住友別子鉱山株式会社を設立
元禄期に始まる別子銅山の採掘と住友財閥の形成
1691年に住友家は愛媛県において大規模な銅鉱脈を有する「別子鉱山」を発見し、幕府からの許可を得て採掘事業を開始した。別子銅山は住友家の中核事業として以降200年以上にわたり稼働を続けたが、長期間の採掘に伴い明治時代までに高品位な鉱脈が漸減し、産出効率の低下という課題に直面した。この状況に対し、住友家では広瀬氏が中心となって別子銅山の機械化投資を推進し、採掘および精錬の双方において西洋技術を導入することで鉱山の産出量を増加させるに至った。
明治時代以降の住友家は、別子銅山の採掘事業から得られる収益を原資として事業の多角化を推進した。鉱山機械(住友機械工業)、化学肥料(住友化学)、銅加工(住友電工)、植林(住友林業)、金融(住友銀行)など多岐にわたる事業分野に相次いで参入し、住友財閥を形成するに至った。別子銅山は住友グループ全体の事業基盤を支える収益の源泉として機能し、1920年代まで住友本社の直轄事業として運営が続けられていた。
住友本社の直轄から株式会社への経営体制の転換
1927年7月、住友家は1691年以来236年にわたり住友本社が直轄で経営してきた別子鉱山について、住友別子鉱山株式会社を設立して法人による経営体制に移行した。それまで別子銅山は住友財閥の統括組織である住友本社の直営事業として運営されており、事業上の意思決定は住友本社が担ってきた。住友別子鉱山の設立により、別子銅山の事業運営は住友本社から法人格を有する株式会社に移管された。
住友別子鉱山株式会社は、住友家が江戸時代から直営で手がけてきた鉱山事業を承継する法人として発足した。住友の事業は別子銅山の採掘を起点としており、鉱山は住友財閥の中で最も長い歴史を持つ原点的な事業であった。住友別子鉱山の設立は、この原点事業を住友本社の直営から独立法人に切り離す転換であり、住友本社による直轄管理の体制に区切りをつけるものとなった。