伊勢丹岩田屋をTOBで子会社化:連結子会社化を選ぶ一方での、丸井今井への出資の見送り
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- 概要
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2005年2月、伊勢丹が株式の公開買付により福岡の岩田屋を連結子会社とした経営判断。同じ年に支援を求めてきた北海道の丸井今井には資本参加を見送り、情報システムの提供と幹部級社員の派遣による業務支援にとどめた。武藤信一社長の主導による。
- 背景
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岩田屋は天神地区の売り場面積が2年で1.5倍に膨れた競争のなかで売上を落とし、2002年5月に私的整理のガイドラインに基づく再建計画を発表した。計画には280億円の債権放棄、50%の減資、伊勢丹への傘下入りが盛り込まれていた。伊勢丹は1999年に支店を地域一番店とする方針へ切り替え、本部主導の売り場と業務のフローを子会社へ移していた。
- 内容
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岩田屋株式を公開買付で取得して連結子会社とし、経営陣を送って仕事の仕方ごと伊勢丹流に替えた。丸井今井とは2005年6月24日付の基本合意書で、会社分割・金融支援・第三者割当増資の成立を前提に情報システムの提供と幹部派遣を約し、出資はしなかった。2002年に資本を強化した松屋への出資も5%台にとどめた。
- 含意
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2006年3月期の連結売上高は7,600億円(前期比120.8%)、連結営業利益は300億円となり、価値創造3ヶ年計画が掲げた250億円の目標を上回った。商品情報システムは名鉄百貨店・東急百貨店との業務提携にも広がり、資本を入れずに情報提供料を得る取引が生まれた。
資本を入れる線は、どこにあったか
武藤信一社長は、丸井今井への出資をうわさと断りながら退け、システムの共同開発と色やサイズ別の発注管理のほうが意味があると言い切った。同じ年、岩田屋の株式は公開買付で取得している。二つを分けたのは相手の規模でも地域でもなく、渡すものが仕事の型かどうかであった。型を入れ替えるには経営陣を送り、現場の納得を得る時間が要る。その担保として資本が要り、システムを貸すだけなら株式は不要であった。
ただ、使い分けが読みどおりに働いたと言えるのは、岩田屋で仕組みが根づいた結果を知っているからにすぎない。同じシステムを先に入れた井筒屋は、3年たっても成果を出せなかった。丸井今井への支援も、278億円の実質債務超過と創業家の反発を抱えた再建計画が通るかどうかにかかっていた。関東の外へは出ないと言っていた会社が、資本と人と情報のどこまでを外へ出すかを一件ごとに決めていた点に、この時期の伊勢丹の慎重さがうかがえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
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- 伊勢丹 有価証券報告書【沿革】
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