決断
電力の値段が事業の前提であり、その前提が崩れたとき製錬から退いた。1952年10月にカナダのアルミニウム・リミテッドから資本と技術を受け入れし、技術とボーキサイトの調達先を確保して国内首位に戻る。ところがアルミニウム1トンの生産にはアルミナ工程を含めて1万6,000キロワット時を要し、第一次石油危機で電気代が1キロワット時あたり4円から8円へ上がると、1トンあたり6万4,000円の費用増になった。1975年3月に製錬の拡張計画を撤回して加工への垂直統合へ転じ、1985年4月には苫小牧の生産を全面停止して、自家水力発電を持つ蒲原だけが国内に残る。以後は買い入れた地金を板・押出・箔・化成品へ加工して売る側に立った。
1975年3月 日軽アルミ吸収で垂直統合
日軽アルミ吸収で垂直統合第一次石油危機による電力料金の急騰でアルミ製錬の採算が崩れ、無配転落に至った財務危機を受けて、製錬の拡張投資を撤回し、減量と圧延・加工への垂直統合へ資本を振り替えた同じ経営論点に直面した企業 | 構造改革・リストラ業績の推移1974 1975 1980 売上高(億円) 885 1,166 2,653 純利益率(%) 1.7 -0.6 3.4 1952年10月 アルミニウム社と資本提携
業績の推移1952 1957 売上高(億円) 59 82 営業利益率(%) 28.7 −