垂直統合と内製化
戦後の流通で価格を決めていたのは製造業であった。メーカーは自社の販売会社を通じて系列の小売店へ商品を供給し、卸から店頭までの価格体系を、自ら定めた基準価格である建値で維持した。出荷量も値引き幅もメーカーが管理していたため、廉売を試みる小売店はやがて仕入れそのものを絞られた。したがって小売に残された工夫は、立地の選定と人件費の抑制と在庫回転に限られ、売価を下げる手段は仕入価格の交渉以外になかった。小売の利益は仕入価格と売価の差で決まり、商品の仕様にも原価にも関与しなかった。何を製造し、いくらで販売するかは、店頭に並ぶ前に決まっていた。
この構造が緩む契機は円高だった。内外価格差が問題になったのは、同じ商品の海外での販売価格が国内に知られたためである。輸入品が安く流入すれば、建値に基づく価格体系は維持できない。さらに1991年からの消費の減退が重なり、値下げをしない店は顧客を失った。1990年代半ばにかけての値下げの広がりは、価格を動かす要因が円相場から個々の企業の判断へ、さらに市場の競争へ移った過程でもある。
小売が自ら価格を決めるには、仕入条件の交渉ではなく、生産まで遡るほかない。折しも1990年前後にアジアへの生産移転が本格化し、日本の小売が自社企画で海外に生産を委託する条件も整っていた。ファーストリテイリングは1988年に香港経由の直接調達へ移行し、ABCマートは韓国での生産委託で企画から販売までを掌握した。ニトリはインドネシアで自社生産を始め、神戸物産は製造から販売までを自社で担う製販一体の業態を確立している。しまむらは電算と物流を内製して低コストの運営体制を構築した。
一方、製造業の垂直統合は目的が異なる。タカタはインフレータまで含めてエアバッグを内製し、キヤノンは御手洗冨士夫氏の下で外部依存を排した。外部に委託していた工程を自社へ戻したのは、価格を決めるためではなく、原価の内訳と品質の責任を自社で引き受けるためである。同じ垂直統合でも、小売が川上へ遡って得たのは価格の決定権であり、製造業が工程の内製化で得たのは原価の内訳だった。
財務諸表のどこを見るか
売上原価率と棚卸資産の回転期間を並べて見る。内製化を進めれば外注費が固定費へ移り、原価率は下がる一方で有形固定資産と減価償却費が増加する。小売が生産まで抱えると在庫が自社に積み上がるため、棚卸資産と評価損の推移が要点になる。設備投資額の内訳で、どの工程に資金を入れたかを確かめる。合弁で川上を押さえた場合は持分法投資損益と関係会社の状況に現れる。