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三協精機製作所の買収と再建

2003年実施

業績不振に沈む競合を、永守重信はなぜ買い、後の日本電産サンキョーとして甦らせたのか

時期 2003年10月
意思決定者 永守重信(社長)
論点 業界再編・淘汰のなかでの不振な競合の買収と再建
概要
2003年10月、日本電産はHDD用の流体動圧軸受モータで競合していた三協精機製作所に資本参加し、筆頭株主となった。長野に本社を置く1946年創立の精密機器メーカーは、次世代のFDBモータへの投資が受注不足で回収できず、人員削減に追い込まれていた。永守重信社長は工場閉鎖を避けて自ら再建の先頭に立ち、掃除と意識改革・雇用維持という自社の手法で立て直し、2005年に日本電産サンキョーへ社名を改めた経営判断である。
背景
三協精機はHDD用モータの有力企業で、次世代のFDBモータで日本電産に挑む勢いを見せていたが、2001年にフィリピンへ建てた新工場が受注不足で稼働せず、2003年には人員削減に追い込まれた。かつてミネベアの敵対的買収を新日鉄の支援で退けたのちも、単独での再建の道は細っていた。
内容
永守は、精密モータや部品の業界には会社が多すぎ、本来より遅れて淘汰と再編が動き出したと見ていた。日本電産は第三者割当増資を引き受けて三協精機の筆頭株主となり、永守自身が再建の陣頭に立った。買収は不振な競合の救済であると同時に、FDBの技術と国内外の生産・開発拠点を取り込む一手でもあった。
含意
三協精機は日本電産サンキョー(現ニデックインスツルメンツ)として甦り、精密モータの一大拠点となった。大企業が不振の子会社を手放す業界再編の受け皿を日本電産が担った象徴的なM&Aだった一方、支えとなったFDB市場自体が、やがてHDDの後退とともに縮んでいく重さも抱えていた。
筆者の見解

淘汰の受け皿という買収の、意味と重さ

この判断の核心は、価格でも規模でもなく、沈んだ競合を潰さずに引き受けたところにある。三協精機はFDBという同じ土俵で日本電産に挑み、投資の重みで失速した。それを叩き落とすのではなく、掃除と雇用維持で甦らせ、日本電産サンキョーとして自陣へ組み入れる。会社が多すぎて淘汰が遅れているという永守の業界観のもとで、日本電産は再編の受け皿を自ら買って出た。大企業が不振の子会社を手放す潮流が、その取引を成り立たせていた。

もっとも、救済の足場となったFDBモータは、HDDという土台の上に立っていた。パソコンとサーバの記憶装置としてHDDが伸びる限りは強みだが、記録媒体がやがて別の技術へ移れば、その拠点の重みも変わる。競合を丸ごと甦らせたこの買収は、日本電産の精密機器事業を厚くした一方で、主力製品の盛衰になお左右される事業を一つ増やす選択でもあった。三協精機の再生は、次の柱を車載や家電へ広げる大きな流れの、途中の一歩として見ることができる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

FDBで挑んだ競合が、投資の重みで沈む

三協精機製作所は1946年に長野で創立された精密機器メーカーで、HDD用モータの有力な担い手だった。2000年前後、HDDの軸受は従来のボールベアリングから流体動圧軸受(FDB)へと移りつつあり、三協精機はこの有望市場で日本電産に挑む勢いを見せていた。日経の記事は、量産へ向かう各社のなかで三協精機の鼻息が最も荒いと伝えている[1][2]

だが有望市場への投資は、そのまま重荷へ変わった。三協精機は2001年に47億円を投じてフィリピンにFDBモータの新工場を建てたが、受注が伸びずに稼働が上がらず、投じた資金さえ回収できないまま2003年には人員削減へ追い込まれた。かつてミネベアの敵対的買収を新日鉄の支援で退けたのちも、単独で立て直す道は細っていた[3]

決断

「社数が多すぎる」業界の淘汰を、買い手として受ける

永守重信社長は、精密モータや電子部品の世界には会社が多すぎ、本来より遅れて淘汰と再編が動き出したと見ていた。2003年10月、日本電産は第三者割当増資を引き受けて三協精機の筆頭株主となり、そのグループへ組み入れた。永守自身が再建の先頭に立ち、有価証券報告書は同月の資本参加を沿革へ刻んでいる。競合を叩き潰すのではなく、不振に沈んだ相手を再建ごと買い取る選択だった[4][5]

永守はこの買収を、業界再編の次の段階を告げる動きとして語った。多くの市場に残る大企業支配の構図が崩れ、大企業や銀行が業績の振るわない子会社をむしろ積極的に売りに出し始めた——その変化が、不振な競合を丸ごと引き受ける取引を可能にしていた。買い手にとっては、技術と拠点を持ちながら安く手放される会社が現れる好機でもあった[6][7]

結果

日本電産サンキョーとしての再生

永守は、工場を閉じる代わりに立て直す道を選んだ。買収先へ通って掃除から意識を変え、従業員を切らずに規律を入れるという自社の再建手法を三協精機にも当て、業績を上向かせた。会社は2005年に日本電産サンキョーへ社名を改め、精密機器の一大拠点としてグループへ根を下ろした。のちにグループ全体の商号統一に合わせ、ニデックインスツルメンツへと名を変えている[8]

この買収で日本電産は、FDBという次の軸受技術と、国内の開発拠点・海外の生産拠点をまとめて手に入れた。同じ技術で競っていた相手を取り込むことで、HDD用モータの世界首位を守る足場を厚くし、車載やカメラ機構などへ広がる精密機器の基盤も得た。日本電産サンキョーはグループの主要な事業会社の一つへ育っていった[9]

出典・参考
  • 日本経済新聞 2000年5月16日「流体軸受け量産、動き鈍いベアリング各社」(日本経済新聞社)
  • 日本経済新聞 2003年7月29日「三協精機が人員削減」(日本経済新聞社)
  • 日経ビジネス 2003年7月14日号「永守・日本電産社長が語る三協精機買収の真意 10年遅れの淘汰、社数多い」(日経BP社)
  • 日経ビジネス 2003年8月18日号「永守・日本電産社長が語る三協精機買収の真意」(日経BP社)
  • ニデックインスツルメンツ株式会社 沿革
  • 日本電産 有価証券報告書(連結)【沿革】