ニデック HDDモータへ集中 スピンドルモータ一本への絞り込みと、従来主力への依存からの脱却
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何をなぜ決めたか
- 概要
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日本電産は1979年に始めたHDD用スピンドルモータへ集中投資を続け、1980年代末に世界シェア約7割を占めて世界首位に立った。しかしその集中は、パソコン需要の変動が業績をそのまま揺らす脆さを併せ持っていた。永守重信社長は、主力で世界一を取りながら、その主力への依存を自ら断つ方針を掲げ、製品構成を車載・家電・産業機器へと広げていった経営判断である。
- 背景
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創業まもない日本電産は1979年からHDD用スピンドルモータの開発に集中し、1985年には不況下で45億円を投じて滋賀に第3工場を建設して増産に踏み切った。この賭けが当たり、1989年には世界シェア約7割を占めて世界首位に立ったが、売上の多くをHDD一つに託す体質が固まった。
- 内容
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1990年代半ば、パソコン需要の減速でHDD向けモータの受注が急減し、日本電産は最終赤字へ転落した。単一市場への集中リスクを見た永守重信氏は、HDD関連の売上比率を数年で3分の1へ引き下げ、車載・家電向けへ製品構成を組み替える方針を掲げた。流体動圧軸受への技術転換にも競合の買収で対応した。
- 含意
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日本電産はHDDで世界首位を保ちながら、車載駆動や家電へと製品を広げ、精密小型モータの一社から総合モータメーカーへ姿を変えた。主力で世界一を取りつつ、その主力への依存を先んじて薄めた判断は、やがて訪れるHDD市場の後退を前にした備えとなった一方、新たな収益源づくりを買収に依存する構図も残した。
いつ何が起きたか 7件
筆者の見解
世界一を取り、その世界一に依らずに済む会社へ
この判断の核心は、新しい市場を開拓したことではなく、自ら勝ち取った世界一の主力への依存を、盛りのうちに薄めにいった点にある。HDD用スピンドルモータは日本電産を世界首位へ押し上げた強みであり、そこへ集中したからこそ生まれた地位だった。永守重信氏は、その強みが同時に最大の弱点でもあると1995年の赤字から読み取り、主力の売上比率を意図して下げ、車載や家電へ製品を広げる転換を選んだ。伸びている事業の比率を自ら引き下げる決定は、危機が深まってからでは間に合わない。
HDDはやがてスマートフォンや半導体記憶装置の広がりのなかで後退へ向かったが、そのときすでに日本電産の製品構成は車載や家電へ広がっていた。一本足で世界一を取り、その一本足に頼らずに済む体に作り替えるという二段構えは、主力の盛衰に会社ごと沈まないための備えだった。もっとも、新しい収益源の多くを企業買収で得た以上、その成否は買収の巧拙と統合の力に懸かる。世界一の主力を薄める勇気と、次の主力を買い集める力量とが、同じ一つの転換を支えていた。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
業績の推移
同じ問いに直面した会社
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参考文献
- 日経ビジネス 1989年3月27日号(日経BP社)
- 日経ビジネス 1997年11月17日号(日経BP社)
- 日経ビジネス 2002年2月18日号(日経BP社)
- 日本電産 有価証券報告書(連結)【沿革】