久光製薬

の歴史

創業
1847年
創業地
佐賀県鳥栖市
創業者
久光仁平
上場
1962年
売上高(2025/2)
1,560 億円
営業利益(2025/2)
189 億円
従業員数(2025/2)
経営トップ
中冨一榮
久光製薬の長期業績と経営の転換点売上高と利益率の長期推移
売上高(億円純利益率(%)

1847 田代売薬の小松屋から国民薬サロンパスへ──九州の配置薬業に生まれた貼り薬の原点

  1. 1903年売薬製造販売を目的として、久光兄弟合名会社を設立。
  2. 1944年医薬品製造を目的として、三養基製薬株式会社を設立。
  3. 1948年鉱山機械その他鍛造品の製作販売を目的として、田代鉱機工業株式会社を設立。
  4. 1951年久光兄弟合名会社、三養基製薬株式会社、田代鉱機工業株式会社の三社が合併し、商号を久光兄弟株式会社と変更。
  5. 1960年台湾に合弁会社の久光製薬股份有限公司を設立。
  6. 1962年東京証券取引所市場第二部並びに福岡証券取引所に上場。
  7. 1964年大阪証券取引所市場第二部に上場。

久光製薬の業績推移:単体

売上高(億円)

出所:有価証券報告書・会社四季報等

配置売薬の里に生まれた小松屋と久光兄弟合名会社

久光製薬の源流は、江戸時代から配置薬業が盛んだった佐賀県鳥栖市の田代地区にある。1847年(弘化4年)、久光仁平氏がこの地で製薬・売薬の店「小松屋」を創業した。行商人が家庭に薬箱を預けて回る九州の配置売薬の伝統に連なる幕末生まれの小さな売薬商であり、会社は今日までこの年を創業年と数えている。1869年には丸薬「奇神丹」を売り出し、1871年には屋号を小松屋から久光常英堂へ改めた。創業から170年以上を経てもなお九州本社を創業の地・鳥栖に置き続けている点に、この会社の土地との結び付きの強さが表れている。 [1][2][3]

    • [1]1847年(弘化4年)に久光仁平が佐賀県鳥栖市田代地区で小松屋を創業した
    • [3]1869年に「奇神丹」を発売し、1871年に小松屋から久光常英堂へ改称(久光与市)した
  • 週刊東洋経済 2002年4月6日号
    • [2]鳥栖市田代地区は江戸時代から配置薬業が盛んな土地で、幕末に創業した小松屋が久光製薬の前身である

1903年12月、売薬製造販売を目的とする久光兄弟合名会社が設立され、個人商店から会社組織へ移行した。初代社長には中冨三郎氏が就き、以後の経営は中冨家が担った。1907年に発売した貼り薬「朝日万金膏」は同社の看板商品となり、膏薬を患部に貼って治すという、後のサロンパスへつながる商品系譜がこの時期に固まった。全国に売薬行商の販路を張り巡らせた地方の製薬業者という姿が、大正から昭和初期にかけての同社の基本形であり、貼り薬はその中核であり続けた。売薬の里・田代で培われた製造と行商のノウハウが、そのまま会社の骨格になった。 [4][5][6]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [4]1903年12月に売薬製造販売を目的として久光兄弟合名会社を設立した
    • [5]久光兄弟合名会社の設立時の社長は中冨三郎である
    • [6]1907年に「朝日万金膏」を発売した
    • [1]1847年(弘化4年)に久光仁平が佐賀県鳥栖市田代地区で小松屋を創業した
    • [3]1869年に「奇神丹」を発売し、1871年に小松屋から久光常英堂へ改称(久光与市)した
    • [5]久光兄弟合名会社の設立時の社長は中冨三郎である
    • [6]1907年に「朝日万金膏」を発売した
  • 週刊東洋経済 2002年4月6日号
    • [2]鳥栖市田代地区は江戸時代から配置薬業が盛んな土地で、幕末に創業した小松屋が久光製薬の前身である
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [4]1903年12月に売薬製造販売を目的として久光兄弟合名会社を設立した

白い貼り薬サロンパスの誕生と実物宣伝の攻勢

1934年、久光兄弟合名会社は白い貼り薬「サロンパス」を発売した。看板商品の朝日万金膏には黒い膏体が皮膚に残るという難点があり、これを解決するためゴムを基剤とする白色貼付剤の開発に挑んだ成果である。商品名は主成分のサリチル酸メチルと、剤型を表すプラスターを組み合わせて発想され、対外的にはフランス語で社交場を意味する「サロン」に「パス」を結び付けた名前として説明された。サロンパスは日本人にとって肩こりや筋肉痛を和らげる消炎鎮痛剤の代名詞となり、同社の土台を固めるロングセラーに育った。 [7][8][9]

販売を支えたのは徹底した宣伝であった。発売2年後の1936年には、後に社長となる中冨正義氏が銭湯で入浴客にサロンパスを貼って回る「実物宣伝」を展開し、戦後はコマーシャルソングを制作して電波に乗せた。積極的な広告によってサロンパスの知名度は全国区となり、人口6万人ほどの小さな町の企業でありながら、老人から子どもまでが製品名を知るブランドを持つに至った。もっとも有名になったのは会社名ではなく製品名であり、この「サロンパスの会社」という顔は、その後も長く久光製薬の対外イメージを規定した。 [10][11]

    • [10]1936年(昭和11年)に後の社長中冨正義が銭湯での貼布宣伝(実物宣伝)を行い、戦後はコマーシャルソングを制作・放映した
  • 週刊東洋経済 2002年4月6日号
    • [11]佐賀県鳥栖市は人口6万人ほどの町で、老人から子どもまで知る製品サロンパスを生み、有名なのは会社名でなく製品名である
    • [7]1934年に久光兄弟合名会社時代の同社が「サロンパス」を発売した
    • [8]サロンパスは万金膏の黒い膏体が皮膚に残る欠点を解決するための白色貼付剤開発から生まれ、名称はサリチル酸メチルとプラスターの結合に由来する
    • [10]1936年(昭和11年)に後の社長中冨正義が銭湯での貼布宣伝(実物宣伝)を行い、戦後はコマーシャルソングを制作・放映した
  • 週刊東洋経済 2002年4月6日号
    • [9]サロンパスは肩こりや筋肉痛を和らげる消炎鎮痛剤の代名詞といえる知名度を持つ
    • [11]佐賀県鳥栖市は人口6万人ほどの町で、老人から子どもまで知る製品サロンパスを生み、有名なのは会社名でなく製品名である

三社合併から株式上場へ──資本市場への接続

戦時から戦後にかけて、事業は複数の会社に分かれて営まれた。1944年5月に医薬品製造の三養基製薬株式会社が、1948年2月には鉱山機械その他鍛造品を手掛ける田代鉱機工業株式会社が設立されている。1951年2月、久光兄弟合名会社とこの2社が合併して久光兄弟株式会社が発足し、現在まで続く会社組織の直接の出発点となった。1952年に大阪、1957年に東京へ出張所を開設して販売網を全国へ広げ、1960年11月には台湾に合弁会社の久光製薬股份有限公司を設立して、本体の商号変更に先立ち海外に「久光製薬」の名の足場を築いた。 [12][13][14]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1944年5月に三養基製薬株式会社、1948年2月に田代鉱機工業株式会社が設立された
    • [13]1951年2月に三社が合併し商号を久光兄弟株式会社と変更した
    • [14]1952年7月に大阪出張所、1957年3月に東京出張所を開設し、1960年11月に台湾に合弁会社久光製薬股份有限公司を設立した

1962年9月、久光兄弟は東京証券取引所市場第二部と福岡証券取引所に株式を上場し、1964年8月には大阪証券取引所市場第二部にも上場した。高度経済成長期、テレビ広告に乗った大衆薬は家庭の常備品として普及が進んでおり、全国区の知名度を持つサロンパスを擁する同社にとって、資本市場への接続は自然な成長の道筋であった。幕末の売薬商から数えて100年余り、九州の同族企業は上場企業としての体裁を整え、次の時代に向けて社名と事業構造を作り替えた。社名が製品名の知名度に追い付くのは、この直後の商号変更を待ってのことであった。 [15][16]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1962年9月に東京証券取引所市場第二部と福岡証券取引所に上場した
    • [16]1964年8月に大阪証券取引所市場第二部に上場した
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1944年5月に三養基製薬株式会社、1948年2月に田代鉱機工業株式会社が設立された
    • [13]1951年2月に三社が合併し商号を久光兄弟株式会社と変更した
    • [14]1952年7月に大阪出張所、1957年3月に東京出張所を開設し、1960年11月に台湾に合弁会社久光製薬股份有限公司を設立した
    • [15]1962年9月に東京証券取引所市場第二部と福岡証券取引所に上場した
    • [16]1964年8月に大阪証券取引所市場第二部に上場した

1965 久光製薬への改称と赤字転落──貼付剤特化への決断とモーラスの誕生

  1. 1971年鳥栖研究所が竣工。
  2. 1971年名古屋証券取引所市場第二部に上場。
  3. 1972年東京証券取引所及び大阪、名古屋証券取引所市場第一部に指定替え。
  4. 1975年インドネシアに合弁会社のP.T.サロンパスインドネシアを設立。
  5. 1986年ブラジルに連結子会社のヒサミツ ファルマセウティカ ド ブラジル リミターダを設立。
  6. 1987年アメリカに連結子会社のヒサミツ アメリカ インコーポレイテッドを設立。
  7. 1987年宇都宮工場が竣工。

久光製薬の業績推移:単体

売上高(億円)

出所:有価証券報告書・会社四季報等

久光製薬への商号変更と東証一部への指定替え

1965年4月、久光兄弟株式会社は商号を久光製薬株式会社へ改めた。製品名が先に全国区となった会社が、社名をそれに合わせた改称であり、1960年設立の台湾合弁会社が名乗っていた「久光製薬」の名を本体が後から採った形でもある。1966年に名古屋、1970年に札幌へ出張所を開設して国内販売網を固め、製品面では1968年に「サロンパスE」、1971年には水分を含む湿布剤「サロンシップ」を発売して、一般用貼付剤の品ぞろえを広げた。同じ1971年5月には創業の地に鳥栖研究所を竣工させ、研究開発の拠点も整えている。 [17][18][19]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [17]1965年4月に商号を久光製薬株式会社に変更した
    • [19]1971年5月に鳥栖研究所が竣工した
    • [18]1968年にサロンパスE、1971年にサロンシップを発売した

資本市場での位置も一段上がった。1971年9月に名古屋証券取引所市場第二部へ上場し、1972年7月には東京・大阪・名古屋の各証券取引所で市場第一部への指定替えを果たした。1975年4月にはインドネシアに合弁会社P.T.サロンパスインドネシアを設立し、台湾に続くアジアの生産・販売拠点を確保している。もっとも、この時期の収益の柱はなお一般用のサロンパス群であり、テレビ広告を主戦場とする大衆薬各社との競争は年々厳しさを増していた。大衆薬市場の伸びに寄り掛かった成長であったことが、後の苦境の伏線となった。 [20][21][22]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1971年9月に名古屋証券取引所市場第二部に上場した
    • [21]1972年7月に東京・大阪・名古屋証券取引所市場第一部へ指定替えとなった
    • [22]1975年4月にインドネシアに合弁会社P.T.サロンパスインドネシアを設立した
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [17]1965年4月に商号を久光製薬株式会社に変更した
    • [19]1971年5月に鳥栖研究所が竣工した
    • [20]1971年9月に名古屋証券取引所市場第二部に上場した
    • [21]1972年7月に東京・大阪・名古屋証券取引所市場第一部へ指定替えとなった
    • [22]1975年4月にインドネシアに合弁会社P.T.サロンパスインドネシアを設立した
    • [18]1968年にサロンパスE、1971年にサロンシップを発売した

1980年の赤字決算と中冨博隆社長の集中戦略

一部上場で整った歩みは、1980年前後に大きくつまずいた。日本家庭薬協会の記録には、1980年に久光製薬が赤字決算に陥ったことが記されており、週刊東洋経済も後年、同社が80年代前半に経営悪化に見舞われたと振り返っている。大衆薬市場の成熟でサロンパスに頼る収益構造は行き詰まり、中堅製薬企業として限られた経営資源をどこへ振り向けるのかという問いを突き付けられた。この危機が、その後の久光製薬の性格を決める転機となる。何でも手掛ける総合路線ではなく、一つの技術に賭ける専業路線への入口であった。 [23][24]

1981年5月、創業家の中冨博隆氏が44歳で代表取締役社長に就任した。1966年の入社から15年、常務からの昇格である。新社長は「お客様第一主義」を企業哲学として掲げ、自社の強みを問い直した末に、蓄積のある貼付剤、なかでも薬効成分を皮膚から吸収させる経皮吸収型製剤への経営資源の集中を選び取った。後年、中冨博隆社長はこの時期の判断を「自社の強み、技術力、ブランド力を検討して、経皮吸収型製剤に経営資源を集中させてきた結果だ」と語っている。以後34年に及ぶ長期政権の下で、久光製薬は貼付剤一本に絞り込んだ企業へと姿を変えた。 [25][26][27]

医療用モーラス発売がひらいた連続増益の道

貼付剤特化の最初の大きな果実が、1988年5月に発売した医療用の経皮吸収型消炎鎮痛剤「モーラス」である。一般用に比べて採算のよい医療用医薬品が加わったことで収益拡大が本格化し、週刊東洋経済は後年、1985年以降の増収・増益・増配の連続期数で全上場企業の首位に久光製薬を挙げ、そのきっかけをモーラス発売に求めている。生産・研究面でも、1987年6月に宇都宮工場、1990年6月に筑波研究所を竣工させ、九州の外に医療用シフトを支える拠点を整えた。大衆薬の会社が主力を医療用へ移す、静かだが決定的な転換であった。 [28][29][30]

  • 週刊東洋経済 2008年6月7日号
    • [28]医療用鎮痛剤モーラスは1988年5月に発売され、久光製薬の連続増益のきっかけとなった
    • [29]1985年以降の増収・増益・増配の連続期数ランキングで久光製薬が1位となった
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [30]1987年6月に宇都宮工場、1990年6月に筑波研究所が竣工した

海外展開も同じ時期に骨格ができた。1986年1月にブラジル、1987年4月には米国に販売子会社を設立し、1994年9月にはベトナムに生産子会社を設けて、台湾・インドネシアと合わせた海外生産・販売網を広げた。再建の成果は数字にも表れ、1999年12月の会社説明によれば、経常利益は8期連続、当期純利益は17期連続の増益を続けていた。1980年の赤字転落から数えれば、中冨博隆社長の下でほぼ一貫して利益を伸ばし続けた計算であり、貼付剤への集中という選択の正しさを裏付ける実績となった。 [31][32]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [31]1986年1月にブラジル、1987年4月に米国、1994年9月にベトナムへ子会社を設立した
  • 証券アナリストジャーナル 2000年1月号
    • [32]1999年12月時点で経常利益は8期連続、当期利益は17期連続の増益であった
  • 週刊東洋経済 2008年6月7日号
    • [28]医療用鎮痛剤モーラスは1988年5月に発売され、久光製薬の連続増益のきっかけとなった
    • [29]1985年以降の増収・増益・増配の連続期数ランキングで久光製薬が1位となった
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [30]1987年6月に宇都宮工場、1990年6月に筑波研究所が竣工した
    • [31]1986年1月にブラジル、1987年4月に米国、1994年9月にベトナムへ子会社を設立した
  • 証券アナリストジャーナル 2000年1月号
    • [32]1999年12月時点で経常利益は8期連続、当期利益は17期連続の増益であった

1995 モーラステープの大ヒットと「貼る文化」の世界戦略──エスエス事業取得からノーベン買収へ

  1. 2000年ブラジル(アマゾネス州)に連結子会社のヒサミツ ファルマセウティカ デ マナウス リミターダを設立。
  2. 2001年ヒサミツ ファルマセウティカ ド ブラジル リミターダが、子会社のヒサミツ ファルマセウティカ デ マナウス リミターダを吸収合併。
  3. 2001年東京本社を千代田区丸の内へ移転。
  4. 2002年イギリスに連結子会社のヒサミツ ユーケー リミテッドを設立。
  5. 2005年エスエス製薬株式会社から医療用医薬品事業を分割譲渡された株式会社バイオメディクスの全発行済株式を取得し、連結子会社の久光メディカル株式会社に商号変更。
  6. 2009年米国医薬品会社ノーベン ファーマシューティカルスの全発行済株式を株式公開買付けにより取得し、完全子会社化。
  7. 2009年アメリカに連結子会社のヒサミツ ユーエス インコーポレイテッドを設立。

久光製薬の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書・会社四季報等

モーラステープの大ヒットと収益構造の転換

1995年に発売した「モーラステープ」が、久光製薬を大衆薬の中堅メーカーから高収益の医療用メーカーへ変えた。従来の水分を含む湿布剤(パップ剤)と異なり、肌触りがサラッとした薄手のテープ剤で、貼付薬として初めて腰痛症の適応を取得した点が決定的な強みとなった。発売以来毎年二桁成長を続け、2002年2月期には単品で売上高の約4割にあたる280億円を占めるまでに育つ。一般にはサロンパスの会社と見られながら、この時期には売上に占める大衆薬の比率はすでに3割以下となっていた。看板と稼ぎ頭は、この時期すでに別物になっていた。 [33][34][35]

  • 週刊東洋経済 2002年4月6日号
    • [33]モーラステープは1995年に発売され、毎年二桁成長を続け、売り上げの4割(280億円)を占めるに至った
    • [35]久光製薬の売り上げに占める大衆薬の比率は3割以下である(2002年時点)
  • 証券アナリストジャーナル 2000年1月号
    • [34]モーラステープは初の腰痛症適用を受けた貼付薬である

収益への効き方は劇薬に近かった。1996年2月期に39億円だった経常利益は、2002年2月期には4倍の155億円前後へ膨らんだ。ヒットを一過性に終わらせなかったのは発売後の改良である。細かな作業が苦手な高齢者でも真ん中の切れ込みから容易に剥がせるようにするなど、医療現場の声を吸い上げたリニューアルを重ね、中冨博隆社長は「薬効はもちろんのこと、使いやすいとか、かぶれにくいとか、細かな改良を積み重ねてきたことが共感を得ているのではないか」と説明した。使用者の6〜7割を65歳以上が占めるとみられ、高齢化の進展そのものが追い風となる商品でもあった。 [36][37][38]

  • 週刊東洋経済 2002年4月6日号
    • [36]経常利益は1996年2月期の39億円から2002年2月期に4倍の155億円前後となった
    • [37]中冨博隆社長は「薬効はもちろんのこと、使いやすいとか、かぶれにくいとか、細かな改良を積み重ねてきたことが共感を得ているのではないか」と語った
  • 週刊東洋経済 2008年6月7日号
    • [38]モーラステープ利用者の6〜7割は65歳以上とみられる
  • 週刊東洋経済 2002年4月6日号
    • [33]モーラステープは1995年に発売され、毎年二桁成長を続け、売り上げの4割(280億円)を占めるに至った
    • [35]久光製薬の売り上げに占める大衆薬の比率は3割以下である(2002年時点)
    • [36]経常利益は1996年2月期の39億円から2002年2月期に4倍の155億円前後となった
    • [37]中冨博隆社長は「薬効はもちろんのこと、使いやすいとか、かぶれにくいとか、細かな改良を積み重ねてきたことが共感を得ているのではないか」と語った
  • 証券アナリストジャーナル 2000年1月号
    • [34]モーラステープは初の腰痛症適用を受けた貼付薬である
  • 週刊東洋経済 2008年6月7日号
    • [38]モーラステープ利用者の6〜7割は65歳以上とみられる

「貼る文化」を世界へ──貼付剤の国際標準化構想

1990年代末、中冨博隆社長は貼付剤で世界に打って出る構想を繰り返し語っている。同社の核となる技術は、サロンパスに源流を持つ経皮吸収治療システム(TTS)であり、皮膚刺激を抑える技術と経皮吸収性を高める技術を組み合わせて、筋肉痛にとどまらず全身の疾病治療へ応用しようというものであった。当時すでに製品は50カ国へ輸出されており、パップ剤とパッチ剤という自社の剤型分類を世界共通の標準にすることを狙って、厚生省への提案や米FDAへの技術データ提出も進めていた。研究体制も筑波を主体に、米カリフォルニアとロンドンに拠点を置く国際分業となっていた。 [39][40]

  • 証券アナリストジャーナル 2000年1月号
    • [39]久光製薬の基盤技術はサロンパスに源を持つTTS(経皮吸収治療システム)であり、当時50カ国に輸出し、剤型分類の標準化を厚生省やFDAに働きかけていた
    • [40]研究開発は筑波研究所を主体とし、カリフォルニア研究所とロンドン事務所を海外拠点としていた

全身に薬効を届ける貼付剤の第一号が、2000年2月に発売した更年期障害治療剤「エストラーナ」である。ノバルティス・ファーマ社と共同開発した女性ホルモン製剤で、消炎鎮痛の枠を越えて貼付剤の適応領域を広げる一歩となった。同じ時期、久光製薬は資本政策でも先進的で、2000年には80万株を上限とする自己株式の消却を決議し、定款変更による消却原資の積み立ては上場会社として初の試みと説明された。医療用ではモーラステープが2000年2月期に前期比27.5%増の190億円を売り上げ、国内の医療用外用鎮痛消炎剤市場でシェアを毎年広げていた。 [41][42][43]

  • 証券アナリストジャーナル 2000年5月号
    • [41]2000年2月24日にノバルティス・ファーマ社と共同開発した更年期障害治療剤エストラーナを発売した
    • [42]2000年に80万株・15億円を上限とする自己株式消却を決議し、定款変更による株式消却積立金の積み立ては上場会社初の試みとされた
    • [43]モーラステープの2000年2月期売上高は27.5%増の190億円であった
  • 証券アナリストジャーナル 2000年1月号
    • [39]久光製薬の基盤技術はサロンパスに源を持つTTS(経皮吸収治療システム)であり、当時50カ国に輸出し、剤型分類の標準化を厚生省やFDAに働きかけていた
    • [40]研究開発は筑波研究所を主体とし、カリフォルニア研究所とロンドン事務所を海外拠点としていた
  • 証券アナリストジャーナル 2000年5月号
    • [41]2000年2月24日にノバルティス・ファーマ社と共同開発した更年期障害治療剤エストラーナを発売した
    • [42]2000年に80万株・15億円を上限とする自己株式消却を決議し、定款変更による株式消却積立金の積み立ては上場会社初の試みとされた
    • [43]モーラステープの2000年2月期売上高は27.5%増の190億円であった

エスエス医療用事業の取得と米ノーベン買収

2000年代に入ると、一般用・医療用の両輪をM&Aと提携で厚くした。一般用では2003年に水虫治療薬「ブテナロック」と鎮痛消炎プラスター「フェイタス」を発売し、サロンパス以外のブランドを育てた。医療用では2005年4月、エスエス製薬から医療用医薬品事業の分割譲渡を受けた株式会社バイオメディクスの全株式を取得し、久光メディカル株式会社として傘下に収めた。ドリンク剤や風邪薬に集中したいエスエス側の事業整理を捉えた買収であり、2007年4月には同社を吸収合併して医療用医薬品事業を本体へ統合している。 [44][45][46]

    • [44]2003年にブテナロックとフェイタスを発売した
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [45]2005年4月にエスエス製薬から医療用医薬品事業を分割譲渡されたバイオメディクスの全株式を取得し久光メディカルに商号変更、2007年4月に吸収合併した
  • 週刊東洋経済 2005年11月26日号
    • [46]エスエス製薬は2005年4月に医療用医薬品事業を久光製薬に売却し、一般薬メーカーへ転換した

海外では、一般用サロンパスの米国本格展開と医療用の足場づくりが同時に進んだ。2008年には「サロンパスペインリリーフパッチ」が米FDAの承認を取得し、大衆薬の貼付剤としては異例の米国新薬承認ルートを通った。そして2009年7月、かねて戦略提携し4.98%を出資していた米医薬品会社ノーベン・ファーマシューティカルズを、1株16.50ドル・総額4億3,000万ドル(約400億円)のTOBで完全子会社化すると発表し、同年8月に買収を完了した。中枢神経・婦人科領域の経皮吸収型製剤群を持つノーベン社の獲得は、米国を第二の本国市場とする布石であった。 [47][48][49][50]

    • [47]2008年にサロンパスペインリリーフパッチが米FDAの承認を取得した
  • Bloomberg(2009年7月14日)
    • [48]2009年7月14日、ノーベンを1株16.50ドル・総額4億3,000万ドル(約400億円)のTOBで完全子会社化すると発表し、久光は2001年の戦略提携以来4.98%を保有していた
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [49]2009年8月に株式公開買付けによりノーベン・ファーマシューティカルスの全株式を取得し完全子会社化した
  • 週刊東洋経済 2009年8月1日号
    • [50]ノーベン社は中枢神経、婦人科領域で新薬候補群を持つ米国の製薬会社である
    • [44]2003年にブテナロックとフェイタスを発売した
    • [47]2008年にサロンパスペインリリーフパッチが米FDAの承認を取得した
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [45]2005年4月にエスエス製薬から医療用医薬品事業を分割譲渡されたバイオメディクスの全株式を取得し久光メディカルに商号変更、2007年4月に吸収合併した
    • [49]2009年8月に株式公開買付けによりノーベン・ファーマシューティカルスの全株式を取得し完全子会社化した
  • 週刊東洋経済 2005年11月26日号
    • [46]エスエス製薬は2005年4月に医療用医薬品事業を久光製薬に売却し、一般薬メーカーへ転換した
  • Bloomberg(2009年7月14日)
    • [48]2009年7月14日、ノーベンを1株16.50ドル・総額4億3,000万ドル(約400億円)のTOBで完全子会社化すると発表し、久光は2001年の戦略提携以来4.98%を保有していた
  • 週刊東洋経済 2009年8月1日号
    • [50]ノーベン社は中枢神経、婦人科領域で新薬候補群を持つ米国の製薬会社である

2010 世代交代とコロナ禍を越えて──全身作用型貼付剤で挑むグローバル展開

  1. 2011年中国に連結子会社の久光製薬技術諮詢(北京)有限公司を設立。
  2. 2017年中国に連結子会社の久光製葯(中国)有限公司を設立。
  3. 2018年香港に連結子会社の久光製藥(香港)有限公司を設立。
  4. 2019年イタリアに連結子会社のヒサミツ イタリア S.r.l.を設立。
  5. 2020年マレーシアに連結子会社のヒサミツ ファーマシューティカル マレーシア Sdn.Bhd.を設立。
  6. 2022年東京証券取引所プライム市場、名古屋証券取引所プレミア市場へ区分変更(移行)。
  7. 2023年通信販売事業を吸収分割により連結子会社の久光ウエルネス株式会社へ承継。

久光製薬の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書・会社四季報等

34年ぶりの社長交代と全身作用型貼付剤の商用化

2010年代の久光製薬は、アジアの販売網とアレルギー領域を広げながら、経営の世代交代を進めた。2011年10月に北京、2017年8月に中国、2018年2月に香港へ相次いで現地法人を設立し、2012年には仏サノフィとの提携の下で一般用アレルギー治療薬「アレグラFX」を発売した。そして2015年5月、34年ぶりの社長交代が実現する。中冨博隆社長は代表権のある会長となり、長男の中冨一榮副社長が42歳で社長に昇格した。博隆氏は2020年7月に名誉会長へ退き、2021年8月16日に84歳で死去している。 [51][52][53][54]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [51]2011年10月に北京、2017年8月に中国、2018年2月に香港へ現地法人を設立した
  • 週刊東洋経済 2012年8月3日号
    • [52]2012年にアレグラFXを発売し、販売元サノフィは久光製薬と合弁会社を設立して販売体制を整えた
  • 日本経済新聞(2015年3月27日)
    • [53]2015年5月21日付で中冨一榮副社長(42)が社長へ昇格し、34年ぶりの社長交代となり、中冨博隆社長は代表権のある会長に就任、新社長は現社長の長男である
    • [54]中冨博隆は2020年7月に名誉会長となり、2021年8月16日に満84歳で逝去した

ノーベン買収の成果も、この時期に製品として形になった。同社が開発した経皮吸収型の統合失調症治療剤「SECUADO」は2019年10月に米国で承認を取得し、2020年3月に米国で販売を開始した。飲み薬の服薬管理が難しい患者に1日1回の貼り替えで薬効を届ける全身作用型の貼付剤であり、「貼る文化」を精神疾患領域へ広げる試金石となった。国内でも2018年にアレルギー性鼻炎治療剤アレサガテープ、2019年12月にパーキンソン病治療剤ハルロピテープを発売し、消炎鎮痛にとどまらない経皮吸収型製剤の製品群が出そろった。 [55][56][57]

  • 久光製薬「2020年2月期決算説明会資料」(2020年4月10日)
    • [55]SECUADO(HP-3070)は2019年10月に米国で承認を取得し、2020年3月2日(米国時間)に米国での販売を開始した
    • [56]2019年12月に経皮吸収型パーキンソン病治療剤ハルロピテープを新発売した
  • 久光製薬「2019年2月期決算説明会資料」(2019年4月)
    • [57]2018年に経皮吸収型アレルギー性鼻炎治療剤アレサガテープを新発売した
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [51]2011年10月に北京、2017年8月に中国、2018年2月に香港へ現地法人を設立した
  • 週刊東洋経済 2012年8月3日号
    • [52]2012年にアレグラFXを発売し、販売元サノフィは久光製薬と合弁会社を設立して販売体制を整えた
  • 日本経済新聞(2015年3月27日)
    • [53]2015年5月21日付で中冨一榮副社長(42)が社長へ昇格し、34年ぶりの社長交代となり、中冨博隆社長は代表権のある会長に就任、新社長は現社長の長男である
    • [54]中冨博隆は2020年7月に名誉会長となり、2021年8月16日に満84歳で逝去した
  • 久光製薬「2020年2月期決算説明会資料」(2020年4月10日)
    • [55]SECUADO(HP-3070)は2019年10月に米国で承認を取得し、2020年3月2日(米国時間)に米国での販売を開始した
    • [56]2019年12月に経皮吸収型パーキンソン病治療剤ハルロピテープを新発売した
  • 久光製薬「2019年2月期決算説明会資料」(2019年4月)
    • [57]2018年に経皮吸収型アレルギー性鼻炎治療剤アレサガテープを新発売した

コロナ禍の急減益とHX2025による立て直し

新型コロナウイルス禍は、貼付剤の商売の土台を直撃した。2021年2月期の売上高は1,145億円と前期の1,410億円から2割近く落ち込み、営業利益は107億円、純利益は92億円へ半減した。病院での受診抑制で医療用のモーラステープの処方が減り、一般用では移動制限により春節で来日する中国人観光客のサロンパス需要が消失したためである。高齢者が処方を受けに通い、観光客が土産に買うという貼り薬の消費の在り方そのものが、感染症で止まった格好であった。それでも同社は増配計画を維持し、財務の厚みを頼りに回復を待つ構えを取った。 [58]

  • 日本経済新聞(2021年3月23日)
    • [58]2021年2月期は受診抑制と処方数量制限で消炎鎮痛剤が減少し、春節の訪日中国人需要も消失して純利益は前期比50%減となった

反転の設計図として、2021年9月に新しい企業使命とともに第7期中期経営方針「HX2025」を発表した。同じ2021年には経皮吸収型のがん疼痛治療剤「ジクトルテープ」を発売し、2023年にはあゆみ製薬ホールディングスの完全親会社AYM HDの株式取得や、通信販売事業を承継する久光ウエルネスの設立など、グループの事業構成を組み替えた。研究面では2024年2月、創業の地・鳥栖に新研究拠点「SAGAグローバルリサーチセンター」が竣工し、分散していた研究機能の再結集を進めている。コロナ禍で露呈した収益源の偏りを、パイプラインと事業構成の両面から広げ直そうとしている。 [59][60][61][62]

  • 久光製薬「統合報告書2021」
    • [59]2021年9月17日に新・企業使命とともに第7期中期経営方針HX2025を発表した
    • [60]2021年にジクトルテープを発売した
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [61]2023年にAYM HD株式会社の株式を取得し、2023年6月に久光ウエルネスを設立、同年9月に通信販売事業を承継させた
    • [62]2024年2月にSAGAグローバルリサーチセンターが竣工した

業績は4年かけて持ち直した。2025年2月期の売上高は1,560億円、純利益は218億円とコロナ前の水準を超え、発売30周年を迎えたモーラステープの記念配当を含む13期連続の増配を予定するまでになった。1934年発売のサロンパスも2024年に90周年を迎え、外用鎮痛消炎剤で世界のトップブランドと認定されるなど、海外売上の柱に育った。幕末の配置売薬から数えて180年近く、貼り薬一筋という世界でも希有な専業戦略を貫いた企業は、「貼付剤による治療文化を世界へ」を掲げて次の市場を探し続けている。 [63][64]

  • 久光製薬「2025年2月期決算説明会資料」(2025年4月10日)
    • [63]2025年2月期はモーラステープ30周年記念配当を含め13期連続増配を予定した
  • 久光製薬「2024年2月期決算説明会資料」(2024年4月)
    • [64]サロンパスは2024年に発売90周年を迎え、2019年5月に世界No.1ブランドの認定を3年連続で受けた
  • 日本経済新聞(2021年3月23日)
    • [58]2021年2月期は受診抑制と処方数量制限で消炎鎮痛剤が減少し、春節の訪日中国人需要も消失して純利益は前期比50%減となった
  • 久光製薬「統合報告書2021」
    • [59]2021年9月17日に新・企業使命とともに第7期中期経営方針HX2025を発表した
    • [60]2021年にジクトルテープを発売した
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [61]2023年にAYM HD株式会社の株式を取得し、2023年6月に久光ウエルネスを設立、同年9月に通信販売事業を承継させた
    • [62]2024年2月にSAGAグローバルリサーチセンターが竣工した
  • 久光製薬「2025年2月期決算説明会資料」(2025年4月10日)
    • [63]2025年2月期はモーラステープ30周年記念配当を含め13期連続増配を予定した
  • 久光製薬「2024年2月期決算説明会資料」(2024年4月)
    • [64]サロンパスは2024年に発売90周年を迎え、2019年5月に世界No.1ブランドの認定を3年連続で受けた

久光製薬の沿革1903〜2024年における主な出来事を抜粋

年月区分社長・CEO出来事重要度
会社設立売薬製造販売を目的として、久光兄弟合名会社を設立。★★★
会社設立医薬品製造を目的として、三養基製薬株式会社を設立。★★
会社設立鉱山機械その他鍛造品の製作販売を目的として、田代鉱機工業株式会社を設立。★★
組織再編久光兄弟合名会社、三養基製薬株式会社、田代鉱機工業株式会社の三社が合併し、商号を久光兄弟株式会社と変更。★★★
大阪出張所を開設(現大阪支店)。
東京出張所を開設(現東京本社・東京支店)。
合弁設立・海外進出台湾に合弁会社の久光製薬股份有限公司を設立。★★
株式上場東京証券取引所市場第二部並びに福岡証券取引所に上場。★★★
株式上場大阪証券取引所市場第二部に上場。★★
商号を久光製薬株式会社に変更。
名古屋出張所を開設(現名古屋支店)。
札幌出張所を開設(現札幌支店)。
研究開発・設備投資鳥栖研究所が竣工。★★
株式上場名古屋証券取引所市場第二部に上場。★★
株式上場東京証券取引所及び大阪、名古屋証券取引所市場第一部に指定替え。★★★
合弁設立・海外進出インドネシアに合弁会社のP.T.サロンパスインドネシアを設立。★★
海外進出中冨博隆ブラジルに連結子会社のヒサミツ ファルマセウティカ ド ブラジル リミターダを設立。★★
海外進出アメリカに連結子会社のヒサミツ アメリカ インコーポレイテッドを設立。★★
設備投資宇都宮工場が竣工。★★
九州支店を福岡市へ移転。
研究開発・設備投資筑波研究所が竣工。★★
東京支店を品川区西五反田へ移転し、東京本社を設置。
海外進出ベトナムに連結子会社のヒサミツ ベトナム ファーマシューティカル カンパニーリミテッドを設立。★★
海外進出ブラジル(アマゾネス州)に連結子会社のヒサミツ ファルマセウティカ デ マナウス リミターダを設立。★★
組織再編・海外進出ヒサミツ ファルマセウティカ ド ブラジル リミターダが、子会社のヒサミツ ファルマセウティカ デ マナウス リミターダを吸収合併。
東京本社を千代田区丸の内へ移転。
海外進出イギリスに連結子会社のヒサミツ ユーケー リミテッドを設立。★★
海外進出台湾に台北支店を開設。
企業買収エスエス製薬株式会社から医療用医薬品事業を分割譲渡された株式会社バイオメディクスの全発行済株式を取得し、連結子会社の久光メディカル株式会社に商号変更。★★
組織再編連結子会社の久光メディカル株式会社を吸収合併。
海外進出アメリカに連結子会社のヒサミツ ユーエス インコーポレイテッドを設立。★★
企業買収・海外進出米国医薬品会社ノーベン ファーマシューティカルスの全発行済株式を株式公開買付けにより取得し、完全子会社化。★★★
上場廃止大阪証券取引所の上場を廃止。
海外進出中国に連結子会社の久光製薬技術諮詢(北京)有限公司を設立。★★
東京本社を丸の内ビルディングへ移転。
海外進出フィリピンにマニラ支店を開設。
海外進出中国に連結子会社の久光製葯(中国)有限公司を設立。★★
海外進出中冨一榮香港に連結子会社の久光製藥(香港)有限公司を設立。★★
海外進出イタリアに連結子会社のヒサミツ イタリア S.r.l.を設立。★★
海外進出マレーシアに連結子会社のヒサミツ ファーマシューティカル マレーシア Sdn.Bhd.を設立。★★
会社設立連結子会社のSAGA久光スプリングス株式会社を設立。
株式上場東京証券取引所プライム市場、名古屋証券取引所プレミア市場へ区分変更(移行)。★★
会社設立連結子会社の久光ウエルネス株式会社を設立。
組織再編通信販売事業を吸収分割により連結子会社の久光ウエルネス株式会社へ承継。★★
研究開発・設備投資SAGAグローバルリサーチセンターが竣工。★★
出典・参考

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