マネックスグループNEM流出事件を起こしたコインチェックの36億円での完全子会社化
みなし業者を買うか、自前の登録を待つか——「第2の創業」を掲げた半年後の選択
- 概要
- 2018年4月、マネックスグループが、仮想通貨NEM約580億円分の不正流出を起こしたコインチェックの全株式を36億円で取得し、完全子会社化した経営判断。松本大社長が2017年10月に掲げた「第2の創業」の中核に、暗号資産交換業を据えた。
- 背景
- SBIホールディングスやGMOフィナンシャルホールディングスの子会社が交換業の登録を済ませるなか、マネックスの交換業は準備段階にとどまっていた。本業でも2017年3月期の経常利益はネット証券大手6社で最下位に沈み、筆頭株主の静岡銀行はマネックス株の減損で121億円の損失を計上していた。
- 内容
- 取得価額36億円は2018年3月期末の純資産額の見込みを勘案して算定し、上乗せ分は3事業年度の純利益に連動する条件付対価に移した。和田晃一良社長と大塚雄介COOは取締役を退いて執行役員となり、代表取締役にはマネックス証券の社長を務めた勝屋敏彦氏が就いた。
- 含意
- 買収初年度のクリプトアセット事業は営業損失17億3,200万円だったが、暗号資産相場の急騰した2021年3月期には営業収益208億1,900万円へ伸び、グループ連結の営業利益を212億9,600万円へ押し上げた。相場が反転した2023年3月期には同事業の営業収益が75億8,200万円まで落ちている。
値が下がる一点でしか成立しなかった取引
36億円という値は、直前の期に1,000億円超の営業利益を稼いだといわれた会社に、平時なら付くものではなかった。値をそこまで下げたのは、NEM約580億円分の流出と業務改善命令、そして単独では事業を続けられないという相手の事情である。松本大社長は「第2の創業」を掲げた半年後に、その事情が消えないうちに交渉をまとめた。松本大社長が決めたのは参入の可否ではなく、買う時点であった。
ただ、安く買えたことと、うまく使えたことは別である。買収初年度のクリプトアセット事業はセグメント損失17億3,200万円で、登録を得るまでの管理体制とセキュリティの費用が先に出た。2021年3月期の営業収益208億1,900万円も相場の急騰に支えられたもので、翌々期には75億8,200万円まで落ちている。マネックスグループが手に入れたのは安定した収益源ではなく、相場とともに収益が上下する事業であった。
Yutaka Sugiura, 2026年8月
背景
「第2の創業」と交換業への出遅れ
2017年10月、松本大氏はマネックス証券の会長から社長に復帰し、「第2の創業」を掲げた。ブロックチェーンを使った投資商品や資金調達の構想を打ち出し、2018年1月にはマネックス仮想通貨研究所を設立している。ただ、肝心の交換業そのものは準備中にとどまっていた。競合するSBIホールディングスとGMOフィナンシャルホールディングスは、すでに子会社が仮想通貨交換業者の登録を済ませて事業を始めており、出遅れははっきりしていた[1][2]。
出遅れは、本業の不振と重なっていた。マネックスはネット証券の先発組でありながら、顧客数でSBI証券などに後れを取り、米国事業のつまずきもあって、2017年3月期の経常利益はネット証券大手6社で最下位に沈んでいた。連結の売上高も2014年3月期の547億円から458億円へ減り、親会社株主に帰属する当期純利益は3億円まで落ちていた[3][4]。
筆頭株主・静岡銀行の失望
もう一つの圧力は、筆頭株主から来ていた。2014年4月、静岡銀行はオリックスからマネックスグループ株の20%弱を約244億円で取得して筆頭株主となり、2016年以降の買い増しで出資比率を25.4%まで高めた。しかしこの間、静岡銀行はマネックスの収益低迷と株価下落で痛手を負い、2017年3月期にはマネックス株の減損で121億円の損失を計上して、大幅減益の一因となった[5]。
協業の中身も細かった。静岡銀行のある幹部は投資信託販売やブロックチェーン技術の実証実験を挙げたうえで、本格的に収益へ貢献するものはまだないと語り、同行の元首脳は「マネックスとの提携で果実がないなら、責任問題になりかねない」(週刊東洋経済 2018/4/21)と述べている。一方でマネックスは2018年3月期に米国事業が黒字化する見込みとなり、攻めに転じる余裕が出てきた時期にもあたっていた[6]。
決断
事故直後の会社を丸ごと引き受ける
2018年4月6日、マネックスグループはコインチェックの全株式1,775,267株を36億円で取得すると決め、4月16日に取得を完了した。コインチェックは1月26日の不正送金で関東財務局から業務改善命令を受け、金融庁の登録を得ないまま特例で営業を認められた「みなし交換業者」の位置にとどまっていた。自前で登録を待つ道を選ばず、事故直後の相手を丸ごと引き受けることで、マネックスは参入までの時間を縮めた[7][8]。
引き受けは、経営管理の入れ替えを伴った。和田晃一良社長と大塚雄介COOは取締役を退いて執行役員に移り、代表取締役にはマネックス証券の社長を務めた勝屋敏彦氏が就いた。取締役には弁護士の久保利英明氏と元東京三菱銀行常務取締役の玉木武至氏が加わっている。松本大社長は「コインチェックとともに新しい時代の総合金融機関を目指したい」(週刊東洋経済 2018/4/21)と述べ、オンライン証券業で培った管理の知見を投じるとした[9][10]。
36億円という値付けと、条件付対価
値付けは、コインチェックの2018年3月期末の純資産額の見込みを総合的に勘案して決められた。同社の2017年3月期は、仮想通貨の売却収入から売却原価を控除した純額ベースで売上高9億8,000万円・営業利益7億1,900万円にすぎない。しかし相場の急騰した2018年3月期には1,000億円超の営業利益を稼いだといわれ、会員数は2017年末で100万人を超えていた。36億円は、その事業規模に対して異例に低い水準であった[11][12][13]。
低い値付けを成り立たせたのが、条件付対価の合意であった。マネックスは旧株主との間で、2019年3月期から2021年3月期までの3事業年度の当期純利益の合計額の2分の1を上限とし、一定の事業上のリスクを控除して算出した金額を追加で支払うと定めた。相場が続けば旧株主に報い、崩れれば追加の支払いは生じない。複数の訴訟を抱える会社を買う側のリスクを、価格そのものではなく支払いの条件へ移す設計であった[14][15]。
結果
登録取得までの赤字と、3年目の反転
買収の初年度は赤字だった。2019年3月期のクリプトアセット事業は、営業収益21億1,600万円に対しセグメント損失17億3,200万円。金融庁の要請を受けた内部管理体制とサイバーセキュリティの強化に費用がかさみ、暗号資産相場も静かだった。コインチェックが暗号資産交換業者の登録を受けたのは2019年1月で、その後の新規通貨の追加と口座数の伸びにより、同事業は2020年3月期第1四半期に初めて黒字を計上した[16][17]。
3年目に数字が反転した。2021年3月期のクリプトアセット事業は、暗号資産市場の活況で営業収益が前期比170億円増の208億1,900万円、セグメント利益98億6,800万円となり、グループ連結でも売上高779億500万円・営業利益212億9,600万円へ伸びた。松本大社長は日本・米国・クリプトのEBITDAが102億円・60億円・141億円になったことを挙げ、三つのエンジンが揃ったと説明している[18][19]。
アーンアウトの決着と、最高益の翌期の反落
アーンアウト条項の対象期間は2021年3月期で終わった。3事業年度のコインチェックの純利益合計は78億円に達し、マネックスは条件付対価の公正価値の変動による評価損38億円を同期の連結決算に計上した。抑えた買収額の残りを、実績に応じて後から払った計算になる。翌2022年3月期のクリプトアセット事業は、テレビCMなどの投下もあって営業収益286.56億円と過去最高を更新した[20][21]。
最高益の翌期は反落した。2023年3月期のクリプトアセット事業は営業収益75億8,200万円・セグメント損失8億7,600万円まで落ち込み、グループ連結の売上高は558億4,100万円、営業利益は9億6,600万円にとどまった。マネックスは2022年3月に、コインチェックの持株会社をSPACと合併させてナスダックに上場させる計画を公表しており、日本の規制と税制の制約を超えて資金を集める道を探っていた[22][23]。
- 週刊東洋経済 2018年4月21日号「ニュース深掘り 仮想通貨業界で再編 マネックス、買収の裏に「焦り」」
- 週刊東洋経済 2018年2月10日号「ニュース深掘り 仮想通貨市場に激震 収益偏重主義が招いたコインチェックの転落」
- マネックスグループ「株式取得によるコインチェック株式会社の完全子会社化に関するお知らせ」(2018年4月6日)
- マネックスグループ「コインチェック子会社化に伴う条件付対価の公正価値の変動による評価損の計上に関するお知らせ」(2021年4月27日)
- マネックスグループ 2020年3月期第1四半期 決算説明会 質疑応答
- マネックスグループ 2021年3月期 決算説明会 質疑応答
- マネックスグループ 2022年3月期 決算説明会 質疑応答
- マネックスグループ 有価証券報告書(2017年3月期〜2023年3月期・連結・IFRS)