決断
需要が見えてから動くのではなく、競合が地盤を固める前に工場と販路を押さえてきた。1959年、資本金5400万円の会社が約4億円を投じる杉並工場には社内の反対が強かったが、飯島藤十郎氏は住友銀行と富士銀行から2億円ずつを借り入れて1960年に稼働させた。1966年の大阪進出では工場の完成を待たず、関東から製品を運んで販売網を先に築いた。1968年には千葉工場にビスケットの量産設備を入れ、1970年10月には米ナビスコ・日綿実業との合弁でビスケット事業へ参入した。
2007年3月 不二家の51%子会社化
不二家の51%子会社化独占禁止法上パンで買収できない分を菓子で伸ばす戦略と、不祥事で止まった老舗の再建支援が重なった資本参加同じ経営論点に直面した企業 | M&A・買収洋菓子・製菓部門の売上高2006 2007 2012 洋菓子部門(億円) 766 793 1,165 製菓・米菓・その他商品類部門(億円) 844 970 1,581 1982年1月 サンエブリーをデイリーヤマザキ化
1970年10月 米ナビスコとの合弁進出