フジクラの決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

価格で競えない領域を自分で作り、そこへ資源を配分してきた。銅の相場に採算を握られる電線専業のまま残らず、1973年に光ファイバ母材の製造法を検討し、1976年からは3名でファイバ同士をつなぐ融着接続機の研究を始めた。ケーブルは銅と同じく量産と価格の競争に向かうが、現場でファイバをつなぐ装置は誰も持っていなかった。一方、戦後の主力、電力用電線は2005年に古河電工との折半出資会社ビスキャスへ切り出し、共同運営へ移す。2024年には祖業の導体(銅電線)事業まで分社化した。光ファイバと接続装置は自前で抱え、銅を売る事業は合弁と子会社へ出す。この振り分けが、売上の55%を情報通信が占める事業構成を作った。

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