ニデックニデック創業——資本金200万円の精密小型モータが、米国経由の信用でHDDモータの世界シェアへ
- 背景
- 永守氏は開業資金を貯めるのに最低10年はかかると見て35歳での独立を計画していたが、1972年以降の列島改造ブームによる土地投機とインフレ、円高への急転換を変動期の好機と読み替え、独立を7年前倒した。家族や周囲は全員が反対し、創業3ヶ月後の第一次オイルショックが省エネ要請を高め、創業前から手掛けていたブラシレスモータの需要拡大という追い風が偶然に重なった。
- 内容
- 創業初期の売上は95%が輸出で構成され、1974年にはオムロン創業者・立石一真氏が主宰する京都エンタープライズ・デベロップメント(KED)から500万円の出資を受けた。その事実そのものが金融機関の融資を引き出し、調達資金は1975年2月に稼働した京都府亀岡工場へ集中投入された。米国の受注と国内の資本評価を外部から取り込み、生産基盤の整備を同じ時期に並行して進めた。
- 含意
- 1979年10月に8インチHDD向けスピンドルモータの開発へ踏み込み、1985年には不況下で45億円を投じて滋賀第3工場を新設し増産へ転じた。1988年3月期に売上258億円・経常利益26億円を計上して同年11月に京都・大阪両証券取引所市場第二部へ上場し、翌1989年の信濃特機買収で合併後の世界シェアは約88.7%に達した。
筆者の見解
無名の技術者が信用を外から調達した創業
この創業から見えてくるのは、製品の性能ではなく企業の歴史と実績で取引の可否が決まる国内市場の慣行に、無名の新興メーカーがどう向き合ったかという問題である。永守氏は国内で得られなかった信用を、性能と価格だけで評価される米国市場での採用実績と、日本初のベンチャーキャピタルからの出資という二つの外部評価に置き換えていったとみられる。若さと実績の乏しさという弱みを、評価の場を移すことで補った経緯が読み取れる。
もう一つ浮かび上がるのは、創業初期に固めた米国経由の信用調達という方法が、その後の集中投資を支える下地になっていた点である。国内で拒まれた無名メーカーが米国での実績を日本市場への信用へ逆流させた経路は、HDD向けスピンドルモータへの集中投資と、世界シェア約88.7%に至る独占的な地位の土台になっていったといえる。信用そのものを経営資源として外から取り込む手つきが、精密小型モータの専業メーカーを短期間で世界市場へ押し上げていったと読める。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
- 有価証券報告書(沿革)
- 東海総研マネジメント 1994/2
- 日経ビジネス 1989/3/27
- 小型ハードディスクに関する市場調査 1990
- 日経産業新聞 1989/5/22