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岸田光哉の社長就任と集団指導体制への移行

2024年実施

「第2の永守」探しを断念した創業者・永守重信は、事業承継をどう設計し直したか

時期 2024年2月
意思決定者 永守重信(会長兼CEO)
論点 事業承継と経営体制
概要
2024年2月、ニデックは臨時取締役会で社長交代を決議し、副社長の岸田光哉を同年4月付で社長執行役員(最高経営責任者)に登用した。創業者の永守重信会長兼CEOは代表権を残すグローバルグループ代表に退き、社長だった小部博志は代表権のない取締役会長へ移った経営判断である。
背景
永守会長は10年以上前から後継者を探してきたが、外部から招いた社長が相次いで短期間で退任していた。2023年4月には副社長5名を後継候補として並べ、そのうち1名を1年後に社長へ昇格させる選抜の枠組みを敷いていた。
内容
副社長5名の競争を経て岸田を社長に選び、岸田社長を核とする集団指導体制へ移行した。永守会長は代表権を残して海外M&Aを主導する立場に回り、2030年売上高10兆円と持続的成長へ向けた「安定した経営継承」を掲げた。
含意
カリスマ創業者が「第2の永守」を求める路線から、複数の幹部による集団経営へ舵を切った点に特徴がある。ただし代表権を持つ創業者が並走する二頭体制のもとで、後継社長がどこまで独自の判断を行えるかが実質的な論点として残った。
筆者の見解

カリスマの再現ではなく、仕組みで承継するという選択

この経営判断の核心は、財務危機への対応でも新規事業への投資でもなく、半世紀にわたり創業者個人へ集中してきた意思決定を、いかに次の世代へ引き渡すかという事業承継の設計にある。外部から迎えた経営者に自らの経営を再現させようとして短期の退任が続いた末に、永守重信は「第2の永守」を一人に求める発想を手放し、副社長5名を競わせて選ぶ選抜と、岸田光哉を核とする集団指導体制へと切り替えた。傑出した個人の再現ではなく、複数の幹部が支え合う仕組みで会社を回すことへ軸足を移そうとした点に、カリスマ経営者による承継としては珍しい自己相対化の姿勢がうかがえる。

もっとも、代表権を持つ創業者が並走する二頭体制は、後継社長の裁量をどこまで許すかという問いを最後まで抱えていた。その問いは、2025年に表面化した不適切会計と、それに続く永守重信の代表取締役辞任という予期しない形で決着へ向かい、経営の実権は岸田光哉へと集約されていった。創業者への依存をどう解くかという課題に早い段階から向き合っていた一方で、その企業文化に根ざした問題が承継の途上で噴き出した経緯は、カリスマ経営の承継がいかに難しいかを示している。個人への集中を仕組みへ開こうとしたこの決断の評価は、岸田体制がガバナンスの立て直しと成長の両立をどこまで果たせるかにかかっているとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

創業者に集中した経営と、繰り返された後継者難

ニデック(旧・日本電産)は、1973年に永守重信が28歳で創業して以来、およそ半世紀にわたり創業者の永守が経営の中心にあり続けてきた企業である。精密小型モータで世界首位に立ち、積極的なM&Aで連結売上高2兆円を超える規模へと拡大したその歩みは、「一勝九敗でも最後に勝てばよい」といった永守会長の言葉に象徴されるように、創業者個人の判断力と求心力に強く支えられてきた。裏を返せば、意思決定の仕組みが永守会長個人と不可分に結びついた体質でもあり、その永守会長が退いた後をどう託すかという事業承継が、長年の経営課題として残されていた[1]

永守会長は後継者の育成を早くから課題に掲げ、外部から経営人材を招いてはトップに据える試みを重ねてきた。2018年には副社長だった吉本浩之を社長に昇格させたが2021年に退社し、2021年に日産自動車出身の関潤氏を招いてCEOに就けたものの、関潤氏も2022年9月に退社した。外部から迎えた経営者が短期間で相次いで去る展開は、「永守会長のやり方」に沿える後継者を求める路線の難しさを示すものであった。その後は生え抜きの小部博志が2022年に社長へ就いていた[2]

副社長5名による後継候補の競争

こうした反省を踏まえ、日本電産(当時)は2023年3月13日、4月1日付で副社長5名が就任する人事を発表した。三井住友銀行出身の北尾宜久、研究者出身の小関敏彦、ソニー出身の岸田光哉、日本電産シンポ社長の西本達也、日本電産サンキョー社長の大塚俊之という、外部登用・本社幹部・子会社社長と出自の異なる5名を並べ、このうち1名を1年後の2024年4月に社長へ昇格させると明示した[3]。トップを一気に外部から招くのではなく、複数の候補を社内に置いて競わせ、その中から選ぶ方式への転換であった。

この枠組みは、当時78歳の永守会長が、2024年4月には会長職とCEO職を退いて代表権を手放し、創業者を中心とした経営から複数の幹部による体制へ移すという構想と一体であった。岸田光哉はソニーで赤字だったスマートフォン事業の立て直しを担い、2022年1月に日本電産へ入社したのち、同年9月から車載事業本部長を務めていた人物である[4]。副社長5名のなかでも、事業再建と営業・生産の実務経験を評価される候補の一人と位置づけられていた。

決断

岸田光哉の社長登用と代表権の再配置

2024年2月14日、ニデックは臨時取締役会を開き、会長・社長の交代と代表取締役の異動を決議した。副社長執行役員として車載事業本部長を務めていた岸田光哉を、同年4月1日付で社長執行役員(最高経営責任者)に登用する内容である[5]。前年に敷いた副社長5名の競争を経て、岸田がその中から後継社長に選ばれたことになる。あわせて、同年6月の株主総会での取締役選任を経て、岸田は代表取締役社長執行役員となる段取りが示された。

この人事では、トップの座だけでなく代表権の配置も組み替えられた。それまで代表取締役会長として最高経営責任者を務めていた永守重信は、代表権を残したまま新設の代表取締役グローバルグループ代表に就き、成長の要と位置づける海外M&Aを引き続き主導する立場に回った[6]。一方、社長兼最高執行責任者だった小部博志は、代表権のない取締役会長へ退いた。永守会長が直ちに経営の第一線から去るのではなく、代表権を保持しながら岸田社長と並走する体制が採られた点に、この事業承継の特徴があった。

「第2の永守」の断念と集団指導体制

ニデックは交代の狙いを、「2030年売上高10兆円の達成および当社グループの持続的な成長に向けて、安定した経営継承を行い、新経営体制へ移行することで、グループ経営・グループガバナンスの一層の強化充実を図る」ことにあると説明した。強調されたのは、一人の傑出した後継者への一気の交代ではなく、安定した継承と体制移行であった。実際、新体制は岸田社長を核としつつ、営業・生産・技術・管理の各分野に強みを持つ幹部が支える集団指導体制として構想された[7]

この選択の背景には、外部から迎えた経営者に自らの経営を再現させようとして失敗を重ねた末に、永守会長が「第2の永守」を一人に求める路線を手放したことがあったとみられる。80歳を目前に控えた創業者にとって、後継の焦点は自分と同型のカリスマを見つけることから、複数の幹部が支え合う安定した仕組みへと移っていた。社長は一定期間で交代して会長として次を支えるという、京セラの人事サイクルを参考にした発想も報じられており、個人依存を薄めていく方向がうかがえた[8]

結果

内部登用への転換と、二頭体制のその後

岸田光哉は予定どおり2024年4月1日付で社長執行役員(最高経営責任者)に就き、同年6月18日付で代表取締役社長執行役員となった[9]。外部の経営者をいきなりトップに据えては短期で去られてきたそれまでの繰り返しに対し、今回は副社長として社内で1年余りの選抜を経た人物への登用であり、外部招聘から社内選抜へと後継の作法を切り替えた点で、従来とは性格が異なる交代となった。もっとも岸田社長はソニー出身で入社から日が浅く、純然たる生え抜きではないという評価も残り、創業者の企業文化をどこまで引き継ぎ、また刷新するかが問われる船出であった。

代表権を持つ創業者が並走するこの二頭体制は、後継社長がどこまで独自の判断を行えるかという論点を残したが、その構図はおよそ2年で大きく動くことになる。2025年に不適切会計の疑いが表面化して調査が続くなか、永守重信は2025年12月19日付で代表取締役グローバルグループ代表と取締役を辞任し、非常勤の名誉会長へ退いた[10]。取締役会議長も岸田社長が引き継ぎ、代表権をめぐる二頭体制は解消された。事業承継として設計された枠組みは、当初想定とは異なる経緯を経ながらも、結果として経営の実権を岸田社長へ集約させる方向へ進んだ。

出典・参考