1981年の絞り込みで捨てられたのは、売れない商品ではなく、総合製薬になるという道であった。前年に赤字を計上した会社が普通に採るのは不採算品の整理か別分野への進出であり、同年5月に44歳で社長へ就任した中冨博隆氏はどちらも主眼に置いていない。1934年発売のサロンパスは看板のまま残し、その中にある皮膚刺激を抑える技術と経皮吸収性を高める技術だけを抜き出す。二つを合わせて経皮吸収治療システムと名づけ、会社の中核技術に据えた。
サロンパスに源を持つ製剤技術、という定義の仕方が、行き先と行き止まりを同時に決めたのだろう。皮膚から薬を通す技術と定めたからこそ、売り先を薬局の店頭から医師の処方へ移すことができ、1988年5月の医療用消炎鎮痛剤モーラスが成立する。同じ定義を持つかぎり、飲み薬にも注射剤にも出ていけない。数字になるまでには20年近くを要し、1999年2月期には売上高491億円の90%を鎮痛消炎貼付剤が占めた。絞り込んだ会社にできる拡大は、市場を選び直すことではなく、選んだ市場の物差しを書き替えることであった。