山崎製パンの決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

需要が見えてから動くのではなく、競合が地盤を固める前に工場と販路を押さえてきた。1959年、資本金5400万円の会社が約4億円を投じる杉並工場には社内の反対が強かったが、飯島藤十郎氏は住友銀行と富士銀行から2億円ずつを借り入れて1960年に稼働させた。1966年の大阪進出では工場の完成を待たず、関東から製品を運んで販売網を先に築いた。1968年には千葉工場にビスケットの量産設備を入れ、1970年10月には米ナビスコ・日綿実業との合弁でビスケット事業へ参入した。

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