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企業買収による成長モデルの確立

1997年実施

永守重信は、なぜ優良企業ではなく「ムダの多い会社」を選んで買い、再建してみせたのか

時期 1997年11月
意思決定者 永守重信(社長)
論点 自社開発の限界とM&Aによる成長・多角化の方法論
概要
1990年代後半、日本電産の永守重信社長は、自社開発だけでは新しい分野への進出が間に合わないと判断し、企業買収を成長と多角化の主軸に据えた。買収先には優良企業ではなく、良い人材・技術・市場を持ちながら「工場が汚い・社員が働かない・仕入れが高い」といったムダを抱えて収支が均衡する会社を選び、清掃と規律の立て直しだけで高収益企業へ変える手法を確立した経営判断である。
背景
主力のHDD用モータは1990年代半ばに需要変動で赤字を招くなど、単一市場への集中リスクを抱えていた。新たな柱を自社開発で育てるには人材も技術も歴史も足りず、取引実績を重んじる日本市場では新規参入の壁も高かった。時間を買う手段として、永守は企業買収へ向かった。
内容
永守は「ムダの多い会社ほど買い得」として、是正できる非効率が多い会社を狙って買収し、従業員を解雇しない約束のうえで掃除・意識改革・仕入れ見直しにより収益を改善した。日産系列で50年の歴史を持つトーソクなどを取り込み、製品だけでなく「歴史と信用」も同時に得た。
含意
人を切らずに再建するこの手法は、不況下で沈む企業の受け皿として評価され、買収は累計で数十社に及んだ。一方でその成否は永守個人の求心力と、買収先へ毎週通う猛烈な現場指導に支えられており、手法そのものの再現性には限りが残った。
筆者の見解

ムダを資源に変える手法の、強さと限界

この判断の核心は、どの会社をいくらで買うかという選別にあるのではなく、良いものを持ちながら緩んで沈んだ会社を安く取り込み、規律を入れるだけで高収益へ反転させるという、再現を狙った再建の型を作った点にある。ムダを欠点ではなく手つかずの資源とみなし、人を切らずに掃除と意識改革で利益を生む発想は、価格競争や不況で疲れた優良資産を割安に拾う投資でもあった。歴史と信用まで一括で買うという割り切りが、実績を重んじる日本市場の壁を越える通路になった。

もっとも、この型が回るかどうかは、買収先へ毎週通って現場を動かす永守個人の求心力に強く依存していた。掃除で意識が変わったのも、トップが自ら油にまみれたからであり、同じ熱量を数十社へ均一に注ぐことには限りがある。買収を重ねるほど消化すべき組織は増え、統合の巧拙が全体の成否を左右する。ムダを資源に変えるこの手法は日本電産を総合モータメーカーへ押し上げた一方、創業者の力量と分かちがたく結びついていた点で、後継者へどこまで引き渡せるかという問いを残した。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

HDD一本足の危うさと、自社開発の限界

日本電産はハードディスク駆動装置(HDD)用の小型精密モータで世界首位に立ったが、その主力は1990年代半ばに脆さを見せた。1995年3月期にはパソコン需要の一時的な減速でHDD向けモータの受注が急減し、連結で25億円の最終赤字に転落した。1997年の時点でもHDD関連は売上高の6割前後を占めており、単一市場の需給が業績をそのまま揺らす体質だった。永守重信社長は、この主力への集中を薄めるべく、別の柱を育てる必要を明言した[1]

別の柱を自社開発で立ち上げる道は、時間の面で現実的でなかった。自動車や家電向けのモータへ進むには人材も技術も足りず、取引実績と企業の歴史を重んじる日本市場では、実績のない新規参入者が相手にされにくい。永守は、必要な技術と販路と信用をまとめて手に入れる手段として、企業買収に活路を求めた[2]

決断

「ムダの多い会社ほど買い得」という逆張りの基準

永守が選んだ買収先の基準は、業界の常識と逆を向いていた。良い人材・技術・市場を持ちながら、工場の清潔さや整理・整頓・しつけができておらず、割高な仕入れを続け、社員の勤務態度も緩い会社。その多くは収支がかろうじて均衡している。良いものを持ちながら赤字なのは、皆が働かず高いものを買っているためであり、そこを正すだけですぐに利益が出る、というのが永守の読みだった。逆に、無駄がなく皆がよく働いていて赤字の会社は、本業の競争力そのものに問題があるとして避けた[3]

永守はムダそのものを、まだ使われていない経営資源とみなした。汚れた工場、割高なコピー用紙、平日に休む経営者——そうした緩みを抱えて収支が均衡している会社ほど、規律を入れれば利益が跳ね上がる。彼はこれを、無駄がなくても赤字の会社は再建の見込みが暗い、という対比で語った。買収は割安な不振企業を再建益ごと取り込む投資であり、価格競争で疲れた優良資産を安く拾う行為でもあった[4]

「歴史と信用」を買い、人を切らずに再建する

買収は技術と販路の獲得にとどまらず、日本市場で商いを始めるための「歴史と信用」の取得でもあった。1997年に資本参加した日産自動車系列の部品メーカー、トーソクは50年近い歴史を持ち、これを傘下に収めたことで日本電産は「日産の親戚」という信用を得た。米国なら製品が良ければ取引が始まるが、日本では実績が問われる。永守は、その壁を企業買収で越えると語った[5]

この手法の要は、人員整理に頼らないことにあった。永守は買収に先立って相手先の労働組合から合意書を取り、従業員を解雇しない約束を交わした。良い人材と技術を持ちながら意識に問題がある会社を買う以上、人を切る必要はなく、むしろ買収した会社の人材に働いてもらう。彼は買収先へ会長として毎週無給で出向き、掃除から意識を変える指導を重ねた。合理化のための人減らしではなく、規律の立て直しで利益を出す再建だった[6]

結果

掃除から始まる再建と、増える買収

手法の効き目は、旧シンポ工業(無段変速機メーカー、現ニデックドライブテクノロジー)の再建に表れた。バブル崩壊後に赤字へ沈み、社員が求人欄を眺めるほど自信を失っていたこの会社で、永守はまず工場をきれいにすると告げた。社長以下の幹部が毎朝出て、何十年もたまった油を落とすと、組合員も一人また一人と加わり、掃除が進むにつれて月次利益が過去最高を記録した。1年目の決算は過去最高益、2年目は売上高も利益も過去最高となった[7]

買収は年に2社を超える速さで積み上がった。1998年までの十数年で16件のM&Aをまとめ、上場企業の子会社を中心に矢継ぎ早に取り込んでいった。人員削減で立て直した過去の再建者とは異なり、永守は雇用を保つことを再建の趣旨に据えており、不況に沈む企業の受け皿としての期待も集めた[8]

「本当の産業再生」と、総合モータメーカーへの拡大

2001年のニューヨーク証券取引所上場を経て、永守は自らの買収を産業再生と重ねて語った。潰れかけた会社を買い、従業員を切らずに立て直すことこそが、本来の産業再生ではないか——不況で沈む企業を割安に取り込み、雇用を保ったまま甦らせる考えを、彼は繰り返し表明した。累計での買収は数十社に達し、日本電産はHDD一本足の会社から自動車・家電・産業機器までを束ねる総合モータメーカーへと拡大していった[9][10]

出典・参考
  • 日経ビジネス 1997年11月17日号「企業買収で技術と歴史を得る ムダの多い会社ほど買い得」(日経BP社)
  • 日経ビジネス 1998年7月20日号「永守重信氏[日本電産社長] 一番以外は無意味 M&A戦略加速」(日経BP社)
  • 日経ビジネス 2002年2月18日号「日本丸と一緒に沈まない」(日経BP社)
  • 日本電産 有価証券報告書(連結)【沿革】