日本新薬 の歴史

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創業 1911年
創業者 市野瀬潜
創業地 京都府京都市
創業
1911年11月、市野瀬潜が京都で個人商店『京都新薬堂』を創業し、欧米から輸入される医薬品の卸売を始めた。扱った薬の筆頭は高価な輸入品の回虫駆除薬サントニンで、その国産化を見据えて1919年10月、内貴清兵衛らと資本金50万円の株式会社へ改組し、社名を日本新薬へ改めた。京都市下京区壬生下溝町に本社と工場を構え、翌1920年5月から皮膚薬ピチロールと催眠薬ブロバリンの製造を始めている。原料植物の種苗はロシアが国外持ち出しを禁じており、1926年に始めた探索が国産サントニンの発売に至るのは、みぶよもぎの命名を経た1940年5月だった。
決断
日本だけを手元に残す売り方を、2020年にやめた。1926年から15年かけてサントニンを国産化した会社だが、創った薬を海外で自ら売る組織は長く持たなかった。2008年2月にセレキシパグの日本を除く全世界の開発販売権をアクテリオンへ導出し、マイルストーンとロイヤルティで開発費を回収する形を選んでいる。国内中堅の販売網では欧米の専門医へ自力で届かないという判断だった。2020年8月、核酸医薬ビルテプソの米国承認を取得して自社販売を始め、1999年に現地法人化したNS Pharmaを販売会社へ作り替えた。患者数が限られる希少疾患ほど届け先が専門の医療機関と患者団体に集まるため、少人数の営業でも自ら届けられる。この読みが、導出しか選べなかった条件を変えた。
現況
1961年に始めた食品事業は、売上の13%を占めて利益をほとんど生まない。2026年3月期の売上高1,707億円のうち医薬品が1,484億円・セグメント利益333億円、機能食品は222億円・8億円である。全社の営業利益は354億円、当期純利益297億円だった。2019年5月の第六次中期経営計画で注力領域を絞り込んで以降、自社創薬の対象は難病・希少疾患と泌尿器・血液内科に限られ、2021年に設けた中国子会社と米NS Pharmaが海外の窓口となっている。人員も医薬品1,852名に対し機能食品は174名にとどまり、配分の偏りがそのまま利益の偏りを生んでいる。
競合
海外の営業組織を、買収ではなく駐在事務所から育てた。塩野義製薬が米サイエル・ファーマをTOBで完全子会社化したのは2008年で、約14億ドルを投じて生活習慣病の医師を回る営業組織を得ながら、4年後にはHIV治療薬を自ら売る道を閉じている。日本新薬は1991年のデュッセルドルフ事務所、1997年のニューヨーク事務所を経て1999年にNS Pharmaを置き、20年かけて販売会社へ変えた。売上1,707億円は塩野義製薬の3分の1にとどまるが、デュシェンヌ型筋ジストロフィーを診る施設は米国でも限られ、少人数で回れる。患者数の少なさが、中堅の営業規模でも自社販売を成り立たせている。
日本新薬:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2006年3月期2026年3月期

創業ストーリー 京都新薬堂からサントニン国産化まで (1911年〜)

輸入販売の個人商店から法人化への踏み出し

1911年11月、市野瀬潜が京都で個人商店『京都新薬堂』を創業した[1]。明治末期から大正初期にかけて、欧米から輸入される医薬品の卸販売を主な事業として始まり、京都という古都ながら学術都市の立地が、後年の研究開発志向につながった。この個人企業を前身に、1919年10月[2]、市野瀬潜と内貴清兵衛らが[3]資本金50万円の株式会社として改組設立し[4]、社名を日本新薬株式会社へ改めた[5]。輸入商社から国産製薬会社へ生まれ変わるための法人格を整え、京都市下京区壬生下溝町に本社・工場を構えた[6]。翌1920年5月には壬生の本社事務所と工場で皮膚薬ピチロール、催眠薬ブロバリンなどの製造を始め[7]、輸入医薬品を卸す商店から自社で薬を製造する医薬品メーカーへ転じた。

  • 日本新薬 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1911年11月 市野瀬潜が京都で個人商店「京都新薬堂」を創業
    • [3]法人化は市野瀬潜と内貴清兵衛らが行った
    • [5]1919年10月 株式会社化し社名を日本新薬株式会社へ改めた
    • [6]本社・工場を京都市下京区壬生下溝町に構えた
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [2]京都新薬堂は明治末年に創業した初代社長市野瀬潜の個人企業で、日本新薬の前身である
    • [4]大正8年(1919年)10月、資本金50万円の株式会社に改組設立された
    • [7]1920年5月、京都壬生の本社事務所と工場で皮膚薬ピチロール、催眠薬ブロバリンなどの製造を始めた

1926年4月から、回虫駆除薬サントニン含有の新植物の探索[8]が始まった。1929年8月、自社は新植物の花蕾から国産サントニン結晶2.4gを抽出[9]することに成功し、その新植物を『みぶよもぎ』と命名した[10]。1934年5月、京都市西大路八条に西大路工場を設置し[11]、1935年2月には薬用植物研究のため山科研究圃場[12](現山科植物資料館)を整備した。輸入依存の事業構造から、自社研究で国産化を目指す方向へ方針を変える時期で、薬用植物の栽培から成分抽出までを日本新薬で担う体制を構築している。

  • 日本新薬 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1926年4月から回虫駆除薬サントニン含有の新植物の探索を始めた
    • [9]1929年8月 新植物の花蕾から国産サントニン結晶2.4gを抽出した
    • [10]新植物を「みぶよもぎ」と命名した
    • [11]1934年5月 京都市西大路八条に西大路工場を設置
    • [12]1935年2月 山科研究圃場(現山科植物資料館)を設置
  • 日本新薬 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1911年11月 市野瀬潜が京都で個人商店「京都新薬堂」を創業
    • [3]法人化は市野瀬潜と内貴清兵衛らが行った
    • [5]1919年10月 株式会社化し社名を日本新薬株式会社へ改めた
    • [6]本社・工場を京都市下京区壬生下溝町に構えた
    • [8]1926年4月から回虫駆除薬サントニン含有の新植物の探索を始めた
    • [9]1929年8月 新植物の花蕾から国産サントニン結晶2.4gを抽出した
    • [10]新植物を「みぶよもぎ」と命名した
    • [11]1934年5月 京都市西大路八条に西大路工場を設置
    • [12]1935年2月 山科研究圃場(現山科植物資料館)を設置
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [2]京都新薬堂は明治末年に創業した初代社長市野瀬潜の個人企業で、日本新薬の前身である
    • [4]大正8年(1919年)10月、資本金50万円の株式会社に改組設立された
    • [7]1920年5月、京都壬生の本社事務所と工場で皮膚薬ピチロール、催眠薬ブロバリンなどの製造を始めた

国産サントニン発売と戦時期の生産拡張

1940年5月、1926年の探索開始[13]から実に15年に及ぶ研究の末に、国産サントニンを発売した[14]。輸入依存から脱却した自社製造の回虫駆除薬として量産販売を開始し、日本新薬の事業基盤を確立する画期となった。同年9月に大阪支店(現関西支店)を設置し[15]、1944年10月にはサントニン現地生産のため札幌工場を設置している[16]。戦時期の医薬品需要拡大と国産化政策のなかで、京都本社・大阪支店・札幌工場の三拠点体制を整え、医療用医薬品メーカーとしての地位を得た。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [13]サントニンの国産化には大正15年(1926年)から15年間の研究に没頭した
  • 日本新薬 有価証券報告書【沿革】
    • [14]1940年5月 国産サントニンを発売
    • [15]1940年9月 大阪支店(現関西支店)を設置
    • [16]1944年10月 サントニン現地生産のため札幌工場を設置

戦時期の生産拡張は、戦後の事業基盤の礎となった。1948年に商店の医薬品製造部門と医薬硝子資材部門を分離して株式会社化する小野薬品工業と異なり、日本新薬は早期に株式会社化を済ませた優位性を活かし、戦後の混乱期にも事業の連続性を保った。1944年10月設置の札幌工場は後の1990年9月に閉鎖[17]されるが、戦時期に整えた複数拠点の生産体制が、戦後の医薬品需要拡大に応える基盤となった。

  • 日本新薬 有価証券報告書【沿革】
    • [17]1944年10月設置の札幌工場は1990年9月に閉鎖された
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [13]サントニンの国産化には大正15年(1926年)から15年間の研究に没頭した
  • 日本新薬 有価証券報告書【沿革】
    • [14]1940年5月 国産サントニンを発売
    • [15]1940年9月 大阪支店(現関西支店)を設置
    • [16]1944年10月 サントニン現地生産のため札幌工場を設置
    • [17]1944年10月設置の札幌工場は1990年9月に閉鎖された

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日本新薬の沿革1911〜2023年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1911〜1948年京都新薬堂からサントニン国産化まで京都新薬堂を創設
日本新薬に商号変更
東京出張所設置
みぶよもぎ花蕾から国産サントニン結晶を抽出
西大路工場を新設
薬用植物研究のため山科研究圃場を設置
国産サントニンの発売★★
大阪支店を開設
サントニン現地生産のため札幌工場を新設
1949〜2001年京都・大阪・東京の三市場上場と多角化京都証券取引所に株式上場
西大路工場内に総合工場を新設
大阪証券取引所に株式上場
本社・壬生工場を西大路工場敷地内に移転
黒石製薬と提携
食品事業に参入。スパイス工場を新設し粉末香辛料「スパイス・ケンダ」発売★★
新研究所を新設
東日本の医薬品生産拠点として小田原工場を新設
食品専門工場として盛岡工場を新設
食品技術研究所を新設
タジマ食品工業へ資本参加
中央研究所本館設置
千歳クリエートパーク設置
東京支社を開設
西部創薬研究所2号館設置
東部創薬研究所を新設
ニューヨーク事務所開設
医薬品製剤の生産機能を小田原工場に集約化し小田原総合製剤工場に商号変更★★
2002〜2026年核酸医薬と希少疾患領域への集中初山一登NS Pharma, Inc.をニュージャージー州へ移転
初山一登ラプラスファルマを設立
前川重信セレキシパグの日本を除く全世界の開発販売権のアクテリオンへの導出

2008年2月29日、日本新薬が自社で創製した肺動脈性肺高血圧症治療剤NS-304(セレキシパグ)について、日本を除く全世界の開発・販売をスイスのアクテリオンに委ねる基本契約を結んだと発表した経営判断。同年4月に正式なライセンス契約を締結し、日本国内は両社の共同開発・共同販売とした。

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★★★
前川重信北京事務所開設
前川重信本社敷地内に治験原薬製造棟を設置
前川重信小田原総合製剤工場敷地内に高生理活性固形製剤棟設置
前川重信第六次中期経営計画による注力領域の難病・希少疾患、泌尿器・血液内科への絞り込み

2019年5月14日、日本新薬が第六次5ヵ年中期経営計画(2019〜2023年度)を開示し、泌尿器科・血液内科・難病/希少疾患・婦人科へ自社創薬の資源を寄せる方針を掲げた経営判断。低分子のNS-304と核酸医薬のNS-065/NCNP-01を生んだ創薬基盤に、遺伝子治療などの新しいモダリティを加えるとした。

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★★★
前川重信注力領域を泌尿器科・血液内科・難病/希少疾患・婦人科に設定
前川重信国産初のアンチセンス核酸医薬ビルテプソの承認取得と、米国での自社販売開始

2020年3月にデュシェンヌ型筋ジストロフィー治療剤『ビルテプソ』が国内で承認され、同年8月12日に米食品医薬品局の迅速承認を得た。日本新薬は情報収集の拠点であった米国子会社NS Pharmaを販売会社へ作り替え、8月19日から米国で自社販売を始めた。同社にとって初めての海外自社販売品目となった。

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★★★
前川重信NS Pharmaによる米国自社販売を開始★★
中井亨北京艾努愛世医薬科技有限公司を設立
中井亨天津艾努愛世医薬有限公司を設立
中井亨プライム市場に移行
中井亨NS Pharma, Inc.が新オフィスを開設
出典・参考
  • 日本新薬 有価証券報告書【沿革】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)

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