三菱マテリアル の歴史

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創業 1918年
母体 三菱財閥
創業地 東京都
創業
1873年12月、三菱商会が岡山県の吉岡鉱山を買収して金属鉱山の経営に着手した。前年の1871年5月には九十九商会が紀州新宮藩の炭坑を租借しており、金属と石炭の両方から鉱業へ入っている。1887年に尾去沢、1896年に生野・明延を傘下へ収め、1917年10月に直島製錬所を設けたうえで、1918年4月、三菱合資会社から鉱業関係の資産を継承して三菱鉱業が設立された。財閥解体を経て1950年4月に金属部門が分離して太平鉱業となり、1952年12月に三菱金属鉱業、1973年12月に三菱金属へ商号を改めた。残る三菱鉱業は1973年4月に三菱セメント・豊国セメントと合併して三菱鉱業セメントとなり、1990年12月に両社が合併して三菱マテリアルが発足している。
決断
合併で背負い込んだ事業を、品質不正のあとに一つずつ外へ出した。1990年12月の発足で精錬・セメント・超硬工具を三事業とする総合素材メーカーとなり、グループ会社は200社規模まで増えた。2017年11月に子会社の品質データ改ざんを公表し、統制の届かない範囲まで事業が広がっていたことが表面化した。2020年3月には中期経営戦略で事業構成を選び直し、焼結部品・銅管・セメント・アルミの4事業を縮小対象に定めている。同年12月にダイヤメットを、2022年3月にユニバーサル製缶を売却し、同年4月にはセメント事業を宇部興産との折半出資会社UBE三菱セメントへ承継、2024年12月には多結晶シリコン事業も譲渡した。
現況
売上と利益の半分は銅にあり、増えているのは工具の側である。2026年3月期の連結売上高は1兆8,440億円、営業利益は605億円。金属事業が売上9,378億円・利益570億円で全体の半分を占め、高機能製品が5,679億円・200億円、加工事業が2,305億円・149億円と続く。加工は前期の1,442億円から1年で1.6倍になった。2024年12月にドイツのエイチ・シー・スタルク・ホールディングの全株式を取得し、超硬工具の原料であるタングステンを自社へ取り込んだためである。一方の金属事業は同じ期に203億円の減損損失を計上し、銅の採算は買い付ける精鉱の条件に左右され続けている。
競合
競争相手は非鉄の同業と切削工具の各社に分かれ、市況の動き方も違う。銅ではJX金属・三井金属・住友金属鉱山と並ぶが、鉱山会社から買う銅精鉱の処理・精錬料が悪化したため、2025年11月にJX金属・三井金属・丸紅と、銅精鉱の購入と電気銅の販売をパンパシフィック・カッパーへ統合する基本合意を結び、買鉱の交渉を共同へ移した。神岡を縮小して電子材料へ移った三井金属と同じく、三菱マテリアルも国内鉱山を1972年から15年かけて閉じている。工具では欧米の切削工具メーカーが相手で、2020年4月に三菱日立ツールを完全子会社化し、2024年12月に原料側のエイチ・シー・スタルクを取得して素材から工具までを揃えた。相手の異なる二つの市場を抱えたことが、銅の相場に振られる損益を工具の側で受け止める構成を作った。
三菱マテリアル:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

設立ストーリー 三菱財閥の資源会社から鉱山閉鎖までの長い道程 (1873年〜)

吉岡取得から三菱鉱業設立へ至る形成の連鎖

三菱商会は1873年に岡山県の吉岡鉱山を買収して鉱山経営に正式に参入し[1][2]、以後は1887年に尾去沢、1896年に生野・明延の各鉱山を取得して国内有数の非鉄金属鉱山網を傘下に収めた。石炭事業でも大夕張・高島・端島といった炭鉱を保有する形で事業の幅を広げ、1918年には鉱業部門を分離独立させて三菱鉱業を設立した。[3]三菱財閥の中核事業の一つとして三菱鉱業は戦前期の日本の鉱業界で存在感を長らく保ち続け、戦時中の資源統制の時期においても国家の資源供給を担う重要な役割を果たした。第二次世界大戦が進むと、三菱鉱業は国家の要請と重工業の需要に応えるため金属加工部門を新設し、1942年2月に東京金属工業(現・大井工場)、1944年1月に新潟金属工業所(現・新潟工場)、1945年4月に非鉄金属工業所(現・桶川工場)を相次いで設置した。これらの加工拠点が、後の三菱金属鉱業の事業基盤を形づくる出発点となった。 戦後の財閥解体の過程を経て、三菱鉱業は1948年2月に過度経済力集中排除法の指定を受け、1950年には石炭事業が三菱鉱山に、非鉄金属事業が太平鉱業として分離独立する組織再編が実施された。[4]非鉄金属事業を引き継いだ第二会社は鉱山・製錬・金属加工の三部門に属する資産と事業の一切を承継し、資本金7億円をもって分離独立したのち、1952年12月に三菱金属鉱業へと商号を改めた。三菱金属鉱業はのちに三菱金属へとさらに商号を変更し[5]、戦前から継承された技術蓄積と鉱山経営のノウハウを基礎として独立企業としての歩みを開始となった。三菱金属は尾去沢・細倉・生野・明延の四鉱業所を主力として事業を組み立てたが、いずれも従業員数千人を超える事業所であり、地域雇用と密接に結びついた企業城下町型の事業モデルを抱えていた点が後年の縮小局面の難しさを規定する要素となった。

  • 三菱マテリアル 有価証券報告書 第99期(2024年3月期)【沿革】
    • [1]1873年に吉岡鉱山を買収したのは三菱商会。三菱合資会社の設立は1893年で、1873年時点では三菱合資会社は未成立のため本文の買収主体を三菱商会に訂正した
    • [2]1873年 吉岡鉱山を買収し金属鉱山経営に着手
    • [3]1918年4月 鉱業部門を分離独立し三菱鉱業を設立
    • [4]1950年4月 財閥解体で石炭事業が三菱鉱山に、非鉄金属事業が太平鉱業として分離独立
    • [5]太平鉱業はのちに三菱金属へ商号変更(1973年12月/中間に三菱金属鉱業を経る)

独立後の三菱金属鉱業は、鉱山・製錬・加工の三部門を経営の三本柱に据えて拠点整備を重ね、1953年12月に秋田製錬所を設置し、1954年10月には妙法鉱山を買収して非鉄金属の一貫供給体制を厚くした。1962年1月には米レイノルズ社との提携で三菱レイノルズ・アルミニウムを設立し、1963年12月には小名浜製錬を設立して[6]アルミと銅製錬の両面で素材事業を広げた。あわせて1960年代には非鉄金属事業の枠を超えた多角化の動きが本格化し、独ワルター社との提携によって三菱ワルター工具を設立するなど超硬工具分野への進出が進められた。[7]鉱山以外の事業基盤の構築にも着手することで収益源の分散を志向したが、当時はあくまで鉱山経営が会社の中心であり、超硬工具事業はまだ規模が限定的な補完事業に留まっていた。1968年3月期には赤字の鉱山部門を縮小して桶川工場も赤字から脱却し、売上高478億8,000万円・税引利益8億3,000万円を計上して1割配当を継続するなど[8]、鉱山・製錬・加工の三部門が総合金属メーカーとしての収益を下支えした。もっとも超硬工具分野への先行投資は、後年に本業の鉱山事業が縮小していく中で代替的な収益の柱に育ち、結果的に戦略的な先見性を持った判断として評価される展開を辿ることとなった。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [6]1962年1月 三菱レイノルズ・アルミニウムを設立、1963年12月 小名浜製錬を設立
    • [8]1968年3月期に赤字の鉱山部門を縮小し桶川工場も赤字から脱却、売上高478億8,000万円・税引利益8億3,000万円を計上し1割配当を継続(『企業の歴史:明治百年』の記述。財務CSVに該当期の値なしで未照合)
  • 三菱マテリアル 有価証券報告書 第99期(2024年3月期)【沿革】
    • [7]1962年 独ワルター社との提携により三菱ワルター工具を設立し超硬工具分野へ進出
  • 三菱マテリアル 有価証券報告書 第99期(2024年3月期)【沿革】
    • [1]1873年に吉岡鉱山を買収したのは三菱商会。三菱合資会社の設立は1893年で、1873年時点では三菱合資会社は未成立のため本文の買収主体を三菱商会に訂正した
    • [2]1873年 吉岡鉱山を買収し金属鉱山経営に着手
    • [3]1918年4月 鉱業部門を分離独立し三菱鉱業を設立
    • [4]1950年4月 財閥解体で石炭事業が三菱鉱山に、非鉄金属事業が太平鉱業として分離独立
    • [5]太平鉱業はのちに三菱金属へ商号変更(1973年12月/中間に三菱金属鉱業を経る)
    • [7]1962年 独ワルター社との提携により三菱ワルター工具を設立し超硬工具分野へ進出
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [6]1962年1月 三菱レイノルズ・アルミニウムを設立、1963年12月 小名浜製錬を設立
    • [8]1968年3月期に赤字の鉱山部門を縮小し桶川工場も赤字から脱却、売上高478億8,000万円・税引利益8億3,000万円を計上し1割配当を継続(『企業の歴史:明治百年』の記述。財務CSVに該当期の値なしで未照合)

15年閉鎖が鉱業再合同の条件を生む帰結

1971年のニクソンショックによる円高と1970年前後からの鉱脈品位低下が重なったことで、下川・古遠部・松木・細倉・明延の五鉱山をまず子会社として分離し、1973年には生野鉱山を、1978年には尾去沢鉱山を順次閉山するといった具合に、国内非鉄金属鉱山の縮小を15年にわたって続けた。1985年のプラザ合意で円高が進行すると、1986年から1987年にかけて残る四鉱山も相次いで閉山に追い込まれ、15年という長い時間をかけた段階的閉鎖の過程がほぼ完了するかたちとなった。

鉱山閉鎖の過程では単に生産拠点を閉じるだけでなく、跡地に加工工場を新設するなど地域の雇用維持への配慮が払われた点が三菱金属の経営方針の特徴として記憶されている。地方部に長年根付いていた企業城下町を一挙に崩壊させない形での緩やかな事業転換を志向する経営判断は、後の合併後の経営統合の円滑化にも資する組織文化として内部に受け継がれた。鉱山閉鎖の経験は社内に蓄積され、不採算事業を長期の時間軸で整理するという三菱マテリアル独特の経営スタイルの基礎を形成する契機となった。

国内鉱山の閉鎖がほぼ完了したことによって、戦後の財閥解体以来分離されていた三菱金属と三菱鉱業セメントの合併条件がついに整うこととなった。藤村正哉社長は合併について、歴代の経営者もいずれ一緒になりたいと考えていたものの合併の条件が整っていなかったと述べ[9]、鉱山と炭鉱の整理完了こそが40年越しの再合同の前提を成り立たせたことを示唆した。鉱業の縮小局面がそのまま再統合の前提条件となるという逆説的な構造が、1990年2月の三菱マテリアル発足という戦後素材産業史における重要な節目を生む決定的な背景となった。[10]

  • 三菱マテリアル 有価証券報告書 第2期(1992年3月期)【沿革】
    • [9]藤村正哉は三菱鉱業セメント社長として1990年の合併に臨み、合併後の三菱マテリアル社長。歴代経営者も合併を望んだが条件が整っていなかった旨を述べた
    • [10]1990年2月 三菱金属と三菱鉱業セメントの合併で三菱マテリアルが発足
  • 三菱マテリアル 有価証券報告書 第2期(1992年3月期)【沿革】
    • [9]藤村正哉は三菱鉱業セメント社長として1990年の合併に臨み、合併後の三菱マテリアル社長。歴代経営者も合併を望んだが条件が整っていなかった旨を述べた
    • [10]1990年2月 三菱金属と三菱鉱業セメントの合併で三菱マテリアルが発足

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三菱マテリアルの沿革1871〜2023年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
九十九商会が紀州新宮藩の炭坑を租借
1873〜1989年三菱財閥の資源会社から鉱山閉鎖までの長い道程三菱商会が吉岡鉱山を買収
三菱を設立
直島製錬所を設置
三菱鉱業を設立★★
羽仁路之石炭・非鉄金属を会社分離★★
羽仁路之太平鉱業が東京証券取引所に上場
山県四郎ワルター社と提携・三菱ワルター工具を設立(超硬工具)
山県四郎小名浜製錬を設立
相京光雄尾去沢鉱山で品位低下・生産規模を縮小
相京光雄国内炭鉱部門を分離★★
相京光雄国内鉱山を経営分離・段階的閉山へ
稲井好広静岡製作所を新設(アルミ機器)
稲井好広三菱金属に商号変更・多角化を本格化
稲井好広ボーナスで銅を社員に販売・在庫削減へ
稲井好広国内金属鉱山部門を分離★★
永野健米国三菱マテリアル社の前身を設立
1990〜2017年総合素材メーカーの拡大と品質不正が暴く構造疲労永野健三菱鉱業セメントと合併・三菱マテリアルに商号変更★★
藤村正哉米国における銅精錬計画を中止
秋元勇巳鹿島工場を新設
秋元勇巳インドネシア銅製錬合弁を設立
秋元勇巳米国三菱ポリシリコンを設立
西川章シリコンウエハー事業を住友金属工業と統合
西川章3期連続の最終赤字に転落
井手明彦三菱伸銅を完全子会社化
井手明彦最終赤字に転落
竹内章ルバタ社等を買収
竹内章子会社の品質データ改ざんの発覚と公表——「改ざんドミノ」の一角

2017年11月から12月にかけて、三菱マテリアルは子会社の三菱電線工業・三菱伸銅・三菱アルミニウムなどで、顧客と取り決めた規格値に合致するよう製品の検査データを改ざんし出荷していた事実を相次いで公表した。神戸製鋼所を発端に日本の製造業へ広がった『改ざんドミノ』の一角をなす不祥事であり、東レ子会社の改ざんもほぼ同時期に発覚した。

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★★★
2018〜2023年銅製錬と超硬工具を軸とする再構築への転換小野直樹独占禁違反・課徴金納付命令★★
小野直樹指名委員会等設置会社へ移行
小野直樹中期経営戦略の策定と事業ポートフォリオの入れ替え

2020年3月、三菱マテリアルが小野直樹執行役社長のもとで2020〜2022年度の中期経営戦略を策定し、『事業ポートフォリオの最適化』を全社方針の柱に据えて、注力事業への集中と不採算事業の売却・撤退による事業構成の入れ替えに踏み切った経営判断。

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★★★
小野直樹アルミニウム・製缶事業から撤退★★
小野直樹セメント事業を統合・UBE三菱セメントを発足★★
小野直樹多結晶シリコン事業をSUMCOに売却
出典・参考
  • 三菱マテリアル 有価証券報告書 第2期(1992年3月期)【沿革】
  • 三菱マテリアル 有価証券報告書 第99期(2024年3月期)【沿革】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)

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