | ||
| 河上健次郎 | 国内鉱山の閉山を本格化 | ★ | ||
| 河上健次郎 | 中央研究所を施設 | ★ | ||
| 河上健次郎 | 青梅工場を新設(電子金属事業) | ★ | ||
| 河上健次郎 | 新居浜ニッケル新工場を新設 | ★ | ||
| 河上健次郎 | 東予製錬所を新設 | ★ | ||
| 1973〜2021年菱刈開山と海外資源開発の加速、シエラゴルダ教訓の苦渋 | 藤崎章 | 別子鉱山を閉山 | ★★ | |
| 藤崎章 | リードフレーム生産を開始 | ★★ | ||
| 藤崎章 | 菱刈鉱区で高品位金鉱脈を発見 | ★ | ||
| 藤森正路 | 菱刈鉱山を開山(鹿児島県) | ★★ | ||
| 藤森正路 | モレンシー銅山の権益取得 | ★ | ||
| 篠崎昭彦 | PTインターナショナルニッケルインドネシアの株式取得 | ★ | ||
| 篠崎昭彦 | チリ・カンデラリア銅鉱床の開発PJに参加 | ★★ | ||
| 青柳守城 | 中国・金隆銅業有限公司に資本参加 | ★ | ||
| 青柳守城 | 海外資源事業統括会社SMM Americaを設立 | ★ | ||
| 青柳守城 | JOC東海事業所で臨界事故が発生 | ★ | ||
| 福島孝一 | 国内事業の整理統合を本格化 | ★ | ||
| 福島孝一 | 三井金属と亜鉛製錬で合弁会社を設立 | ★ | ||
| 福島孝一 | フィリピン・コーラルベイHPAL生産開始 | ★★ | ||
| 福島孝一 | ポコ金山の生産開始 | ★ | ||
| 家守伸正 | フィリピンNickel Asia Corporationに資本参加 | ★ | ||
| 家守伸正 | チリ・シエラゴルダ銅鉱山の権益取得と、二度の減損を経た全持分の譲渡 住友金属鉱山は2011年5月、住友商事と共同で、カナダのクアドラFNXマイニングがチリに保有するシエラゴルダ銅鉱山開発プロジェクトへ参画した。開発資金拠出分を含め約7億2,400万米ドルを出資し、権益の45%を取得している。生産開始後に二度の減損を計上し、2021年10月に全持分の豪サウス32への譲渡を決め、2022年2月に実行した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 中里佳明 | フィリピン・タガニートHPAL生産開始 | ★★ | ||
| 中里佳明 | チリ・シエラゴルダ銅鉱山の生産を開始 | ★★ | ||
| 中里佳明 | シエラゴルダ銅鉱山で損失計上 | ★★ | ||
| 中里佳明 | モレンシー銅山の権益を追加取得 | ★ | ||
| 2022〜2024年資源と材料の並行経営と資源投資の加速 | 野崎明 | 2021年中期経営計画を策定 | ★ | |
| 野崎明 | チリ・ケブラダブランカ銅鉱山の開山 | ★ | ||
| 松本伸弘 | コテ金鉱山で商業生産を開始 | ★ | ||
| 松本伸弘 | 電池材料事業本部新居浜工場が竣工 | ★ |
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事実根拠:出所(住友金属鉱山)