山崎製パン不二家への資本参加と51%子会社化による経営再建の引き受け
傷んだ老舗を抱えるか、見送るか——菓子事業の拡大と再建支援が重なった判断
- 概要
- 2007年3月に不二家と業務資本提携を結び、第三者割当増資を引き受けて持株比率35%の筆頭株主となった。2008年11月には追加の増資引き受けで51%まで高め、不二家を連結子会社とした。
- 背景
- 山崎製パンは売上高1兆円を掲げていたが、パン事業のM&Aは独占禁止法に触れる可能性があり、伸ばす余地は菓子にあった。2006年7月には東ハト株の95%を取得している。
- 内容
- 2007年2月5日の技術支援の覚書から入り、社員の派遣と衛生管理手法の導入で工場の操業再開を支えたうえで、資本と役員の派遣へ段階的に踏み込んだ。
- 含意
- 不二家は2013年2月に8期ぶりの復配へ届いた。山崎製パンの量販店への営業力を洋菓子・製菓の販路に接続したことが再建の柱となり、一方で親子上場の是非が論点として残っている。
救済と拡大が同じ一手になるとき
この判断の性格は、救済と事業拡大がひとつの取引に重なったところにある。パンで規模を積み増す道が独占禁止法で塞がれていた山崎製パンにとって、菓子と洋菓子の両方を持つ会社は本来なら高い買い物であったはずが、不祥事によって支援を求める側に回っていた。逆に不二家の側は、洋菓子を切り離さずに立て直すという条件を守れる相手を探していた。互いの制約が噛み合った結果として、技術支援から始まる段階的な関与が成り立ったとみることができる。
もっとも、引き受けたものは工場と商標だけではなかった。創業家との関係、組織の慣行、赤字の続く洋菓子といった重い部分も同時に抱えている。当初の1年は連結の利益を押し下げ、洋菓子の採算は現在も課題として残る。それでも、量販店やコンビニへ通じる営業と物流を貸すという再建の方法は、資金を入れるだけの支援とは性質が違っていた。親子上場を解消すべきかという問いが立つ今、この関係が何によって支えられているのかは、あらためて問われていくとみられる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
パンで買えない分を菓子で伸ばす
2005年度の売上高7375億円を数えた山崎製パンは、「売上高1兆円」を目標に掲げていた。ただし主力のパンで同業を買い足す道は狭い。パン事業のM&Aは独占禁止法に触れる可能性があり、規模を伸ばすなら菓子を底上げするほかなかった。2006年7月、同社はユニゾン・キャピタルなどから東ハト株の95%を取得し、菓子分野を広げる意図を示している。翌年に不二家の支援へ動いた背景には、この事情があった[1]。
支援する側として持っていた資源も明確であった。全国の販売店へ工場から直接届ける物流と、量販店・コンビニに深く入り込んだ営業がそれにあたる。のちに不二家の河村宣行社長は、自社の社員は不二家の洋菓子店で売ることには長けていても外部へ売ることは不得手であり、量販店に食い込んでいる山崎製パンには顔が利くと語っている。洋菓子と製菓を抱えながら自社ルートに依存していた不二家にとって、この販路は自前では作れないものであった[2]。
支援先を探していた不二家
2007年1月に期限切れ原料の使用問題が表に出たあと、不二家は売上高がゼロどころか返品でマイナスに落ち込み、販売再開の見通しが立たない状態にあった。同年2月5日、山崎製パンは技術支援についての覚書を結び、不二家の工場へ社員を派遣するとともに衛生管理の手法を持ち込んでいる。品質の問題を立て直し、一日も早く工場を動かすことが当時の不二家の最重要課題であった。資本の話に入る前に、まず現場の再開を担うところから関与が始まった[3]。
相手方には別の候補もあった。資本関係のあった森永製菓である。ただし森永製菓には洋菓子部門がなく、赤字の洋菓子を売却せずに菓子と一体で立て直すことを望んでいた不二家の櫻井康文社長にとって、洋菓子と菓子の双方を手がける山崎製パンからの申し出は条件に合った。不二家は2007年3月14日に森永製菓との提携を解消している。支援の枠組みは、事業構成の重なりによって選ばれた面が大きい[4][5]。
決断
技術支援から資本へ、二段階の踏み込み
2007年3月、山崎製パンは不二家と業務資本提携を締結した。技術支援を受けた埼玉工場は洋菓子の生産を再開し、3月23日からは販売も戻っている。同時に「ミルキーパン」など7種類のパンが不二家の店頭に並んだが、これを作ったのも山崎製パンであった。4月には不二家が第三者割当増資を実施し、山崎製パンは持株比率35%の筆頭株主となる。工場と商品の支援を先に置き、そのうえで資本を入れる順序を踏んでいる[6][7][8]。
過半には翌年に進んだ。2008年11月7日、山崎製パンは不二家の第三者割当増資を引き受けて出資比率を35%から51%へ引き上げ、連結子会社にすると公表した。目的として挙げたのは、不二家の経営再建により積極的に関与し、グループの総力を挙げて支援して再建の速度を上げることである。不二家の側も、この11月の増資をもって山崎製パンの連結子会社となったと沿革に記している。技術支援、少数持分、そして過半という三段の踏み方であった[9][10]。
結果
負担が先に立ち、販路が後から効いた
引き受けの負担は最初の年に表れた。山崎製パンは2007年12月期の経常利益と純利益の見通しを下方修正し、理由として不二家の赤字を挙げている。期限切れ原料使用問題が尾を引き、当初計画を22億円下回る見込みとなった。同期の連結決算は売上高7732億円、経常利益187億円、当期純利益65億円である。一方で本体の菓子パンは6割増と伸び、前期の東ハト買収の効果も通年で効いていたため、営業段階の利益は拡大が続いていた[11][12]。
立て直しの効果は数年かけて表れた。不二家は2013年2月に8期ぶりの復配へ届いている。弱点であった洋菓子は直営とフランチャイズという自社ルートに依存し、2002年以降は部門別の赤字が続いていたが、山崎製パンのグループに入ったことでコンビニや量販店の販路が使えるようになった。2026年の時点でも不二家の河村宣行社長は、親子上場の解消が世の流れだとしたうえで、営業も開発も助けられており相乗効果は十分に出ていると述べ、洋菓子事業を担う副社長が山崎製パン出身であることを挙げている[13][14]。
- 山崎製パン 有価証券報告書【沿革】
- 山崎製パン 有価証券報告書(2007年12月期・連結)
- 週刊東洋経済 2007年2月17日号「スペシャルリポート02 藤井一族と決別できるのか 不二家の前途多難」
- 週刊東洋経済 2007年3月24日号「ニュース最前線 06 食品 不二家が山崎製パンとの関係を強化」
- 週刊東洋経済 2007年6月16日号「「会社四季報」最新情報」
- 週刊東洋経済 2026年1月31日号「トップに直撃 不二家 社長 河村宣行「耐えて、しのぐ原材料高 ダブルツートップで販促」」
- 日本食糧新聞・電子版(2008年11月11日)「山崎製パン、不二家を連結子会社化 第三者割当増資引き受け出資比率51%に引き上げ」
- 不二家「不二家の歴史(平成から現在)」
- 東洋経済オンライン(2013年2月14日)「不二家、“どん底”からの復活 収益改善で8年ぶり復配」