1847年 田代売薬の小松屋から国民薬サロンパスへ──九州の配置薬業に生まれた貼り薬の原点
- 1903年売薬製造販売を目的として、久光兄弟合名会社を設立。
- 1944年医薬品製造を目的として、三養基製薬株式会社を設立。
- 1948年鉱山機械その他鍛造品の製作販売を目的として、田代鉱機工業株式会社を設立。
- 1951年久光兄弟合名会社、三養基製薬株式会社、田代鉱機工業株式会社の三社が合併し、商号を久光兄弟株式会社と変更。
- 1960年台湾に合弁会社の久光製薬股份有限公司を設立。
- 1962年東京証券取引所市場第二部並びに福岡証券取引所に上場。
- 1964年大阪証券取引所市場第二部に上場。
久光製薬の業績推移:単体
出所:有価証券報告書・会社四季報等
配置売薬の里に生まれた小松屋と久光兄弟合名会社
久光製薬の源流は、江戸時代から配置薬業が盛んだった佐賀県鳥栖市の田代地区にある。1847年(弘化4年)、久光仁平氏がこの地で製薬・売薬の店「小松屋」を創業した。行商人が家庭に薬箱を預けて回る九州の配置売薬の伝統に連なる幕末生まれの小さな売薬商であり、会社は今日までこの年を創業年と数えている。1869年には丸薬「奇神丹」を売り出し、1871年には屋号を小松屋から久光常英堂へ改めた。創業から170年以上を経てもなお九州本社を創業の地・鳥栖に置き続けている点に、この会社の土地との結び付きの強さが表れている。 [1][2][3]
- [1]1847年(弘化4年)に久光仁平が佐賀県鳥栖市田代地区で小松屋を創業した
- [3]1869年に「奇神丹」を発売し、1871年に小松屋から久光常英堂へ改称(久光与市)した
- 週刊東洋経済 2002年4月6日号
- [2]鳥栖市田代地区は江戸時代から配置薬業が盛んな土地で、幕末に創業した小松屋が久光製薬の前身である
1903年12月、売薬製造販売を目的とする久光兄弟合名会社が設立され、個人商店から会社組織へ移行した。初代社長には中冨三郎氏が就き、以後の経営は中冨家が担った。1907年に発売した貼り薬「朝日万金膏」は同社の看板商品となり、膏薬を患部に貼って治すという、後のサロンパスへつながる商品系譜がこの時期に固まった。全国に売薬行商の販路を張り巡らせた地方の製薬業者という姿が、大正から昭和初期にかけての同社の基本形であり、貼り薬はその中核であり続けた。売薬の里・田代で培われた製造と行商のノウハウが、そのまま会社の骨格になった。 [4][5][6]
- 有価証券報告書【沿革】
- [4]1903年12月に売薬製造販売を目的として久光兄弟合名会社を設立した
- [5]久光兄弟合名会社の設立時の社長は中冨三郎である
- [6]1907年に「朝日万金膏」を発売した
- [1]1847年(弘化4年)に久光仁平が佐賀県鳥栖市田代地区で小松屋を創業した
- [3]1869年に「奇神丹」を発売し、1871年に小松屋から久光常英堂へ改称(久光与市)した
- [5]久光兄弟合名会社の設立時の社長は中冨三郎である
- [6]1907年に「朝日万金膏」を発売した
- 週刊東洋経済 2002年4月6日号
- [2]鳥栖市田代地区は江戸時代から配置薬業が盛んな土地で、幕末に創業した小松屋が久光製薬の前身である
- 有価証券報告書【沿革】
- [4]1903年12月に売薬製造販売を目的として久光兄弟合名会社を設立した
白い貼り薬サロンパスの誕生と実物宣伝の攻勢
1934年、久光兄弟合名会社は白い貼り薬「サロンパス」を発売した。看板商品の朝日万金膏には黒い膏体が皮膚に残るという難点があり、これを解決するためゴムを基剤とする白色貼付剤の開発に挑んだ成果である。商品名は主成分のサリチル酸メチルと、剤型を表すプラスターを組み合わせて発想され、対外的にはフランス語で社交場を意味する「サロン」に「パス」を結び付けた名前として説明された。サロンパスは日本人にとって肩こりや筋肉痛を和らげる消炎鎮痛剤の代名詞となり、同社の土台を固めるロングセラーに育った。 [7][8][9]
- [7]1934年に久光兄弟合名会社時代の同社が「サロンパス」を発売した
- [8]サロンパスは万金膏の黒い膏体が皮膚に残る欠点を解決するための白色貼付剤開発から生まれ、名称はサリチル酸メチルとプラスターの結合に由来する
- 週刊東洋経済 2002年4月6日号
- [9]サロンパスは肩こりや筋肉痛を和らげる消炎鎮痛剤の代名詞といえる知名度を持つ
販売を支えたのは徹底した宣伝であった。発売2年後の1936年には、後に社長となる中冨正義氏が銭湯で入浴客にサロンパスを貼って回る「実物宣伝」を展開し、戦後はコマーシャルソングを制作して電波に乗せた。積極的な広告によってサロンパスの知名度は全国区となり、人口6万人ほどの小さな町の企業でありながら、老人から子どもまでが製品名を知るブランドを持つに至った。もっとも有名になったのは会社名ではなく製品名であり、この「サロンパスの会社」という顔は、その後も長く久光製薬の対外イメージを規定した。 [10][11]
- [10]1936年(昭和11年)に後の社長中冨正義が銭湯での貼布宣伝(実物宣伝)を行い、戦後はコマーシャルソングを制作・放映した
- 週刊東洋経済 2002年4月6日号
- [11]佐賀県鳥栖市は人口6万人ほどの町で、老人から子どもまで知る製品サロンパスを生み、有名なのは会社名でなく製品名である
- [7]1934年に久光兄弟合名会社時代の同社が「サロンパス」を発売した
- [8]サロンパスは万金膏の黒い膏体が皮膚に残る欠点を解決するための白色貼付剤開発から生まれ、名称はサリチル酸メチルとプラスターの結合に由来する
- [10]1936年(昭和11年)に後の社長中冨正義が銭湯での貼布宣伝(実物宣伝)を行い、戦後はコマーシャルソングを制作・放映した
- 週刊東洋経済 2002年4月6日号
- [9]サロンパスは肩こりや筋肉痛を和らげる消炎鎮痛剤の代名詞といえる知名度を持つ
- [11]佐賀県鳥栖市は人口6万人ほどの町で、老人から子どもまで知る製品サロンパスを生み、有名なのは会社名でなく製品名である
三社合併から株式上場へ──資本市場への接続
戦時から戦後にかけて、事業は複数の会社に分かれて営まれた。1944年5月に医薬品製造の三養基製薬株式会社が、1948年2月には鉱山機械その他鍛造品を手掛ける田代鉱機工業株式会社が設立されている。1951年2月、久光兄弟合名会社とこの2社が合併して久光兄弟株式会社が発足し、現在まで続く会社組織の直接の出発点となった。1952年に大阪、1957年に東京へ出張所を開設して販売網を全国へ広げ、1960年11月には台湾に合弁会社の久光製薬股份有限公司を設立して、本体の商号変更に先立ち海外に「久光製薬」の名の足場を築いた。 [12][13][14]
- 有価証券報告書【沿革】
- [12]1944年5月に三養基製薬株式会社、1948年2月に田代鉱機工業株式会社が設立された
- [13]1951年2月に三社が合併し商号を久光兄弟株式会社と変更した
- [14]1952年7月に大阪出張所、1957年3月に東京出張所を開設し、1960年11月に台湾に合弁会社久光製薬股份有限公司を設立した
1962年9月、久光兄弟は東京証券取引所市場第二部と福岡証券取引所に株式を上場し、1964年8月には大阪証券取引所市場第二部にも上場した。高度経済成長期、テレビ広告に乗った大衆薬は家庭の常備品として普及が進んでおり、全国区の知名度を持つサロンパスを擁する同社にとって、資本市場への接続は自然な成長の道筋であった。幕末の売薬商から数えて100年余り、九州の同族企業は上場企業としての体裁を整え、次の時代に向けて社名と事業構造を作り替えた。社名が製品名の知名度に追い付くのは、この直後の商号変更を待ってのことであった。 [15][16]
- 有価証券報告書【沿革】
- [15]1962年9月に東京証券取引所市場第二部と福岡証券取引所に上場した
- [16]1964年8月に大阪証券取引所市場第二部に上場した
- 有価証券報告書【沿革】
- [12]1944年5月に三養基製薬株式会社、1948年2月に田代鉱機工業株式会社が設立された
- [13]1951年2月に三社が合併し商号を久光兄弟株式会社と変更した
- [14]1952年7月に大阪出張所、1957年3月に東京出張所を開設し、1960年11月に台湾に合弁会社久光製薬股份有限公司を設立した
- [15]1962年9月に東京証券取引所市場第二部と福岡証券取引所に上場した
- [16]1964年8月に大阪証券取引所市場第二部に上場した