230年余の歴史を持つ合名会社小野市兵衛商店は、2年前に設けたばかりの製造会社を子会社に抱えたのではなく、その製造会社に呑み込まれた。専務取締役の小野雄造氏が、生き抜くために進むべき道は医薬品の製造しかないと考えた以上、会社の名も資本も薬をつくる側へ寄せるほかなかっただろう。1717年から掲げた小野市兵衛の名は、1949年に製造会社の内側へ収められている。
ただし、製造業へ移ってすぐに独創的な新薬の会社になったわけではない。1950年代の小野薬品工業を支えたのは朝日放送の番組で名を広めた大衆薬であり、自社研究が世界水準の成果に届くのは、中央研究所を建設してプロスタグランジンの全合成に成功した1968年である。一本化から20年が経っていた。商号を廃止する決定そのものが会社を変えたのではなく、廃止した後に何をつくり続けたかが会社を変えたとみられる。