更新:2026/10/14
自山の鉱石に頼らず、他山の鉱石で炉を埋めて規模を追った会社である。1908年に大雄院製錬所を操業すると同業に先んじて買鉱を広げ、1912年には買鉱による生産量が自山に並んだ。拡大の資金は1912年の株式会社化と1916年の株式公開で一般投資家から集め、同じ年に佐賀関にも製錬所を建てた。ところが戦後恐慌で銅価が下落すると、久原房之助氏個人の信用に依存した資金繰りが1926年末に行き詰まった。後を託された義兄の鮎川義介氏は債務を整理し、1928年に久原鉱業を公開持株会社の日本産業へ組み替えた。
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最終改定: 2026年10月