久光製薬エスエス製薬の医療用医薬品事業を吸収分割で譲り受け、医療用の品ぞろえを広げる

貼付剤の単品依存を抜けるために、なぜ他社が手放す医療用事業を丸ごと引き取ったのか

時期 2004年5月
意思決定者(推定) 中冨博隆 社長
論点 医療用医薬品事業の品ぞろえと営業体制
概要
2004年5月21日、久光製薬とエスエス製薬は、エスエス製薬の医療用医薬品事業を分割して2005年4月1日付で久光製薬へ譲渡することで合意した。休眠会社の株式会社バイオメディクスへ事業を移し、久光製薬がその全株式を取得する吸収分割方式で、譲受後に同社は久光メディカル株式会社へ商号を改めた。
背景
久光製薬の医療用医薬品事業は外用鎮痛消炎貼付剤のモーラスとモーラステープに集中しており、薬価改定のたびに数量の伸びで補う構造にあった。一方のエスエス製薬は日本ベーリンガーインゲルハイムが57.3%を握る資本の下で、医療用医薬品と薬粧の二本立てを解いて薬粧へ資源を集めようとしていた。
内容
譲受の対象は既承認の医療用医薬品・体外診断用医薬品・臨床栄養剤・検査用試薬と開発段階製品、関連する特許・商標・ノウハウ、そして医療用医薬品事業に携わる役員・従業員約300名であった。対象事業の2004年3月期売上高は106億1,600万円で、エスエス製薬の個別売上の18.1%にあたる。
含意
久光製薬は新体制の目標として、連結売上高1,000億円を視野に入れた経営、ジクロフェナック製剤の取得による品ぞろえ強化、MR500人超の営業体制、研究開発パイプラインの強化を挙げた。連結売上高は譲受直後の2006年2月期に1,027億円へ達し、2007年4月には久光メディカルを本体へ吸収合併している。
筆者の見解

二品目では医師に会えない

2004年の譲受で足りなかったのは薬の数ではなく、MRが医師を訪ねる理由であった。久光製薬の医療用は1981年以降の絞り込みでモーラスとモーラステープに集約され、2000年時点でこの二品目が414億円、医療用外用鎮痛消炎剤市場の27.6%を占めている。市場の四分の一を握りながら、整形外科や皮膚科の医師に差し出せる薬は貼付剤に限られ、面会の機会そのものが増えない。品ぞろえを広げる道は新薬の承認を待つか他社から事業ごと引き取るかの二つで、久光製薬は後者へ動いた。

もっとも、一度に広がった棚は、久光製薬が作った薬では埋まっていない。2005年4月に移ってきたジクロフェナック製剤群は経口剤・ゲル剤・テープ剤・パップ剤にわたり、貼り薬しか持たなかった会社が同じ成分の飲み薬と塗り薬まで手にした。増えた品目は経皮吸収治療システムの外にあり、1981年以来の一点集中では説明のつかない薬であった。エスエス製薬が薬粧に絞るために手放した事業が、久光製薬では集中の外側に積まれている。選択と集中という一つの言葉が、売り手と買い手で逆向きに働いた取引であったといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

医療用が二品目に寄っていた

1981年以降の絞り込みで、久光製薬の医療用医薬品事業は外用鎮痛消炎貼付剤のモーラスとモーラステープに集約されていた。2000年時点でこの二品目の合計は414億円、医療用外用鎮痛消炎剤市場でのシェアは27.6%に達している。強い品目を持つことと、品目が少ないことは裏表であった。薬価が引き下げられるたび、数量の伸びで下げ幅を埋める必要があった[1][2]

医師に薬を説明して回るMRの数も、扱う品目の幅に縛られていた。整形外科や皮膚科を訪ねても差し出せる薬が貼付剤に限られていれば、面会の機会そのものが増えない。品ぞろえを広げるには新薬の承認を待つか、他社から事業ごと引き取るかの二つしか道がなく、久光製薬は後者へ動いた[3]

売り手の事情——エスエス製薬の分離

相手側にも、手放す理由があった。エスエス製薬は当時、日本ベーリンガーインゲルハイムが発行済株式の57.3%を保有する体制にあり、薬業界の二極分化が進むなかで「選択と集中」および「専門性と競争力」を強く採り入れる必要があると認識していた。同社はこの判断のもとで、医療用医薬品事業と薬粧事業を分離すると決めた[4][5]

手放される事業の規模も開示された。医療用医薬品事業の2004年3月期売上高は106億1,600万円で、エスエス製薬の個別売上高586億7,600万円の18.1%にあたる。売上総利益は57億5,200万円であった。エスエス製薬にとっては全体の二割弱、久光製薬にとっては医療用の品ぞろえを一度に広げられる規模であり、双方の思惑が噛み合う大きさであった[6]

決断

休眠会社を受け皿にした吸収分割

2004年5月21日、両社は契約の締結を発表した。手続きは、エスエス製薬の完全子会社で診断薬等の輸入・販売を目的とする休眠会社、株式会社バイオメディクスを使う吸収分割方式である。2005年4月1日にエスエス製薬が医療用医薬品事業をバイオメディクスへ移し、同日、久光製薬が同社の発行済株式30万株の100%をエスエス製薬から取得する組み立てとした。譲受の対価は第三者による事業評価を参考に両社協議のうえで決め、株式譲渡日の移転資産の時価等で調整する取り決めであった[7][8]

引き取るものは薬だけではなかった。既承認の医療用医薬品と体外診断用医薬品、臨床栄養剤、検査用試薬、開発段階の製品に加え、承継対象の特許・商標・ノウハウ、そして医療用医薬品事業に携わる役員・従業員約300名が移った。営業職も研究開発職も医薬情報の間接部門も含む移籍であり、事業を動かす人ごと受け取る取引であった[9]

掲げた四つの目標

久光製薬は譲受の理由を、外用剤という自社の得意分野に重なる商品群を、自社の販売力で伸ばせる点に置いた。研究開発でもパイプラインを強化でき、早期の上市が見込めると説明している。両社の医療用医薬品事業を統合することで生まれる相乗効果が、専門性と競争力の強化に役立つという判断であった[10]

新体制の目標は四つ挙げられた。連結売上高1,000億円を視野に入れた経営、ジクロフェナック製剤の取得による商品ラインナップの強化、MR500人超の営業体制の確立、研究開発パイプラインの強化である。ジクロフェナック製剤は経口剤・ゲル剤・テープ剤・パップ剤にわたり、ナボール群としてエスエス製薬の医療用の中心にあった。貼付剤しか持たなかった会社が、同じ成分の飲み薬と塗り薬まで一度に手にした[11][12]

結果

1,000億円と、本体への統合

掲げた売上目標には、譲受の直後に届いた。2005年4月1日にバイオメディクスの全株式を取得して久光メディカル株式会社へ商号を改め、その期にあたる2006年2月期の連結売上高は1,027億円となる。経常利益242億円、当期純利益144億円であった。連結売上高1,000億円を視野に入れるという2004年の言い方は、一年で現在形になった[13][14]

子会社として持ち続ける形は選ばれなかった。2007年4月、久光製薬は久光メディカル株式会社を吸収合併し、譲り受けた医療用医薬品事業を本体へ取り込んでいる。別会社に置いたまま二つの営業を並走させるのではなく、MRも品目も一つの組織にまとめる決着であった。譲受から二年での統合になる[15]

売り手側のその後

事業を手放したエスエス製薬は、薬粧事業への集中を進めた。譲渡の影響は決算にも表れ、2005年度の中間期の純利益は53億5,900万円と前年同期の3億300万円から大きく増え、通期予想も66億5,000万円へ引き上げられている。生活者向けのセルフメディケーション製品に絞ってOTCファーマとしての競争力を高めるという当初の説明どおりの整理が進んだ[16][17]

久光製薬の側では、この譲受が海外への次の一手の前段になった。国内で医療用の品ぞろえとMR体制を厚くしたうえで、2008年には一般用のサロンパスペインリリーフパッチが米FDAの承認を取得し、2009年には米ノーベン・ファーマシューティカルズを株式公開買付けで完全子会社化している。国内で他社の事業を引き取る手法が、四年後に米国で繰り返された[18]

出典・参考

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