1969年8月に松永義正副社長が示した1975年度200万トンという需要見通しは、外れていない。アルミの需要は現に伸び、日本の需要は世界第2位に達した。外れたのは1キロワット時4円という電力価格の前提だけであり、それが8円になった時点で、地金1トンあたり6万4,000円の差は製錬技術の改良では埋まらなくなった。60万〜70万トンへ能力を積む判断は当時の条件では合理的で、誤算は電力という一点にあったと推察される。
ただ、誤算を電力の一点に絞る整理は、減量をやり切った側から振り返った後知恵でもある。従業員は3社合計1万500人から7,500人へ減少し、役員12人が退き、松永義正社長は3年間給与を返上した。『あの頃は、私が日軽金の葬式を出すことになるのではないかと思った』という述懐は、その整理には収まらない。1979年3月期の黒字も税引き利益3,000万円にとどまり、累積欠損229億円は残ったままであった。需要が伸びた産業から退く作業は、数字が示すよりも遅く進んだといえる。