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HDD用スピンドルモータへの集中と、主力依存からの脱却

1994年実施

HDDで世界一を取った日本電産は、なぜその主力そのものへの依存を自ら断ちにいったのか

時期 1994年1月
意思決定者 永守重信(社長)
論点 単一製品への集中と、HDD依存からの製品・事業構造の転換
概要
日本電産は1979年に始めたHDD用スピンドルモータへ集中投資を続け、1980年代末に世界シェア約7割を握って世界首位に立った。しかしその集中は、パソコン需要の変動が業績をそのまま揺らす脆さを併せ持っていた。永守重信社長は、主力で世界一を取りながら、その主力への依存を自ら断つ方針を掲げ、製品構成を車載・家電・産業機器へと広げていった経営判断である。
背景
創業まもない日本電産は1979年からHDD用スピンドルモータの開発に集中し、1985年には不況下で45億円を投じて滋賀に第3工場を建てて増産に踏み切った。この賭けが当たり、1989年には世界シェア約7割を握って世界首位に立ったが、売上の多くをHDD一つに託す体質が固まった。
内容
1990年代半ば、パソコン需要の減速でHDD向けモータの受注が急減し、日本電産は最終赤字へ転落した。単一市場への集中リスクを見た永守は、HDD関連の売上比率を数年で3分の1へ引き下げ、車載・家電向けへ製品構成を組み替える方針を掲げた。流体動圧軸受への技術転換にも競合の買収で対応した。
含意
日本電産はHDDで世界首位を保ちながら、車載駆動や家電へと製品を広げ、精密小型モータの一社から総合モータメーカーへ姿を変えた。主力で世界一を取りつつ、その主力への依存を先んじて薄めた判断は、やがて訪れるHDD市場の後退を前にした備えとなった一方、新たな柱づくりを買収に頼る構図も残した。
筆者の見解

世界一を取り、その世界一に依らずに済む会社へ

この判断の核心は、新しい市場を開いたことではなく、自ら勝ち取った世界一の主力への依存を、盛りのうちに薄めにいった点にある。HDD用スピンドルモータは日本電産を世界首位へ押し上げた強みであり、そこへ集中したからこそ生まれた地位だった。永守は、その強みが同時に最大の弱点でもあると1995年の赤字から読み取り、主力の売上比率を意図して下げ、車載や家電へ製品を広げる転換を選んだ。伸びている事業の比率を自ら削る決定は、危機が深まってからでは間に合わない。

HDDはやがてスマートフォンや半導体記憶装置の広がりのなかで後退へ向かったが、そのときすでに日本電産の製品構成は車載や家電へ広がっていた。一本足で世界一を取り、その一本足に頼らずに済む体に作り替えるという二段構えは、主力の盛衰に会社ごと沈まないための備えだった。もっとも、新しい柱の多くを企業買収で得た以上、その成否は買収の巧拙と統合の力に懸かる。世界一の主力を薄める勇気と、次の主力を買い集める力量とが、同じ一つの転換を支えていた。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

HDD用モータへの集中と、世界一への駆け上がり

日本電産は1979年にHDD用スピンドルモータの開発へ着手し、この製品へ資源を集中した。コンピュータの記憶装置に組み込む極めて高精度の小型モータで、数年の開発を経て量産に届くと、そのまま主力へ育った。1988年3月期の売上高は258億円、経常利益は26億円と小粒ながら、HDD装置用の小型精密モータで世界シェアの7割を握り、創業から上場までわずか15年という速さで世に出た[1]

世界一への足場は、不況下の賭けで固められた。1984年から85年の不況で新興企業の挫折が相次ぎ、日本電産も危ういと噂されたなか、永守重信社長は45億円を投じて滋賀に第3工場を建て、HDD向けの増産へ踏み切った。大手ユーザーを回って需要を確かめているという読みは当たり、その後のコンピュータ需要の急拡大に乗ってシェアを一段と高めた。1989年には競合の信濃特機を買収し、HDD用モータをほぼ独占する態勢を築いた[2]

決断

世界一の主力を、自ら薄めにいく

世界首位を固めた集中は、その裏で単一市場への依存を深めていた。1995年3月期、パソコン需要の一時的な減速でHDD向けモータの受注が急減し、日本電産は連結で25億円の最終赤字へ転落した。売上の多くをHDD一つに託す体質では、顧客産業の需給がそのまま自社の損益を揺らす。世界一を取ったはずの主力が、そのまま最大の弱点にもなり得ることが、この赤字ではっきりした[3]

永守が選んだのは、主力そのものへの依存を先んじて薄める道だった。HDD関連は売上の6割前後を占めていたが、これを数年で3分の1へ引き下げ、車載や家電向けのモータへ製品構成を広げる方針を掲げた。単一製品で世界一という強みを保ちながら、その一本足を意図して細くしていく。あわせて、HDDの軸受がボールベアリングから流体動圧軸受へ移る技術転換にも、その技術を持つ会社を取り込むことで対応していった[4]

結果

回るもの・動くものへ、製品を広げる

HDDで世界首位を守りながら、日本電産は「回るもの・動くもの」の駆動技術という本業の輪郭で製品を広げていった。2003年には流体動圧軸受で競った三協精機を取り込んで技術転換を乗り切り、HDD用モータの世界首位を保った。並行して、2014年にホンダエレシスを、2018年にはフランスのグループPSAとの合弁でトラクションモータ事業へ入り、電動車両の駆動という新しい主戦場へ製品を伸ばした[5][6]

製品構成の組み替えは、会社の姿そのものを変えた。1994年3月期に601億円だった連結売上高は、車載・家電・産業機器を束ねるにつれて桁を変え、後年には2兆円を超える規模へ達した。HDD用モータの一社という出自から、モータを軸に幅広い機器へ供給する総合メーカーへと、日本電産は姿を変えていった[7]

出典・参考
  • 日経ビジネス 1989年3月27日号「時間と闘うハードワーカー 永守重信[日本電産社長]」(日経BP社)
  • 日経ビジネス 1997年11月17日号「企業買収で技術と歴史を得る ムダの多い会社ほど買い得」(日経BP社)
  • 日経ビジネス 2002年2月18日号「日本丸と一緒に沈まない」(日経BP社)
  • 日本電産 有価証券報告書(連結)【沿革】